30日の土曜日、御茶ノ水クリスチャンセンターでアメリカで私が洗礼を受けた日本人教会の帰国者の集まりがあった。
私達の日本人教会は小さな群れだったが、教会員のほとんどが駐在員家族として滞在していたから帰国にともない、流動が激しく3、4年で教会員のほとんどが入れ替わってしまう事もあった。しかし、毎年2回は洗礼式がおこなわれるなど、それぞれの人に働く神様の導きには本当に驚くばかり。牧師先生は最初この流動に心を痛められていたがこうして海外で信仰を与えられたものが帰国していくすがたに、タンポポの種が風に乗って飛んでいく姿にイメージをもたれて、日本でしっかりとクリスチャンとして根付く事を願いその働きをタンポポミニストリーとよんでいる。
こうして毎年帰国者が共に賛美し、集まりその頃の話をしたりそれぞれの神様の恵みをわかちあったりするのである。今回はスライドを通して宣教の10年をふりかえった。
私達家族がその教会に集ったのは2年と本当に短い間であったがその間に数え切れないほどの恵みを受けクリスチャンホームとなれたのは感謝である。(興味のある方はカテゴリーの証をよんでね)
スライドでは牧師家族の宣教の開始から、クリスマスやイースター、洗礼を受けられた方々の写真が写され、その時、その時、神様がときにかなって奉仕者を与えられたり、必要な物事が与えられていた事がわかる。
もちろん私達の洗礼時の写真もあった。写真を見るとそのときの気持ちや教会に行くようになったいきさつがよみがえり胸が熱くなった。
そして、ワーシップソングでの賛美。
日本の教会ではまだまだ聖歌・讃美歌が多く使われているが当時の私達はワーシップ・ソング(コンテンポラリーゴスペル)を用いての賛美だった。みんなの歌声は一つになり心も一つになり神様に賛美をささげる。そういう時、単に気持ちが高揚しているわけではなく、自分たちの歌声に酔っているわけではなく、なんともいえない気持ちになる。そこに神様の臨在を感じるのだ。
久しぶりに会ってたくさんの兄弟姉妹(クリスチャンたち)とお話しすることができた。ただ、たくさん話したい事があったのにここのところ人との交わりを避けていたので、ちょっとうまく話せなかったかな。
アメリカから帰ってきて何年もたつとあの時の事が夢のような感覚になってくるのだが、久しぶりにその頃のメンバーに会えて時が戻ったようだった。ただ私が教会学校の教師として教えていた子ども達はすっかり大きくなってびっくりしてしまった。その頃赤ちゃんだった子もいるのにもうお話ができるくらい大きくなった。
しゃべった事で少し疲れが出たが、それとは逆に心の中に何かパワーをもらったような気がする。
神様がくれた最高の時。感謝。
私達の日本人教会は小さな群れだったが、教会員のほとんどが駐在員家族として滞在していたから帰国にともない、流動が激しく3、4年で教会員のほとんどが入れ替わってしまう事もあった。しかし、毎年2回は洗礼式がおこなわれるなど、それぞれの人に働く神様の導きには本当に驚くばかり。牧師先生は最初この流動に心を痛められていたがこうして海外で信仰を与えられたものが帰国していくすがたに、タンポポの種が風に乗って飛んでいく姿にイメージをもたれて、日本でしっかりとクリスチャンとして根付く事を願いその働きをタンポポミニストリーとよんでいる。
こうして毎年帰国者が共に賛美し、集まりその頃の話をしたりそれぞれの神様の恵みをわかちあったりするのである。今回はスライドを通して宣教の10年をふりかえった。
私達家族がその教会に集ったのは2年と本当に短い間であったがその間に数え切れないほどの恵みを受けクリスチャンホームとなれたのは感謝である。(興味のある方はカテゴリーの証をよんでね)
スライドでは牧師家族の宣教の開始から、クリスマスやイースター、洗礼を受けられた方々の写真が写され、その時、その時、神様がときにかなって奉仕者を与えられたり、必要な物事が与えられていた事がわかる。
もちろん私達の洗礼時の写真もあった。写真を見るとそのときの気持ちや教会に行くようになったいきさつがよみがえり胸が熱くなった。
そして、ワーシップソングでの賛美。
日本の教会ではまだまだ聖歌・讃美歌が多く使われているが当時の私達はワーシップ・ソング(コンテンポラリーゴスペル)を用いての賛美だった。みんなの歌声は一つになり心も一つになり神様に賛美をささげる。そういう時、単に気持ちが高揚しているわけではなく、自分たちの歌声に酔っているわけではなく、なんともいえない気持ちになる。そこに神様の臨在を感じるのだ。
久しぶりに会ってたくさんの兄弟姉妹(クリスチャンたち)とお話しすることができた。ただ、たくさん話したい事があったのにここのところ人との交わりを避けていたので、ちょっとうまく話せなかったかな。
アメリカから帰ってきて何年もたつとあの時の事が夢のような感覚になってくるのだが、久しぶりにその頃のメンバーに会えて時が戻ったようだった。ただ私が教会学校の教師として教えていた子ども達はすっかり大きくなってびっくりしてしまった。その頃赤ちゃんだった子もいるのにもうお話ができるくらい大きくなった。
しゃべった事で少し疲れが出たが、それとは逆に心の中に何かパワーをもらったような気がする。
神様がくれた最高の時。感謝。