himeGoto

高度生殖医療、体外受精で妊娠!主に出産までの記録をしていきます。

残せないものの中で独占についてのみ残すこと

2005-09-21 | Weblog
それにしても、楽しかったぞ河口湖。
それがどれだけ楽しかったか、全ての人に話したいけれども
やっぱり残すものと残せないもの。
難しいんだなあ。


姫Goto

人には独占欲というものがあります。
その欲は人それぞれ、家族や恋人や食べ物や宝物なんかに表れます。
私は恋人の独占欲による束縛が大嫌いで、
でも逆に「私はあなたのものです」という意識を人一倍持っているつもりです。
自分が束縛されたくない分、
恋人を束縛するようなことはしたくないとも思っています。
食べ物も宝物もそこまで強い執着や独占欲はないつもりでいます。

それでも、私が唯一独占欲の表れるもの。
好きな仲間たち。
これだけにはとても強い欲を持っています。
「私がこの素敵な仲間たちの輪の中にいて、一番の楽しい時間を一緒に過ごしていて
みんなのことをよくわかっていて、みんなも私をわかってくれている」
と勝手に思ったり勝手に感じたりすることに、とても快感をおぼえます。
それが実際事実であるかどうかは問題ではなく、
その瞬間に私が感じることでこの独占欲は十分に満たされていきます。


ところで、なおとはるにもものすごい独占欲があったことを
二人のいがぐりはご存知だったでしょうか?
もちろん、旅そのものがとても楽しかった。言葉以上に。
でもその道中、このお馬鹿で、“気兼ねない”、心地よい空気の二人を
独占していたことにこの上ない喜びと充足感を感じていました。
二人は私のものだし、私は二人のもの。
そう感じながら、私は幸せな気分に浸っていたのです。
楽しかったよ。


残せないものの中で、このことだけは残しておきたいと思った。


なぜでしょう?
独占欲ってあまりきれいなものではない印象。
でも伝えたかったのかなあ。
独占していると同時に独占されていることを。


アナタノモノ。アナタタチノモノ。

マーキスとパイプと空気

2005-09-14 | Weblog
「パイプの強さ」。
うまいこと言ったものです、のりこさん。


姫 ゴー トゥー ボーリング

3日経ってようやく痛みはおさまってきました。
(もちろん翌日に痛みはきましたよ)
3ゲームやるとこんなにガタがくるものですかね?
右薬指に繋がる健だか筋だかが特に痛みを感じました。
伸びないのに張っている感じ。

でも久々とっても楽しかった。

先日のマーキススポーツ大会、
恵理子も雅子もとても喜んでくれました。
久々体を動かして楽しかった、というのももちろんあったと思う。
でも、お兄様方の空気にはいつも脱帽です。
その空気に楽しかったと言ってくれているのはもちろんですよ。
そりゃ、コンパも自信をもってすすめます。

空気。

姫goto。
お兄さんたちの中にいるのね、
すごく心地よいんだよ。
あれ、何だろうね?
付き合いの長さ?
一緒の趣味?
テキカクナコタエ
「パイプの強さ」
それですね、きっと。
のりこさんが去年の忘年会で話した言葉です。
それに惚れて私はマーキスのお局となりました。

就職して1年目の冬、
仕事にもプライベートにもとても苦しくて
何の希望も、今という永遠も欲しくなかった。
その時に、ただ雅也の野球を見たくてついていった先がマーキスでした。
他に知っているのは泰兄さん、平井兄さんくらいで
遠慮しつつもゲームをベンチから眺めて
芝生と野球を見て、その風景に
「私の帰る場所はここだ」と心底感じ、
救われた。まさにスクワレタ。
人生の転機ってあるらしいけど
これだ、と思えるほどの転機。
少ない23年間の中の転機でした。
みんなありがとう。
パイプの強さ。
スクワレタ。
これからもそのパイプに乗らせてください。
パイプを修理したり継ぎ足したりはできないけれど、
パイプの掃除役くらいになれたらいいなあ。


空気。
姫goto。
麗子、麻子、エル、あなたたちも空気の良さは抜群です。
やっと、あなたたちの名前を出すことができた。
空気のよさと、強さ、優しさ。
思いやり。
みんなから学んだよ。
これからも思い切り騒ぎましょう。
次はエルの誕生会かな?

姫goto2。
空気と言ったらもちろんいがぐりたちも負けてません。
河口湖でどっぷりその空気に浸かり、
二人の仲良しさに嫉妬するつもりです。


空気。
私もみんなの良い空気になりたい。
好きな人たちの、心地よい空気。

初・考察

2005-09-07 | Weblog
突然休みになった今日は、
気持ちや部屋の片付けをしながら考えていました。
変わらないもの、について考えていました。
片付けをしながら、買物をしながら、同時に良く良く考えていました。
同時に色んなことをするのが好きです。

これは多くの中のひとつであって、
でも今の私には私の表現の一助である気がする。

変わらないものについての考察。

例えば、久しぶりに友達に会ったりする。
太ったね、痩せたね、髪伸びたね。
変わったもの。
話していくうちに安心感をおぼえる。
懐かしさをおぼえる。
私もがんばろうと思う。
変わらないもの。

変わらないもの。
それは、私がうまく伝えきれなかった“土台”なんじゃないかと思う。
友達に対して、わざわざ土台を作ろうと思うことはなく、
それはただいつの間にかできているものだけれど、
そのできた土台は、変わらないものとして自分の中へ安堵感を運んでくれる。
それは友達に限らず、家族や恋人やそういう人間関係に一番強く感じることなんだと思う。
変わらないブランド、変わらない車種、そういったものと比べ物にならない程
綺麗で強く、変わらないもの。人との土台。


今日、すごくそう思った。
明日になれば、また別のこと思うかなあ。


雅子、遅れましたが誕生日おめでとう。
雅子、恵理子、じま、私の一番の変わらないもの。
またすぐ会って、話して、遊びましょう。

とみばー

2005-09-06 | Weblog
喪失感という恐怖にしばらく苛まれていました。
喪失、ではなく喪失感に怯えていたと今では思います。


秘めGoto
人の(もちろん、他人と書いてヒトと読むことも可能です)生き死にに関わる仕事をしています。
死ぬことが終結で、そのために生きているということをまざまざと見せつけられます。
でも、意外に受け入れて生きている人は少ないとも思います。
「あー、早かったね。」という言葉を覚えました。
慣れてはいけないと思いつつ、死に何かしらの慣れを覚え、否定しながら、私は生きることをもちろんしています。
疋田さんが亡くなった時、側にいて手をにぎっていられたことにとても感謝しています。
光栄だったよ、疋田さん。ありがとうね。
大好きな疋田さん、一時も離れたくなかったし、閉眼しカラカラに乾いた口を大きく開けてかすかな呼吸をしていて、それなりの混じった臭いもあったと思う。
その最期の時でさえ、私は手や顔や全てにキスをしたい衝動にかられました。抱きしめて包んであげたかった。あの感覚はなんだったのでしょう?

お客様と職員という距離感。その中での生活の共有。

確かに私は疋田さんの長い人生のほんのちょっとの時間しか一緒にいなかった。
その少ない時間でもそれは疋田さんの生きている場所で、生活の中に私はいた。
職員という立場であり、家族でも知り合いでも友達でもない。
でもそれ以上の感覚を疋田さんに抱いていたんだよ。
でもお葬式で切花を棺に入れてあげることすらできなかった。家族じゃないから。
見守って手を合わせて頭を下げることしかできなかったよ。
お花できれいにしてあげたかったな。

介護と気持ちの距離感に、いまだに溺れて仕事をしています。

もっと距離を離してその人への介護をするべきなのかなあ?
そうしたら悲しい思いはしなくて済むかなあ?
川崎先生が亡くなった時、お通夜の日まで先生は一人で部屋で過ごすことになるから
ほんとは横に布団でも敷いて一緒に寝たかったな。
でも絶対職員がそんなことをしてはいけないんだ。
もっと先生と距離を離していたら、そんなことも思わず済んだかなあ?

そう悩みながら、悩みながら。
日々、多くの人の生きていることを現実に感じながら。
多くの近くの死を感じながら。
それでもジレンマに溺れて過ごすのでしょうか。
疋田さん、会いたいよー。


姫Goto または 戯言
そうやって、物体的な喪失にはなんだか慣れてしまっているところもあります。
恋や愛に絶対はなく、「コレガズットツヅクトオモッテイタ」ことに終わりがあることも
聞いたり経験したりして、吸収されました。
ぴたりは見つかったけど、
それだって恋の一部だと冷静に判断した時に、
やはりいつかは喪われていくものですか?
物体的に失われる時は、もちろん気持ちよく送り出してあげる。
疋田さんの時のそれのように。それ以上に。
職員というような立場よりもっと深いのですから。
でももしただ終わってしまった時
喪失感が想像以上だろうな、という想像がつく。
それがすごく怖かった。
職場に良き理解者、支えがいて、
見える世界での現実として喪失が確定して、
今できることや気持ちよく送り出すことのアカルイ希望はあるけれど、
しばらくしてからきっと喪失感が360度からやってきて、
その喪失感は想像以上だろうな、という想像がつく。
それがすごく怖かった。

すごく怖かった。
怯えっぱなしでした。


なんで人生を終えてもいいのか、ともし聞かれたら
今までが充分で、先に期待と欲がないから。
そう、私は先のことをあまり考えないはずだった。
でも最近近い先のことをよく考えます。
でもその考えはやめなくちゃいけない、と今は思えるようになった。
私には送り出したり包んであげなくちゃいけない人がきっといるんだと思えるようになった。
その今を。

以前はるに「大金があったら何が欲しい?」と聞かれました。
その時は家と答えたかな。
お金で何でも買えるなら、今は「今までと今という永遠」
そう思います。
だから、私に怖がっている暇はなく、大切な二人との今を生きなくちゃいけないようです。

今という永遠が欲しいなー、って永遠言っていられるように。
なお、誕生日おめでとう。元気そうでなにより。