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風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

五箇山

2007-08-21 17:31:04 | お出かけ・旅行記
訂正版

ダンナから訂正が入った。「勤続20年じゃなくて25年だよ!」
ということで訂正しました。(ごめんねぇ)

また観光客の入れる時間は8時から5時でしたぁ。あはは、すみません。

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ダンナが会社で勤続25周年を表彰され記念品として旅行券をいただいた。

その旅行券で母も一緒に家族5人で富山県の周辺へ旅行を企画していたのだった。

母も孫と一緒に旅行が出来る事が嬉しくて楽しみにしていた。でもダンナの両親が生きていたら一緒に行けただろうに、自分ばかり良い思いばかりして申し訳ないといっていた。母を大事にしてくれるダンナには本当に感謝している。

今回の観光地は宇奈月温泉、氷見、五箇山。
中でも五箇山が一番よかった。五箇山は合掌造り集落で白川郷とともに世界遺産になっているところだ。私達はその集落の一つ相倉集落の合掌造りの民宿「与茂四郎」に泊まった。ここが与茂四郎。




ここに来て知ったのだがあの「こきりこ節」はこの地方の民謡だった。少々早くつきすぎたのだが民宿の奥さんはとても明るい方。「ごめんねぇ。まだ何にも用意していないっちゃ。」

車だけ止めさせてもらって相倉集落を散策。民族館の中には昔の囲炉裏、道具など展示されているのだが合掌造りの2階は面白い。梯子を上って中に入ると昔の養蚕の用具があったり小さな窓から五箇山の風景を見られた。ちょっとした秘密の部屋みたいだ。また合掌造りの家の下では黒色火薬の原料になる塩硝を造っていたらしい。その工程もわかりやすく案内されていて面白かった。

さて、与茂四郎も入ると昔からの囲炉裏と漆黒の柱が目を引いた。夕ご飯は他の宿泊客とともに囲炉裏をかこんで食べる。山菜を中心に岩魚や鯉のあらい(新鮮だから鯉だとはわからなかった!)中には常連さんもいていろいろお話が出来て楽しかった。

その後、星を見に行く。外は窓明かりの他、田園地帯になると真っ暗で星がすごい!あんまり星が多くてどれが星座かわからないくらい。素朴な板のベンチに寝転んで流れ星を期待した。ペルセウス座流星群のピークは5日前くらいだったのであまり見えなかった。でもこんなきれいな星空を見たのは高校の部活の合宿以来だ。

民宿にかえってご主人に伝承の民謡につかわれる「ささら」「こきりこ」の使い方を教わりみんなでうまくいかなくて笑いながら過ごした。いいなぁ、こういう雰囲気って。

母は昔に戻ったみたいで懐かしがっていた。息子達もこういう日本の伝統家屋に泊まるのは初めてだったのでよい経験になった。特に長男はかやぶき屋根の葺き替えは森林組合がやっていることを知って興味深かったようだ。

夜はちょっと早いけど10時に就寝。涼しい風と水路を流れる水の音、虫の音。静かで、小さい頃行った田舎のおじいちゃんの家を思い出した。
五箇山はいいところだったよ。





谷根千めぐりPART2

2007-04-30 23:00:34 | お出かけ・旅行記
薬でちょっとからだはだるいけど・・・
今度は家族そろっていってまいりました。今回は上野から谷中、千駄木だけです。

今日はとってもいいお天気で、あついくらい。

今日の予定は芸大美術館の展覧会の後、谷中のねんねこや、谷中銀座、夕焼けだんだんめぐりコース。でも今日はラッキーな事に上野公園内にある旧東京音楽学校奏楽堂(純情キラリで主人公の女の子が受験した学校のモデル)が公開日だったので中へ入ってみる事ができた。日本で始めてできた音楽演奏会様のホールがあった。

明治23年創立、中には音楽の指導に当たってきた先生や歴史資料などが見られる。日本最初の音楽ホールには大正9年に徳川頼貞候ガイギリスから購入し昭和3年に寄贈したというパイプオルガンがあった。非常にめずらしいものらしい。今でも定期的に演奏会などが開かれているらしいから、いつか聴いてみたい。

展覧会は洋画のさきがけとなった人たちの絵だったが、う~ん、微妙。。。

さて、今回のお目当ては2月にいけなかった可憐堂ねんねこやだよ!
ずっと面白くなさそうな顔でついてきていた次男もこの時ばかりは目を輝かせていた。
うちの家族はみんな猫好き。特に次男は猫が好きでアルバのこともしつこいくらいかまう。

道幅の狭い三浦坂の途中に人の列が!少し待ってお店に入ってみるとそこは猫、猫、猫グッズがたくさん。猫好きの人にはたまらないよ。もう頬が緩みっぱなし~。

あの時片目の猫ちゃんはシンちゃんというのだそうだ。この店の看板猫らしい。でもシンちゃんはちょっと人見知りするらしい。今日はお客さんがいっぱいいたからでてきてくれなかった。

でも他の猫ちゃん3匹に会えた。
きじトラのサンちゃん。
茶白のたくちゃん。
アルバそっくりの茶トラのマー君。
しかし、この猫ちゃん達、でかいのなんの。猫ってこんなに大きくなるのかなってくらい。アルバがまだまだ子猫にみえる。

今日は「猫がいます」と書いてあるアルバそっくりの猫プレートと猫Tシャツを購入。ダンナだけ好みのTシャツのサイズがなかったのでむくれていた。

いつまでもこの猫グッズに囲まれていたいのを我慢しねんねこやを後にした。また千駄木で「菊見せんべい」を買い、谷中銀座へ。次男はここにある「鈴木」というお肉屋さんのメンチカツが食べたかったらしい。でもものすごい行列ができていた。というのもテレビでメンチナンバーワンになったらしくホンジャマカの石塚さんと柳沢慎吾君の写真が店先に飾られていた。テレビの影響はすごいね!

長男はその隣にあるインド料理の店でナツメヤシのドライフルーツがほしかったのだが今日は売っていなかった。残念。長男は食べたナツメヤシの種から発芽させ今20cmくらいの苗に育てた。それをもっと増やしたいのだそうだ。

みんな下町めぐりでよく歩いて疲れたので今日はメンチはあきらめて帰った。次男がかわいそうだったので今日の夜のおかずはメンチカツにしてあげたよ。

だんだん坂の猫ちゃんたちは今日は暑いのかどこかに雲隠れ。3匹くらいしか会えなかった。谷中も最近人気スポットになっているらしく下町めぐりの人たちがたくさんいた。どこかのテレビ局らしき人もきていたっけ。行くならウィークデーがいいかもね。

巾着田

2007-03-10 23:39:28 | お出かけ・旅行記
今日はだんなにワガママを言って巾着田につれていってもらった。

巾着田は埼玉県の日高市にあって川が丸く囲むように流れていてその中の土地が巾着のような形をしている。秋には赤い曼珠沙華(彼岸花)の花がまるで赤い絨毯のように咲き、また春は桜と菜の花、レンゲの花もきれいだ。そんな頃は観光客が大勢訪れる。すごい渋滞になるし出入りにも時間がかかる。

でも私と長男は大勢の人がいるところは苦手である。特に長男はだめ。

一度早春の巾着田を訪れた時があり、のどかな風景が忘れられなかった。早春の巾着田にもう一度行きたかったのだ。

実はちょっとした思い出がある。

その頃、ドビュッシーのピアノ曲「6つの古代のエピグラフ」をフルート、ピアノ、バイオリンでやってみようという話があった。第一曲「パンの神に捧げるために」と題された曲は牧歌的なフルートが主旋律になっていた。

パンはギリシャ神話の牧神。まぁ、私はクリスチャンだから音楽は主イエス様に捧げているけどこの曲をどう表現したらいいかピンとこなかったのだった。

そんな時この巾着田を訪れた。
まだ寒い時期で木々も芽を出し始めの頃、冷たい風が吹くたびに木々がさやさやなり、川のながれる音がする。鳥のさえずり。

そのとき悩んでいたあの曲が頭の中で流れ出した。
ドビュッシーがどんな気持ちで作曲したのかはわからないけど、きっとこんな感じなんだろう。ドビュッシーのメロディーが風の音だったり木々のすれる音だったり川が流れる音、鳥のさえずりとなってきこえたのだった。

(残念ながらバイオリン奏者が降りてしまってこの曲を実演することはなかった。)

だから、巾着田は私にとって「6つの古代のエピグラフ」の曲のイメージなのだ。
今回そのときの風を感じたくてダンナにつれていってもらったのだった。

穏やかな天気に恵まれていろいろな野鳥が見られた。シジュウカラ、コゲラ、キセキレイ、トビ、ハヤブサ(と長男が断言。)

しかし、こんな時、行方不明になるのはいつも長男である。
しばらく彼をあちこち探す。そうして長男はいつもひょっこり悪気もなく現れるのである。野鳥図鑑を片手に散策していたそうだ。ついでに木の種類も調べていたみたい。こういうことが本当に好きな子だ。

次男は川原できれいな石を見つけていた。彼は小さな時から石集めが好きだ。いろんなコレクションをもっている。今日は好みの石がなかったらしい。

秋には曼珠沙華でいっぱいになる散策路ゆっくり歩いて川原に入っていった。川原にできた水溜りに小さな黒いおたまじゃくしがたくさん泳いでいた。やっぱり自然の中はいいな。

写真は巾着田の中を流れる水路わきに咲いていた菜の花。もう少しすると桜とレンゲが仲間入りする。








谷根千めぐり

2007-02-24 23:08:14 | お出かけ・旅行記
昨日はメンタルクリニック検診の日。
ダンナがこの日にあわせて有給休暇をとってくれて、一緒に診察室まできてくれた。

新たに抗うつ剤と眠剤が増える。


その後ダンナは気分転換にと上野の東京都美術館で開かれているオルセー美術館展につれていってくれた。ラッキーな事に会社で招待券を2枚いただけたのだ。
雨降りだったし、金曜日だったからそんなに人もいないだろうと思っていたのに、結構な人出で、絵もなかなか見られない。これが土日だったらどんなことになってるのだろう。

この日はオルセー美術館展の他に楽しみがあったのだ。
上野から歩いての谷中、根津、千駄木の下町めぐり。
この地域は頭文字を取って谷根千(やねせん)と呼ばれる。昔ながらの木造家屋が残っていてちょっとノスタルジックな風景。江戸時代からの神社や明治、大正、昭和時代などの木造家屋があったりする。表札に苗字がいくつもあったから昔からの下宿屋だと思われる家もあった。

私が特に好きなのは谷中でよく行く場所だ。良く猫ちゃんを見かける猫の街。日暮里駅近くには夕焼けだんだんという階段があって野良猫ちゃんたちがたくさんいるのである。谷中銀座は昭和を思い出させるような商店街。

昨日は上野から歩いたのでいつもの反対方面の谷中へ。
上野池之端と谷中の境目くらいにある「EXPO」というお店にいってみた。
ここはダンナが行きたがっていたお店。大阪万博のグッズを初め昭和40年代の雑貨がところ狭しとおいてあって懐かしい。

今回私が一番行きたかったのは谷中の三浦坂の途中にある「可憐堂ねんねこや」。
猫好きが集まる猫グッズがあって有名らしい。この辺は古い坂道や石塀の小道があったりしてなんとなく向田邦子の世界。

三浦坂の途中で猫注意の標識が見えたらそこが「ねんねこや」である。
でも2月は猫的生活に合わせるため休業中だった。(泣)
でも、ねんねこやで飼っているらしい片目の猫ちゃんがあいさつにでてきてくれた。「また来てくれニャ」といっているように私達の周りをぐるぐるしていった。

しばらく歩いて千駄木方面へ。森鴎外が好きだったという老舗「菊見せんべい)でおせんべいを買い、近くの珈琲店「乱歩」で休憩。「乱歩」はマスターが江戸川乱歩の大ファンであるらしい。お店は雑貨が雑然と置いてあり、ジャズがながれ、看板猫のリョウちゃんがいる。小説の舞台にもなったところとか。

ダンナと手をつないでの散策は楽しかったし心がとても暖かかった。
暖かくなったら、今度こそ「ねんねこや」へ行ってみようとダンナが言ってくれた。



西沢渓谷

2006-08-18 00:14:13 | お出かけ・旅行記
山梨県の西沢渓谷に日帰り旅行にいってきた。
今回は渓谷沿いのハイキング。だんなの強いご希望であった。

しかし、最近パニック発作の予期不安みたいなものを感じなんとなく外出したくなかったので、この日帰り旅行もはじめはあまり乗り気じゃなかった・・・。

が、自分の要望は押し通すのがだんなである。「ほんとにいいところだから」、「きれいなところだよ」、「渓谷沿いをハイキングするだけだから」と毎日のように説得されていく事になってしまった。

秩父のほうから2kの長~い雁坂トンネルを抜けて西沢渓谷へ。
緑がきれ~い!空気がおいし~い!いざ、ハイキング!

こんなところ。水の色が美しい!


でも、甘かったのだよ。これから大変なハイキングコースが!


確かに景観はすばらしいです!でもね・・・この写真の上の部分の人がいる辺りの道は幅1mありませんからぁ~!命綱ならぬ命鎖をつかまってあるきます。しかもい岩場が多くぬれているのですべる!(怖いよ!)で、道の脇は崖!何?!これ~!
途中から景観を楽しむ余裕などなく、ひたすら平坦な道があることを願いつつ歩き続ける。平坦な道どころか!ひたすら上り坂~!もうちょっとした登山。

休み休みやっと「西沢渓谷終わりまであと100m」のところまでくる。でもその100mがぁ~!!!全部上り坂。しかもいままでよりきつい!だんな!聞いてないよ~!周りの人を見るとやっぱりフーフー言いながら登っていた。中には赤ちゃん連れの人もいた。きっとこんなハイキングコースだなんて思わなかったんだろうな。

つり橋を渡って川の向こうへ。やっと歩きやすい道に出た。昔のトロッコのレール跡をひたすら歩く。少し落ち着く。いい眺めでずいぶん登ったのがわかる。山紫陽花がところどころに咲いていてこんな虫を見つけたよ。


体調2cm。はじめは蜂かと思ったが、形がカミキリムシに似ていた。後で調べたら「ヨツスジハナカミキリ」だった。こんなに小さくてきれいなカミキリムシは初めてみた。白い小さな山紫陽花の花が点々と咲いていたが、ここはシャクナゲの群生地でもあるらしい。きっとその花の季節はきれいだろうな。

しばらくいくと「ひこいっちゃんころばし」という場所に着いた。なんだか日本昔話の名前みた~いとほのぼのして名前の由来を読んでみるとどうやら昔彦一さんという人が仕事中に崖から落っこちて負傷したということらしい。
この他にも[何とかころ橋」というところがあった。ほんとに崖ばっかりでトロッコのレールはところどころと切れていたり壊れていたり、まるでドンキーコングのゲームのトロッコのレールそっくり。

西沢渓谷をぐるっと回るようなハイキングコース3時間半。上り坂はきつかったけど良い有酸素運動にはなったかもね。健康も安全も守られこと、また自然の美しさを主に感謝!

富広美術館、草木湖周辺への旅

2006-05-06 01:53:27 | お出かけ・旅行記
4日家族で小旅行へ行ってきた。

渋滞を避けて今回は高速を使わなかった。ずっと下の道を走って3時間足らずで群馬県みどり市へついた。みどり市の草木湖周辺にはわりと観光するところがいっぱいある。ちょうど今、八重桜が見ごろで山は芽吹き始めたといったところ。鶯のきれいなさえずりがあちらこちらで聞こえた。ラッキーな事に国の天然記念物、オオワシもかなり近くで見る事ができた。

今回の旅の目的は星野富広さんの詩画作品を展示している富広美術館だ。星野さんのことは高校の教科書などにも載っているのでこの方のことを知っている人は意外と多いんじゃないかな。

これが星野富広さんの簡単なプロフィールだ。
群馬県勢多郡に生まれる。大学卒業後、中学校の教諭になるが不慮の事故で手足の自由を失う。入院中、キリスト教の洗礼をうける。わずかに動く口に筆を加えて絵画を描き続けている。

ペンと水彩絵の具をつかい、繊細な線と色とで描かれた花はやさしい、やさしいという表現がぴったりの花の絵だ。見るものを優しい気分にしてくれる。また添えられた詩も良い。そのときの富広さんの心情がよくわかる。

また、おもしろいことに美術館の館内はすべての部屋が丸い。それがまた心地よい。足元のほうに丸い嵌めころしの窓があり、タンポポなどの外の草花が見えるようになっている。そこがなんとも自然といったいに考えられているような感じがしていいんだな。

そんな中で富広さんの絵を見ているとなぜだか聖歌232番がおもいだされた。「日もすがらあかしせん、夜もすがら主をほめん。」星野さんの詩には聖書の話や神様のことに触れているものがある。そんな彼の詩画をみていると232番の歌詞のように昼も夜も神様が作られたこの草花をいつくしみ愛でて筆をもって讃美しているように見えるのだ。

富広美術館のあとは童謡ふるさと館へ。ここは小さな子供さんがいる方にはお勧め。ここは『うさぎとかめ』などの作詞で知られる石原和三郎の顕彰と童謡文化の普及振興のためにつくられたそうだ。中に入ると、童謡劇場や童謡ライブラリィ、ボタンを押して動く木の仕掛けや子供がすきそうな展示物もある。

童謡ふるさと館の案内に『たからもの、見っけた!』というキャッチフレーズがあったが、本当に私はここで宝物を見つけてしまった!

何かというと、入り口のすぐそばにあるオルガンだ。
感動した!なんと足踏み式のオルガン。売店のおばさんが60年前ぐらい前のものかしらといっていたが、木でできていて、鍵盤は古さを感じさせるような黄ばんだ色になっていた。メーカーはYAMAHAだった。大人の肩幅ぐらいの小さなオルガン。

和三郎が小学校の校長していたとき、そのころ珍しかったオルガンを購入し、児童に歌を教えたのだそうだ。そのときのものなのか定かではないが、じかにオルガンに触る事ができしかも弾いても良いというので弾かせていただきましたよ、『聖歌384番』を(これしかひけない)。

いい、いい、すごくいい音。空気の奏でる音だ。いいなぁ~。でもなかなかむずかしい。足踏みをやめるととたんに音が出なくなるのだから。こんなアンティークものを弾けるなんてすごい贅沢だ。それもみんなが弾いていいのだ。子供も面白がって弾いていくのだそうだ。きっといい経験になるだろうな。

その後は、だんなの強い希望で、今は廃坑になっている足尾銅山を見学。トロッコ列車に乗って坑内へ。プラットホームからは歩きで坑内を見学する。昔の作業風景を再現した人形が配置され各時代の作業の流れを見る事ができる。

なかなか勉強になると思ったのだよ。最初は。
トロッコまでは良かった・・・。トロッコをおりてはたっと気がついた。
私、だめだったんだぁ~!。こういう空間がぁ~!。
狭い、暗い、しかも大人数だからなかなか早く進まない!みんな牛歩だよ!逃げ場がない!もう怖くなってくる、苦しくなってくる、発作起きる前に外に出なくちゃ~!!!という事でじっくりトンネルの中を見学している人の間をすり抜けながら子供の事はだんなに任せて私はそそくさと出口へ。怖かった~。

だんなはこういうところが好きなのでじっくりと見ていましたよ。(何で?!)その後、銅を作っていたと思われる廃墟となった工場後の周辺をドライブ。だんなは嬉々として『すごい!機能美だ!』と感動しまくり!(どこが?!

足尾銅山坑内はもう嫌だけど、この周辺は結構まだまだ見るところがいっぱいあるみたい。また機会があったらいきたいな!という小旅行だった。

月島界隈

2006-03-09 21:50:10 | お出かけ・旅行記
今日は母と月島へいった。
月島は私の両親が結婚してはじめて住んでいたところだ。私が母のお腹にいたころだったから、私は月島の事はまるで知らない。それでも両親が昔住んでいた町というだけでも感慨深いものである。

先日、母が書道家であった父の昔の作品がでてきたので取りに来てほしいという連絡を受けた。連絡してくれた方は月島の父の書道の先生だった。6年前に父は他界しているので、私と母が取りに行くことになったのである。

有楽町線・月島駅で降りて、出口7番をでると「もんじゃストリート」でおなじみの西仲通りがある。本当にたくさんのもんじゃ焼きのお店が軒を連ねていてほのかにもんじゃの香りがしてきた。

約束の時間より大分早めについたので、もんじゃ焼きでも食べていこうといい、母が地元の人をつかまえて、どこの店がおいしいのか聞いてみた。地元の人は少し困ったような顔になり、「地元の人間はあまり行かないのよねぇ」という。

いつだったか、札幌に住むいとこに「雪祭り、見に行った?」と聞いた時、「地元の人間は行かないのよね。」と同じようなことを言っていたのを思い出した。そんなものなんだな、どこでも。

昼の1時ころだったが、あいているもんじゃの店は少なかった。ほとんどの店は夕方5時頃から開店だそうだ。「たんぽぽ」というかわいらしい名のお店で感じのいいお店のお姉さんにもんじゃ焼きのご指導を賜り、食べた。ソースの焦げる匂いが食欲をそそる。「たんぽぽスペシャル」はおいしかった。

その後、父の師匠のところに作品を取りに伺う。師匠は83歳になるらしい。父の作品を箱から出して見せてくださった。父は雅号(書道家の名前)を何回か変えておりその雅号から20年前の作品であることがわかった。

書は面白いものでその人の性格が出ていたりする。作品は隷書体ですっきりとした強い線で書かれていた。生真面目で頑固な父の性格が現れていた。
さすがは父だ、うまいな。作品を見ながら父が元気でいたころもっと教えてもらえばよかったと思った。

「ここら辺もずいぶんと変わったねぇ」
「お前がおなかにいたころ、聖路加病院で腹帯をしてもらったんだよ。」と母が懐かしそうに言う。

父と母が昔住んでいた晴月橋のちかくは今では晴海アイランドトリトンスクエアになっている。

母が通った聖路加病院は昔からのチャペルがあり誰でも入ることができる、新しくできた聖路加タワーの最上階は展望室になっていて月島、佃島がよくみえる。

佃島の佃煮の老舗「天安」から住吉神社・佃公園あたりは昔の面影があるのだが、その先は高層マンションがたっている。新・旧が同居しているといった感じだ。昔の月島・佃島はどんな感じだったろうか。

ちょっと路地をのぞいたら、結構昔の家があるんだな。狭い路地の向こう側に昭和の時代の若かりしころの両親の姿を垣間見た感じがした。