himeGoto

高度生殖医療、体外受精で妊娠!主に出産までの記録をしていきます。

一番良い時を永遠の淵まで繰り返すこと

2005-10-29 | Weblog

二日連続で、知人のカップルと食事をする機会がありました。
学生時代に知り合って、そのまま結婚した瑠美ちゃん夫婦。
私の主催飲み会で知り合った、泉と麻子。もう2年だってね、早いねぇ。


的確な言葉が見つからないのですが、
癒されたというか、心地よくさせてもらったというか。
両カップルともすごく良く合っていて、
そこにいるのが当たり前なんだけど、強くつながっているというか、
支えあっているというか。
その場に一緒にいて気持ちが良かった。


秘めGoto
つい最近まで、私の一番良い時は大学時代だと思っていた。
一番良い時に一緒にいた雅也を今でもとても大事だと思うし、
パパスのみんなや、バミの仲間たち、もちろん麻子たちが財産。
無茶し、素直であり、たくさんのことを考え、学んだ時代。


だけど。
両カップルを見ていて、結構今だって良い時なんじゃないかと思ったのです。
学び、深め、使い分け、人生の選択を自分で(時には相手と)する時代。
二人にとって、とても良い時に見えたからだなあ、きっと。
大学時代とラブラブの意味合いが変わってきたからだなあ。


成長しました。

人間の深みが増してきて、とても良い時。
寛子や麗子の芝居。
なおの写真。
泉の絵。
日々の仲間たちとの会話。はるとの会話。

―良い時―


訂正しようかな。
私の一番良い時は、大学時代のみではなく繰り返しやってくるみたいです。
永遠の淵までそれは繰り返されていくのでしょう。
そうだといいなあ。
今という永遠。
一番良い時。
満たされて、幸せだという証拠。
どうもありがとう。

あなたと、あなたたちと一番良い時を過ごせて幸せです。



余談。
モンゴル800の「永遠の淵~」というところにいつも心打たれます。
同じ言葉を言っても足りず、それが涙になるところ。
でも喜びも込み上げて、さらに言葉にならなくて抱きしめるところ。
そういう相手に出会えたかな?瑠美ちゃん、イッシー。
改めて結婚おめでとう。


永遠の淵まで一緒に。


生命の営み

2005-10-25 | Weblog
もちろん、時代のせいもあるでしょうが性的な言葉を言い出す認知症の人は多いです。
男女問わず。
もともとが、しっかり、きっちりしていた人に多いような気もします。
奥さんが亡くなった途端に、性的な言葉を並べるじーちゃん、
女を呼んでくれよ。もむのはそこ(肩)じゃないよ。御年84歳。多分それくらい。
さも“教え”のように生命の営みとは何かを諭すばーちゃん、
Sexって言うのはね。求められてなんぼ。御年80歳。多分それくらい。
認知症っていうのを理由に笑って流されたりするけれど、
それだってその人を形成しているアイデンティティだと思いますけど?
心が狭いのかもしれないけど、私は多少軽蔑します。
それがその人を理解するっていうことの一部だと思うから。


恋人(あるいは妻)に体を(ほぼ毎日のように)求めて、
それを拒まれると、どうしようもなく不安になって、
その不安感を怒りとして表現する男性がいるようです。
聞いたところ、今までの数少ない交友関係の中で3人。
正直に話してくれた数がそれだけなので、
実際はもっと多いのかもしれない。
とても私は困惑します。

困惑。混乱。どうして?


まあ、それで“求められている”自分に安心する女性も多いようですが。
私の周りの情報。


0か100かの偏見をとてもとても持っていて、
それと同じように「ハダニフレルコト」にも0か100かの“反応”を持っているようです。
まんべんなく色んな人にボティタッチできる寛子さんをすごいと思うし、
私は触る触らないがはっきりしすぎているから。
勢いや寂しさを理由に体を許す友人が予想以上にいて困ります。
ねえ、おばちゃんはほんとに心配だよ。
もう私たちも大人になったから、それなりの考えや責任はあるんだろうけどさ。
「体を許す」っていう感覚さえ間違っているのかもしれないけれど。
Hすることでしか安心感を得られない男性も困り者です。
“オサナイトキニアイヲアタエラレナカッタ”後遺症ですか?

でもね結果傷つくのはあなたたちなんだと思うのだけれど?
でも傷つかないで「それならそれで」と思うらしいね。
それかそこまでよく考えなかったりするらしいね。
それでいいのかな。

困惑。混乱。どうして?


そこで、私なりに考えてみたんだよ。
ここで考えたりする私が良くないのかとさえ思います。
考えなかったらHをスポーツとして楽しめるの??
カレシイガイノヒトトナンテカンガエラレナイ。
言葉にすると馬鹿げているようにも聞こえますが
本当にそう感じる私が馬鹿みたいに思えてきます。


私は反応がはっきりしすぎているのかもしれない。周りより。という結論。
パパは触れないけど触られるのは平気。
シゲは触れないし触られるのも絶対いや。
貴弘は全然触れるし触られても平気。
栗原さんは触れない。
本橋さんはむしろじゃれる。
江口さんは一緒の場にいるだけで十分。
政田さんには寄り添える。
でもみんなとHするのは絶対いや。気持ち悪い。
見たくない。見せたくない。触りたくない。
でもみんな私の大事な宝物。同じ量の大切さ。失くしたくない友達。男友達。
もちろん知り合い、知り合いじゃないに関らず存在する感情だと思う。
そういう感覚なんだけれど、
みんなはそこまではっきりしてないのかな?
「絶対いや」っていう感覚のボーダーラインが違うのかな?
それとも私が古風っていうものなのかしら。


確かに「大野は男友達と泊まっても、その友達が手を出さなさそう」らしく、
じまは言葉上は私と同じ感覚だけれど「じまは違う」らしい。


そんなに寄せ付けないオーラがやっぱり私にはあるってことでしょうか。
なおに以前指摘されたオーラです。
そのオーラはとても自身で自覚はしていて、
人を「キル」ことを簡単にしてしまいますが、
でも人なつっこい自分も自覚していて、
人間の多面性について自身で気付かされています。


少しずれましたが、
生命の営みということが簡単なことなのか尊いことなのか、時々分からなくなります。
時代背景とかも影響してそうだからな。
尊厳、本能、自身のステータス、社会的強制、ソンナムズカシイコトデハナイコト。
でも、やっぱり大事な大事な友人たちには傷ついてほしくなくて
できれば事前に防ぎたいような気もして、
昔SILVAという歌唄いだったかな、言った言葉。
『好きな人とすると無条件にすごく気持ちがいい』。
男性にその感覚があるかどうかは分からないけれど
きっと女性はそういうことなんだと思うんだ。
本能的に。女性という性的に。
科学が進んでも大事にしたいところ。
生命の営みって諭してる場合じゃないんだよ。
諭してる時点で自身のステータスの自慢だけなんだよ。


だから。
その場の納得じゃなくて、
尊い継続的な気持ちでの快楽を。

姫の訴えGoto。

それで幸せならいいのだけれど。
相談して、指摘されて悩むようなら。。。

お願い。



余命3ヶ月と志向とヒトノチカラでの気付き

2005-10-13 | Weblog
あなたの命があと3ヶ月だったら何をしますか?

人の判断基準に使う質問です。
以前恵理子から発信された問いかけですが
実際私も周りに少し調査をしました。


その当時、私の答えは
各仲間たちとそのメンバーに合った場所に旅行に行き、
写真を各々と撮り
全て終えて帰ってきたら、その各々に手紙を書き
最期に仲間全員を一カ所に集め、
一人ひとり、その子がどれだけ素晴らしい子かを説明する。
全部紹介し終えたらそこで終わりで良い。
そんな考えでした。今でも大差なくそう思います。


私には「海外志向」というものがほとんどありません。
でも私の周りの友達たちは、この志向を持っている人が多いように思います。
余命3ヶ月の一部で「海外に旅行する」と答えた人が随分いました。
私には全く無い感覚。理解に苦しむほど。
国内は隅々まで行きたいとは思うんだけれど。


今日、劇団四季のオペラ座の怪人を観てきました。
「デキる女になる」キャンペーンの一環。
良かった。伝わった。すごかった。感動した。また観たい。
本当はもっとたくさん吐き出したいけれど
以前パパのことを褒めた昔の私に怒られそうなのでやめます。
たくさん気持ちを込めて拍手をしたけれど
それだけじゃ足りない感覚。
どうしたらいいんだろう?
もっともっとこの舞台を作った人たちに伝えたかった。
興奮と感動と感謝を。
でも拍手しかできないのが今日はとても無力に感じた。
でもそれだけ拍手って、万国共通で尊いことなのかもしれない。
それに気付けた。


映画や舞台が私は好きです。
ヒトノチカラ、というものに触れるのが好きなのだと思います。
内容によって、観たいと思うものはまたまた0か100かに分かれるんだけれど。
だから、評論家ほど精通している訳ではないし、
趣味の範囲は出ないと思う。
それでも映画や舞台に高いお金を払って足を運びます。
マイナスの因子はそこにはありません。


今日、舞台を観ていてそこで気付いた。
今、「海外志向」と同じ感覚なのでは?
余命3ヶ月で、仲間たちとも十分交じあえたら
許す限り良き舞台に映画に触れたいなあ。
ヒトノチカラ。
私もヒトであるということ。
オナジヒトガツクリダスモノ。
ユウキ、キボウ、ソンナカンタンナモノジャナイモノ。
伝わりたい。
これかなあ。


…さて、次は何に触れよう?
今とても貪欲。



himegoto。 (姫の余談)
3ヶ月で「彼女(または彼氏)とずっと一緒にいる」と言った人たち。
すごいね。すごいと思うよ。
それも私にはない感覚。
逆に少しうらやましいような、でも「違くない?」と思うような。
私だったら、各仲間の旅行全てに
彼氏を連れて行きたいとは思うけど。
生きた証を彼に全部見ておいてもらいたいと強く思う。




でもまあ、どっちにしろ、幸せな人生だったらそれでいいよね?



アゲハ蝶

2005-10-01 | Weblog
ポルノグラフティーのアゲハ蝶という曲がとても好きです。
言い回しとか、雰囲気とか、熱いのに的確とか、ストレートなのにしつこくないとか。


姫Goto。
今日、新たな一歩を、という気持ちではいて、
まあその気持ち程度だと思ってはいたけど、目に見えた変化があった。
まず、事務職の制服が冬服になっていた。
9月までの書類が整理され、新たな書類が始まっていた。
そういう目に見える実感。
そうだ、4月1日採用だから、ほんとにほんとに4年半。
この地で働いたんだと思った。
大学よりも長く同じ場所にいるんだ。
たまたま業務で、とみばーのいたケアセンターへ働きに行った。
その窓から見える景色は全く新しいものだった。
すごく仲の良いばーちゃんと会って少し安心した。
4年半の積み重ね。
それでも、なんだか今日の景色は全く違かった。


『世界が表情を変えた』


アゲハ蝶にあるように、そのくらい大きな出来事、転機、だったのかなあ。

何もかもが新しくて、
でもちょっとしたことで泣きそうになって、
それでも、みんなに手を振り、生きた証を実感しています。


戯言。
以前、雑誌の占いで
「水瓶座の財産は人脈」という一節がありました。
私には、表現の場も舞台も夢もそういった目に見える財産はないと思っていた。
そういう財産のようなものは何もないと思っていて、
持ってるみんながとってもとってもうらやましいと常々思っていた。
けど、確かに私には人とつながっている財産があると気付いた。
それだけできっと十分。


さあ、やっぱりがんばろう。
負けないように。


1ヶ月の習慣と新しい切り替え

2005-10-01 | Weblog

9/30

おそろしいもので、朝、行ってきますとはるにキスをして
「さあ、今日も直とお別れのいい時間を過ごそう」と妙に気合が入った。
一瞬だったけど。
1ヶ月の習慣。
自分でもビックリした。
散々泣いたのにね。


9/29

写真を現像して、とても良い写真がいっぱいあった。
それですごく嬉しくなって、一人で乾杯していたら
まあ、調子が良かったのもあるけれど
哀しくなってきたので、お酒の力を借りた。
借りたくらいじゃ済まない。もらった、の方が合っているかな。

最近、お酒で記憶をなくしたことはあるけれど(まあいつもだけど)
たまに記憶が残っていることが増えた。
それは頭の中に残っているのではなく、文章として残っているんだ。
記憶が残っている、とは言わないかもしれないけど。
掲示板に書き込みしているし、はるのブログにも半ば意味が伝わりにくい文章を残している。
翌日結構ビックリする。
それに関係しているのは、なおとはるの何かがあった時で
他の友人の時は出てこない。

多分、土台ができていると言っても、ペースができていないのかな。
「ばいばい」と言って別れても全く終結していないんだ。
離れたりなくなったりするのが嫌で「残す」ということを口実に
ただただもがいているだけなんじゃないかと思う。


想い出に浸るというのはとても気持ちの良いことなんだけど。
でもそれだと前に進めないんだよね。
新しい場所でがんばる直に会わす顔がなくなってしまうよね。


そうだ、忘れてた。「デキる女」を目指すんだった。
またまた悪い癖。
好きな人たち依存症を発症させるところだった。


10/1

今日から新しい月になりました。
ここで切り替えないとダメになってしまいそうです。
大好きな人たちの存在と想い出を胸に、
うじうじばかりしていないでがんばります。

どうもありがとう。