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風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

新しいお仕事で気がついた事

2008-10-11 00:34:02 | キリスト教(行事、他)
10月から某お菓子工場のパートではたらいている。
まるでウイリーウォンカのチョコレート工場にいるウンパルンパになった気分。

鬱も良くなり薬はマキシマムだった薬の量がだんだんとへって今は半分になっている。良くなったら働こうと思って、リハビリとしてチラシ配りの仕事などしていたのだが、今回、週3日以上で半日というありがたい条件があったのでその工場で働くことにした。

もう2週間たったが・・・・・今までのパートよりつらい・・・。仕事場にいくたびに情けなくなる。。。


今までの仕事は自分のペースで出来る仕事だったが、今回はベルトコンベアーによる流れ作業。どれもかんたんな手作業だがある一定の速さを求められる。ハッキリいってのんびりやの私にはあせあせしながらの作業だ。それも4時間たちっぱなしのぶっ続け。その間トイレ休憩が1回。

自分のペースで出来ないのはちときつい。従業員不足のためか作業場所がよく変わるのだ。

先日、初めての作業についた時の事である。入れ物を出して並べるだけの単純作業だが・・・・・。

「ああ、そんなやりかたじゃだめよ!」「5つやったらこっちの作業も手伝ってあげてね。」「そうじゃなくて。もっとこうするのよ!」「誰かおしえてやんなきゃだめよ。」

どうしたらいいのかわからなくなった。わからないままあたふたやっているうちにまた違う人から同じ事を言われる。思わず言ってしまった。「やってます!」と・・・。

仕事が出来ないと思われたくない。

こんな人達に馬鹿にされたくない。

そんな思いだった。2つの作業をするのにその速さについていけない自分が情けなくなった。

でも、ふと気がついた。

この変なプライドって何?
何で「こんな人達に馬鹿にされたくない!」っておもってしまったんだろう?
勝手にその人達を下に見ているような高慢な思いはどこからきたのか。

いつの間にか人を敵視して、いつの間にか高慢な思いを抱いていた。

それに今の自分の状況。
これって長男の置かれている状況に似ていないだろうか。

彼もまた、自分のペースを大事にする。そして、2つ以上の指示が入らない。たくさんのことを同時に言われたり、攻められるような事をいわれ続ければパニックになる。相手を敵視する。それにやはり自分はちゃんとできる。理解してほしいとおもうことだろう。

私の高慢は別として、長男がパニックになった時の気持を思った。

私は自分のことを理解してほしいと思いながらも長男を本当には理解していなかったのかもしれない。

これもまた罪の性質なのかと思った。
人を敵視し、憎み、高慢になり、自分を正当化する。

もう一度主に立ち返って謙遜にならなければと思った。

この仕事を何で選んでしまったんだろうと常に思っていたけど私の心の中にある罪を学ぶためだったのかもしれない。

いつか牧師先生が泥水を例えていっていたことがある。

キリストを信じた時の心の状態ーーー泥水のドロが下にたまってクリアな水とにわかれている。そのドロが罪の性質。キリストを信じたからといってもその罪の性質がなくなるわけではないのだ。そしていろいろな事で時々の心の中がかきまわされ再び泥水になる時がある、それが再び罪の性質が表に出る時だと。

泥水の状態だったんだな。

信仰の原点に立ち返って罪の性質について再び考える時をあたえられていたのかもしれない。