himeGoto

高度生殖医療、体外受精で妊娠!主に出産までの記録をしていきます。

弔いの御神輿

2008-06-08 | Weblog


私は下町の、その中でも田舎の方の、
ちょっと貧乏だけどみんな気さくで助け合える、
昔の遊廓街で育ちました。


外で子供の声がすれば、窓からおばさんが顔を出して挨拶をしてくれます。
泣いていたら家にあげてくれて、アイスでも出してくれます。
成人式の日に外で声がすれば、晴れ姿を見ておめでとうと言ってくれます。
お葬式の時には町内会のお母さんたちが総出で手伝ってくれます。
少し呆けてきたおばあちゃんが間違った曜日にゴミを出してしまっても
そっと回収して収集日まであずかっておいてくれます。


そんな素敵なところです。


今日は下町全般がお祭りでした。
白鬚神社も毎年恒例。
駅前でさんちゃんと本殿の大人神輿を眺めましたが
少し活気がなくなったように感じました。


実家で夕食を始めると、外が賑やかになってきたので
皆で外に出て、神輿を眺めました。
お隣のお姉さんが赤ちゃんを抱いていて、
かけ声と一緒に赤ちゃんを揺らしていて、
床屋のおばあちゃんは、手をひかれながらも出てきて
楽しそうに神輿を眺めていて、
子供は訳もなく大いにはしゃいでいて。
なんとも言えない幸せな気分になりました。


家に戻って夕食を再開していると
外がさらに賑やかになってきました。
「本殿の神輿がきたかな?」と言って母は確認に行き、
数分後、とても慌てて帰ってきたかと思うと
「あや!早く車椅子を出して!早く!」
と叫びます。
てっきり父に何かを見せたくなったのかと思ったら
そうではない。笹川のおじさんに使うんだ、と。


少し前ですが、笹川さんちの“まーちゃん”が
夜勤の勤務中、俗に言う心不全で急死しました。
“笹川のおじさん”である両親よりも先に逝ってしまったのでした。
まーちゃんはとっても強面で、私は話したこともないけれど
町内会の活動に積極的に参加していて、
お祭りでは誰もが知っている担ぎ手であり、運営も担っていたようでした。


今年はおかしな神輿だなあと話していたところでした。
金ぴかのそれではなく、
障子で作ったような立方体の箱の周りに
名前の書かれた提灯が並んでいる。
ただそれだけのシンプルな神輿でした。


「まーちゃんのために担いでいるから!おじさんにも見せてやって!」
玄関まで来ていた笹川のおじさんを車椅子に乗せ、急いで広場に行くと
担ぎ手さんがまーちゃんの遺影を天高く掲げ
その遺影に向かってそれはそれは盛大に神輿が担がれていました。
「ソイヤ、ソイヤ」のかけ声はさらに大きくなり
まるでライブのクライマックスのような。


「家の前までは狭くて行けないみたい」と残念そうに奥さんは話して、
それでもなんだかとっても嬉しそうで。
おじさんは少しぼんやりとはしていたけれど泣くのをこらえていて。
同じように私もなんだか感動してしまって泣きそうになっていました。


普段、うちや笹川さん宅前の路地は
狭いから御神輿は来ないんだけれど
昼間に子供神輿が入ってきたらしいのです。
それもやっと意味がわかった。
いつもと違う神輿の意味もわかった。

笹川のおじさんに神輿を見せてあげるのも、
近所の何人かのお母さんたちがすぐに気づいて行動に出た。
そこに母もいたことをちょっぴり誇りに思ったりもして。



いい地域に育ったな。



さらに強く、地域で何かを。



神輿が来た時には
もう少し酔っていたんだけれど
あの、とてもとても素敵な景色を、人を、神輿を、
目に焼き付けて。
目に焼き付けて。