等覚寺からどんどん奥へ行くと、
昔からの山伏さんたちの修行の場「青竜窟」にいきます
青竜窟に上がる法面に咲いていたお花たち
名前がわかりませんが可愛かったです(^^;
去年ここでゲンノショウコの白花さんに会えました
アカバナとはまた違った雰囲気です
ちゃんとお神輿も担いでいました
ちょっと優雅です
ヤマハッカだと思うのですが、ちょっと濃いめの色
こちらはちょっと薄めの色合い
苅田町のHPによると
青竜窟は…
1962年に国の天然記念物に指定された、
全長約3km、平尾台最大規模の鍾乳洞です。
1976年には、ナウマンゾウの頭蓋骨化石が出土しました。
普智山等覚寺の奥の院として
修験道の修行場になっていた歴史があります。
また、洞窟内に住んでいた土蜘蛛を
景行天皇が退治したという伝説や、
豊玉姫の伝説が伝わっています。
洞口ホールには、豊玉姫を祀る祭壇が残っています…
青竜窟は…
1962年に国の天然記念物に指定された、
全長約3km、平尾台最大規模の鍾乳洞です。
1976年には、ナウマンゾウの頭蓋骨化石が出土しました。
普智山等覚寺の奥の院として
修験道の修行場になっていた歴史があります。
また、洞窟内に住んでいた土蜘蛛を
景行天皇が退治したという伝説や、
豊玉姫の伝説が伝わっています。
洞口ホールには、豊玉姫を祀る祭壇が残っています…
かなり上級の洞窟 一般人には奥までは無理の様ですね
σ(^^)も観ました~
全国版でも放送されたんですね
ここは必ず資格のある案内の人が付かないと入れない鍾乳洞らしいです
距離も長いけど、
途中這いつくばって歩かないといけないところもあるらしくって
σ(^^)の体型ではむりだとおもいました
何で福岡県に京都が?
と思いました。
調べたらみやこと読むんですね。
景行天皇の伝説から来ているんだ。
苅田町もかんだまちと読むんですね。
土地の呼び名一つにも、
歴史のロマンを感じます。
昔、朝鮮半島に出兵した時には、天皇が兵と一緒に行幸して
山口とか北九州に3年とか5年とか仮宮を立てたらしいのです
意外なことに行幸跡とかいう場所が多いです
そういう遺跡があるのは京都や奈良とかだと思ってました
京都郡は、古いお神楽もちゃんと伝承されていて重要文化財に指定されていたり、
等覚寺の松会のような行者さんの行事が伝承されていたり、
文化的な遺産が多いです