長男、この頃、すごく精神的に不安定。
すごく音に敏感になっている。
多弁なのは昔からだが、それは自己調整しているらしい。
ひっきりなしというくらいにしゃべりっぱなし。
そして急に泣き出したり、私のいないところで学校の先生に電話したりしている。
そして、私には「ママ、今日は気分はどう? 大丈夫?」ときづかってくる。
多分、受験の事やこれからの将来のことに不安をこぼしていたのでそのせいだろうと思っていた。
彼の不安は先の先まで限りがないので、どこかでとめなければならない。
「受験のことだけかんがえればいいから。大学の他にも環境の専門学校があるんだから。今のことだけ考えなさいよ。」といって納得してもらった。
でもこの頃、長男は「今の何の音!上の音じゃない?いやがらせじゃない?」という。
「大丈夫。多分お母さんがよろけて壁に当たった時の音だよ。もしそうだったとしてもお母さんがお前を守ってやるから!大丈夫、嫌がらせなんかじゃないよ」
「うん、僕も頭ではわかっているんだけど・・・・・」といって泣き出してしまう。
私はきっと受験のプレッシャーがすり替わって音に過敏になっているのだろうと思っていた。
何日かたってからフリースクールでお世話になっているカウンセラーの先生から電話があった。
聞けば学校に来るなり、ないているという。話を聞いていると音に過敏になって自分でもいやなのだという。そしてそれが以前の隣人トラブルと関係があるということだった。長男はフラッシュバックをおこして苦しんでいたのだった。だから1人で苦しんでいないでお母さんの助けを借りようといって電話してきたのだった。
自閉症圏の人は写真を撮るように記憶する事ができるという。いいことならいいが、以前に嫌な事件があって、それと似たようなことが起こるとフラッシュバックして2重、3重にくるしむことになるのだ。
そして長男は私が傷つき悩む事すら自分の苦しみにしてしまう。
私が具合が悪くて嫌な顔をして悪態ついたりしているのも嫌なのだ。私を苦しめるものイコール悪人の図式になってしまう。
それに鬱になって不安定だった私を心配して何回も「ママは大丈夫?今日は具合いい?」と聞いていたのだった。
そして、私も、長男も隣人を愛せと聖書でいっているのに実践できていない事。
これも悩みの原因であった。
私は自分の弱さも全部長男に見せてきた。それが逆効果だったのか!?
カウンセラーから話を聞いた時はあの時、少しばかり我慢すれば・・・と自分の浅はかさを悔いた。
今日聖書を呼んでいたらこんな言葉が載っていた。今の私にぴたっと当てはまっていた。
しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなた方の口から出る恥ずべき言葉を捨ててしまいなさい。(コロサイ3:8)
互いにしのびあい、誰かが他の人に不満を抱く事があっても、互いに赦しあいなさい。主があなた方を赦してくださったように、あなた方もそうしなさい。そして、これら全ての上に、愛をつけなさい。愛は結びの帯として完全なものです。(コロサイ3:13-14)
どうしたら長男の心に平安がもどってくるんだろう。
何とか私が今は何も気にしていないし、その人とも笑顔で挨拶できるよといっているんだけれど。
その時、先日親戚の叔父さんにたくさんジャガイモをいただいたのを思い出して早速その方のところにおすそ分けしてきた。
だから「お母さん全然気にしてないよ。喜んでもらってもらったよ。」といったら少し安心したようだ。
親の責任を痛感。。。。
それにしても今日の御言葉は。。。本当に身につまされたなぁ。
だけどそれと同時に、心の優しいまっすぐな子になってくれたと神様に感謝した。
長男は出会いにおいて本当に祝福されている。
教会の方々、スペシャルエデュケイションの先生、エイド、セラピストのC先生、フリースクールの先生やスタッフの方々、カウンセラー、主治医、そのやさしさは私からではなく彼らから学んだ事だと思う。
少しでも不安が取り除かれ落ち着きを取り戻せますように祈る。
すごく音に敏感になっている。
多弁なのは昔からだが、それは自己調整しているらしい。
ひっきりなしというくらいにしゃべりっぱなし。
そして急に泣き出したり、私のいないところで学校の先生に電話したりしている。
そして、私には「ママ、今日は気分はどう? 大丈夫?」ときづかってくる。
多分、受験の事やこれからの将来のことに不安をこぼしていたのでそのせいだろうと思っていた。
彼の不安は先の先まで限りがないので、どこかでとめなければならない。
「受験のことだけかんがえればいいから。大学の他にも環境の専門学校があるんだから。今のことだけ考えなさいよ。」といって納得してもらった。
でもこの頃、長男は「今の何の音!上の音じゃない?いやがらせじゃない?」という。
「大丈夫。多分お母さんがよろけて壁に当たった時の音だよ。もしそうだったとしてもお母さんがお前を守ってやるから!大丈夫、嫌がらせなんかじゃないよ」
「うん、僕も頭ではわかっているんだけど・・・・・」といって泣き出してしまう。
私はきっと受験のプレッシャーがすり替わって音に過敏になっているのだろうと思っていた。
何日かたってからフリースクールでお世話になっているカウンセラーの先生から電話があった。
聞けば学校に来るなり、ないているという。話を聞いていると音に過敏になって自分でもいやなのだという。そしてそれが以前の隣人トラブルと関係があるということだった。長男はフラッシュバックをおこして苦しんでいたのだった。だから1人で苦しんでいないでお母さんの助けを借りようといって電話してきたのだった。
自閉症圏の人は写真を撮るように記憶する事ができるという。いいことならいいが、以前に嫌な事件があって、それと似たようなことが起こるとフラッシュバックして2重、3重にくるしむことになるのだ。
そして長男は私が傷つき悩む事すら自分の苦しみにしてしまう。
私が具合が悪くて嫌な顔をして悪態ついたりしているのも嫌なのだ。私を苦しめるものイコール悪人の図式になってしまう。
それに鬱になって不安定だった私を心配して何回も「ママは大丈夫?今日は具合いい?」と聞いていたのだった。
そして、私も、長男も隣人を愛せと聖書でいっているのに実践できていない事。
これも悩みの原因であった。
私は自分の弱さも全部長男に見せてきた。それが逆効果だったのか!?
カウンセラーから話を聞いた時はあの時、少しばかり我慢すれば・・・と自分の浅はかさを悔いた。
今日聖書を呼んでいたらこんな言葉が載っていた。今の私にぴたっと当てはまっていた。


どうしたら長男の心に平安がもどってくるんだろう。
何とか私が今は何も気にしていないし、その人とも笑顔で挨拶できるよといっているんだけれど。
その時、先日親戚の叔父さんにたくさんジャガイモをいただいたのを思い出して早速その方のところにおすそ分けしてきた。
だから「お母さん全然気にしてないよ。喜んでもらってもらったよ。」といったら少し安心したようだ。
親の責任を痛感。。。。
それにしても今日の御言葉は。。。本当に身につまされたなぁ。
だけどそれと同時に、心の優しいまっすぐな子になってくれたと神様に感謝した。
長男は出会いにおいて本当に祝福されている。
教会の方々、スペシャルエデュケイションの先生、エイド、セラピストのC先生、フリースクールの先生やスタッフの方々、カウンセラー、主治医、そのやさしさは私からではなく彼らから学んだ事だと思う。
少しでも不安が取り除かれ落ち着きを取り戻せますように祈る。