himeGoto

高度生殖医療、体外受精で妊娠!主に出産までの記録をしていきます。

もうすぐ

2005-11-30 | Weblog



2004年から2005年の年末年始は、仕事を始めてから初めての休みをもらいました。
真冬の北海道。
カウントダウンは雪の降る中。
みんなで合唱。とても感動的。
寒いけどビールで乾杯。
良き時間だったよ。
恵理子、雅子、じま、ありがとう。
そしてテレビ父さんも素敵。ありがとう。


1月1日、北海道神宮。
大学受験の時以来かな、願い事を絵馬にたくしました。



その願い事が叶いつつあります。
あるいはもう叶っていると言えるかもしれません。
神様は本当に存在していますか?


もうすぐ1年が終わります。
今年ももちろんたくさんの出来事や事件がありました。
穏やかをテーマに始めた1年。
穏やかが確信になって幕を閉じられたら、どんなに素敵?



奇跡的に起こった必然に感謝。

キャッチボール

2005-11-28 | Weblog
もちろん女の子ですので、おしゃべりは好きです。


後に残らなかった出会いも含めたら、
この人生でどれだけの人と会話をしてきたのでしょう?
一言二言も数に入れたら、相当な人と話をしたことになると思います。

その中で、“一方的”という場面に数多く出会ってきました。
自分の想いや身の上話をとめどなくする人。
「うん、うん。でもそれは私は・・」。
聞いているようで、自分の話のきっかけを待っている人。
自分がいかに不幸(か弱い)かを切々と訴える人。
「場の空気を読めない」というより、
こちらに圧迫感と疲労感を与える“一方的な”人のことを指します。


仲の良いみんなと話をするのが好きです。
話したいと思うし、聞きたいと思う。
相互作用。リラックス。笑い。リフレッシュ。
仲間の中に一方的に話す人がいないのはどうしてでしょう?
戯言。



最近の恐怖の中に、『話すこと』が含まれるようになりました。
いちおう私も一般的な女性であり、不安定さを抱えながら生きていて、
想いを吐き出すことで安定を得られる要素はとてもとても持っている。
だから私も“一方的に”なりそうで怖い。
相手に圧力や嫌悪感や疲労感を与えてしまいそうで怖い。

もちろん仲間と話をしている時はとても良い時間で
わざわざ「聞いてあげている」という感覚はお互いにないと思う。
どちらかが長く話していても心地の良いものだと思う。
でも最近の私は話をしながら「あ、一方的じゃないかな?」って
すごく怖い思いをするようになってしまった。
それほど一方的な人たちと出会う機会が多く、
それが普通、いう観念ができてしまったんだと思う。
それは母親にも通じており、血の恐怖もプラスされる。


仲間との会話はそんなに難しいものではないのに。
仲間や好きな人の話は「聞きたいから聞かせて」と思うものなのに。


分かってはいるんだけど。
一方的に話す人と多く接している以上、この恐怖感はなくならないような気がして。
そしてどんどん口数が減ります。
伝えたい人はたくさんいるのに。
聞いてもらいたい、と思うことだってたくさんあるのに。
ここが良い吐き出し場所?
姫Goto。



キャッチボールは相手の胸に向かって投げるのが基本です。
相手が取りやすいからです。
強く投げるのが良いとは限りません。
相手が取りずらいからです。


あなたとキャッチボールがしたいです。
強すぎないように投げなくちゃ。
そう思うと変な方向に投げてしまうんだけれど。

大丈夫かなあ?
ボールが逸れたり強すぎることがあるかもしれないけど。


それでもキャッチボールしてくれる?

秘めGoto。