池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

空間の歴史(26)

2019-01-29 16:06:13 | 日記
日曜日の朝の電車は空いていた。話す人はおらず、皆黙って、じっと無為な時間に耐えている。

池袋駅に到着したのは七時半だ。調査員の話では、息子が姿を現すのは八時過ぎだ。私は缶コーヒーを買い、少しずつ口に含みながら、西口広場を一周した。息子らしき人物は見当たらなかった。

コーヒーの空き缶を回収ボックスに放り込み、今度はキオスクで新聞を買った。広場の端に立ち、新聞を読むふりをしながら、広場の様子を観察した。

五分、十分、十五分……私の視線に、赤いジャンパー姿の男が飛び込んできた。階段に腰を下ろし、下を向いている。私は新聞を閉じ、階段の真横に回った。男の顔をよく観察するためだ。適当な距離で立ち止まり、再び新聞を開く。横顔だけなので、断定はできないが、かなり写真の顔に近い。

男が顔を上げた。(やはり、そうだ、息子だ)と直感した。
新聞をカバンの中にしまい込み、息子に話しかけるために近寄る。
すると、息子と思しき男は、すっと立ち上がり、駅前ロータリーに向かってすたすたと歩き始めた。私も続く。

(どうしよう、いつ声をかければいいのか?)
そう考えているうちに、男は横断歩道の前で立ち止まった。赤信号なのだ。
(よし、話しかけるのなら今だ)と考えて、足を速めた。すると、信号が変わり、男は再び歩き出す。私もついていく。

不思議な距離感だった。私が少しだけ歩く速度を上げれば、すぐに追いつく程度の距離だ。しかし、なぜか私の足取りはぎこちなく、なかなか前に進まない。

男は、繁華街へと入っていった。もちろん、日曜日の朝にこの付近を歩く人は少ないが、それでも、気を緩めればすぐに見失ってしまうかもしれない。私は、もつれそうになる足を必死で動かした。

男が右に寄れば、私も右側にコースを変え、左に曲がれば、あわてて左旋回する。
そんなことが何分も続く……

私は、まだ歩いていた。
しかし、私の前に、あの男はいない。いつの間にか視界から消えた。
それでも、私は、自動機械のように歩いている。

私の頭に、漠然と、あのビルの地下にある小さな穴が浮かんできた。



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