あるオーダーがあって、
そのオーダーに忠実に則った案Aと、
オーダー完全無視だけど良いと思って作成した案B。
さて果たしてどちらがいいのかという話。
プレゼンテーションとは誰が作った言葉なのやら、
今も尚、戸惑わせる永遠の謎です。
学生時代には、オーダーを守りつつ+αをいかに作るかだと思っていた。
ところが、学生時代にも再三疑問に思ったとおり、
オーダーは守らなくてもいいのかもしれない。
結果、型破りのプレゼンほどウケがいいという不可解。
人と違う事をする「勇気」と、
これが自分の考えだという確固たる「自信」
これが大事だというなら、それは理解できるとしても、
じゃあ最初からオーダー出さなきゃいいじゃんとも思うのです。
そして案Bのみがまかり通る世の中なら、それもあぁ寂しいなぁと。
悪いところは隠し通す「誤魔化し」もまた正当化されるのか?
誤魔化し通しても、通ればそれで良しとするのかい?
と言ってるこのブログこそ、誤魔化しプレゼンなのかもしれないこの矛盾。
これだからわっかんねーや、プレゼンって。
そのオーダーに忠実に則った案Aと、
オーダー完全無視だけど良いと思って作成した案B。
さて果たしてどちらがいいのかという話。
プレゼンテーションとは誰が作った言葉なのやら、
今も尚、戸惑わせる永遠の謎です。
学生時代には、オーダーを守りつつ+αをいかに作るかだと思っていた。
ところが、学生時代にも再三疑問に思ったとおり、
オーダーは守らなくてもいいのかもしれない。
結果、型破りのプレゼンほどウケがいいという不可解。
人と違う事をする「勇気」と、
これが自分の考えだという確固たる「自信」
これが大事だというなら、それは理解できるとしても、
じゃあ最初からオーダー出さなきゃいいじゃんとも思うのです。
そして案Bのみがまかり通る世の中なら、それもあぁ寂しいなぁと。
悪いところは隠し通す「誤魔化し」もまた正当化されるのか?
誤魔化し通しても、通ればそれで良しとするのかい?
と言ってるこのブログこそ、誤魔化しプレゼンなのかもしれないこの矛盾。
これだからわっかんねーや、プレゼンって。