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風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

続イースターと虹の夢

2006-04-13 15:06:57 | キリスト教(証)
続きだよ。

ただ、ただ、長男の精神状態が心配だった。普段から不安の強い子なのに先の見えないことに苛立ちと不安、そしてドクターからは別の薬の効果を見るため、退院が延びることを知らされた。当初3日といった学区の精神科医への恨めしい気持ちと何とかここから早く連れ出そうと考え、牧師婦人の通訳のもと「3日と聞かされていたこと、もうここから出られないのではないかとても不安がっていること、そして何より彼にとってここはバイリンガルの環境でこれ以上は無理だ」ということを話してもらった。しかし、薬を安全に使うためにどうしても様子を見なければということで状況は変わらず。

学校に知らせに行くとスペシャルエデュケーションの先生が「彼はどう?」と聞いてきた。私はできる限りの英語を並べ立て思わず攻めるような口調で彼女に言ってしまったのだった。「まるで実験用のマウスよ!!かわいそう過ぎる!」と。「何ですって!?」「実験用のマウスだといったのよ!」「ああ、お願いだからそんなことは言わないで・・・彼にとっていい結果が出るはずだから・・・。」後は2人とも嗚咽するばかりだった。こんな失礼な私に彼女はつらい時があったらいつでも電話をかけてきてと電話番号をわたしてくれた。

ちょうどそんな事があった時、私は夢を見た。黒い雲の中にぽっかりと浮かぶ虹の夢を。なぜだかこの夢が特別なことのように思えてしかたがなかった。聖書には創世記9章にノアの家族を祝福し「けして滅ぼさない」という契約としてこの虹を立てる話が書かれている。

「私は雲の中に、私の虹を立てる。それは私と地との間の契約のしるしとなる。私が地の上に雲を起こす時、虹が雲の中に現れる。私は、私とあなた方との間、およびすべて肉なる生き物との間の、私の契約を思い出すから、大水はすべての肉なるものを滅ぼす大洪水とはけしてならない。虹が雲の中にあるとき、私はそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」(旧約聖書創世記9章13~16節)

他に虹はエゼキエル書1章28節では神様の栄光を描写として、また、ヨハネの黙示録などでは、天の栄光としての描写がされている。

また、雲は神様の存在を明かしたり(出エジプト記)、隠したりするもの(マルコの福音書9章、使徒言行録)として聖書で語られている。

私はこの夢を神様からの励ましとして捉えた。そして「早く帰りたい、もしかしたらもうここから出られないかもしれない」と不安がる長男に「こんな虹の夢をみたよ。聖書では神様はノアにもうけして滅ぼさないと契約の虹を立てられたんだよ。きっと、もうこんなことは決してない、絶対あなたを見捨てないって神様は励ましてくれているんだよ。」

あまり私的な解釈をしてはいけないがとにかく希望を持たせたかった。でも事実そう思えたのだった。

病院滞在中は子供聖書物語を読んだり、もともとおしゃべりな子なのでスタッフと話したりしたようだ。日本食が恋しいだろうとおにぎり、から揚げ、味噌汁を持参して家族で食べたりした。そうしているうちに「あの子はもう一ヶ月もここにいるんだって」と他の子供を気遣う気持ちも出てきていた。教会では祈り会で姉妹達が長男のために熱心に祈ってくれた。

そしてイースターの日になった。礼拝後、家族で長男にに会い行く。その日は中庭に出ることができたので外のテーブルつきのベンチに座った。そうしているうちに長男がさめざめと泣き出した。話を聞くと今日のイースター礼拝に出られなかったのが悲しい、教会学校のエッグハント、礼拝での私のフルートの賛美を楽しみにしていたのだという。なんとなくそんなことをいうかもしれないと思ってフルートを持ってきていたので、長男だけのコンサートをした。曲はビバルディ作曲の「忠実な羊飼い」。

検査入院して10日目、やっと退院の許可がおりた。たった10日間と思えるだろうが、とても長く感じた。この事があってから長男にとって虹は特別なものとなった。どなたかが苦しみを通してでしか神様にちかづくことができないと言っていた。最初は「神様何とかしてください」と自分の利益になることしか考えないような祈りだったが、このことを通して主が私達とともにおられることを知り、祈りつつ、「すべてを神様にゆだねる」と言うことを学んだように思える。というより自然と「私はこう望んでいますが、あなたの御心のままにしてください。すべておゆだねいたします。」そのように祈りが変わっていった。

苦しい時、主は助けてくれる人を起こされ、隠れていることを明らかにする人を起こされ、支えてくれる人を起こされ、祈り捧げる人を送られた。すべては恵み。そしてかみ合わなかった家族がこの事を通してひとつになっていった。そしてもっと大きな祝福が待っていた。長男と次男はこの後、洗礼の学びを受け、帰国直前に受洗することができたのだった。(ハレルヤ!

今度のイースターサンデーには、このことをもう一度覚え感謝の賛美と祈りを捧げよう。主イエス・キリストの復活により、それを信じるものには死の先の新たな生に迎えられる希望の道が与えられている。そしてそれはすべての人に開かれている道なのである。

イースター(復活節)と虹の夢

2006-04-13 13:03:46 | キリスト教(証)
次の日曜日はイースターサンデーだ。イースターとは新約聖書、特にその中の福音書に記されているイエス・キリストが十字架上で亡くなった後、三日目に復活したという出来事を記念して行われる礼拝で、また、それを行う日曜日のことを言う。キリスト教の重要な行事である。

イースターの日付は太陰暦に基づいて決められていたため「春分の後の最初の満月の次に来る日曜日」ということになっている。だから毎年イースターの日付は変わってくる。

アメリカなどでは彩色された卵を探すエッグハントのゲームや小さなかごに卵形のチョコなどを入れてプレゼントしたりする。なぜ、卵なのか?硬いからを破って新しい命が生まれてくることから=復活の連想からきているそうだ。またイースターバニーが子供達に卵をプレゼントしてくれるという伝承から、次男がお世話になったキンダーガーテンでは子供達がいない間にウサギの足跡をつけておき、クラスに帰ってきたところで「イースターバニーがプレゼントを持ってきてくれたよ」と用意した卵形チョコを配ったりするほほえましい風景もあった。

ところで私には忘れられないイースターの思い出がある。これはまだ私達家族が滞米中で、もうすぐ帰国になるとしったばかり4年前の今頃の事だ。このころの長男はとても不安定でクラスでたびたび怒りを爆発、またそうしたことを後で悔やんでの自傷行為があった。投薬治療がうまくいってないのかそれとも他の要因があるのか知るために学区の心理学者、精神科医から児童精神科の専門の病院で「3日間キャンプに出るようなつもりで」と検査入院をすすめられたのである。

検査入院といってもその病院は丘の上にきれいなタウンハウスがあるといった所で病院のイメージは全くなかった。ここで同じようなスペシャルニーズを持つ子供達が共同生活をしながらある子供は検査入院、またある子供は問題行動を直すためにいるのである。その病院の精神科の先生の所見では長男にアスペルガー症候群が主訴にあるのではないかといっていた。この時まで長男はADHD(注意欠陥多動性障害)が主訴といわれていたのだった。長男は不安がる様子もなくナースやスタッフの人と話していたのでとりあえずほっとした。

しかし、新しい投薬治療でのだるさや検査のために採血するのがだ嫌だったこと、しかも退院の日はその結果が出ないとわからないというので不安は一挙に高まり、近くにあるものを蹴っ飛ばし帰りたいと泣き叫ぶ長男。私は「キャンプに行くようなもの」と軽々しく口にしたことを悔やみ罪悪感でいっぱいになった。長男の手を握り、説得しながら私も泣いていた。

当初3日の予定はどんどん過ぎていった。長男はその間不安が高まってどうしようもなくなるとスタッフに頼んで電話をかけてもらっていた。病院から親が毎日面会に行くことは望ましくないといわれていたので1日置きに行っていたのだ。だから面会にいけないときは長男は泣きながら電話をかけてくるのである。その気持ちを考えるといたたまれない気持ちになる。この間に教会の牧師夫妻はかわるがわる通訳として、また私達家族の精神的な支えとなっていただいた。この牧師夫妻にも同じような発達障害を持つお子さんがいたのだった。

長いので次回に続く・・・・