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風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

愛の使徒の日に思ったこと

2007-02-15 00:40:05 | キリスト教(行事、他)
この頃、何にもする気がおこらない。

きょうは眠ってばかり。
夕方、変な夢で二度ほどうなされておきた。

夢の中で早く起きなくちゃと夢からさめてなんか苦しくなっている夢。変にリアルな二重の夢。こういう夢は疲れる。

長男が「ママ、頭おかしくなったんじゃないの?」と本気で心配していた。

起きたところで身体がだるくてしようがない。
まったく何もする気がない。めまいがする。








そういえば今日はバレンタインデーだった。
夕方買い物に行った時はバレンタインコーナーのチョコがほとんどなくなっていたっけ。

一年前のブログにも書いたが聖バレンタインは愛の使徒と呼ばれる。
町々を訪ねては悲しんでいる人々に、毎日1人ずつに聖書の愛の言葉を書き送る奉仕を生涯続けたという伝説からそうよばれるらしい。

聖書の中で言われる愛というと見返りを求めない愛だ。男と女の愛とは違う。もっと大きな愛。

最近のニュースでそんな事を思わせる事件があった。
線路の中に入った女性を助けようとして電車にはねられ先日亡くなったおまわりさん。私達が普段使っている路線なのでなんだか余計やるせない思いがした。

あのニュースが流れるたびに聖書の言葉がおもいだされる。

人がその友のために命を捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません。(ヨハネの福音書15章13節)

この箇所はキリストが愛ゆえに私達の罪のために十字架にかかられたことをいっている。

愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れるものの愛は、全きものとなっていないのです。(ヨハネの手紙第一、4章18節)


人のために命を投げ出したあのおまわりさんの行為は尊い。
救いたい一心で恐れは感じなかったかもしれない。救われた女性、命を大切に生きてほしい。

私もキリストにすくわれた身。何もできなくてもこうして日々生かされていることを素直に感謝したいと思った。