法律事務所とキッズダンス教室・ヨガ教室

一見何のつながりもない分野をこなす私、尾埜 圭司からの情報発信。
みんな人とのご縁を紡ぐ仕事です。

ハワイ  マウイ・オアフ 2014   vol.1-2

2014-12-10 | Weblog

生き方

慌ただしく、大阪からホノルル、マウイへ移動し、コンドミニアムに落ち着き、スーパーで買ってきたポキなどを料理して夕食。

 

 

ここ、キヘイは西の、カアナパリ、東のワイレアという高級リゾート地とは異なり、リーズナブルなコンドミニアムが多く、メインランドからの長期滞在が多い。
日本人を見かけることは少なく、逆にあたりには日本食の店もほとんどない。
サウス・キヘイロード沿いの街並みは、ほとんど変わっておらず、なんかほっとする。

 

 

一段落し、かみさんと、明日からのヨガの話しなどをしながら、外に出て星を見る。
マウイに来るといつも、「ハレアカラ山頂サンライジング・ツアー」に参加し、手前で満天の星をハレアカラ8合目あたりで見るのですが、今回は日程的に難しい。

 

 

でも、ここキヘイからもかなりいい状況で星が見えます。

帰り道、コンドのパーキングで、住人の方に会い挨拶し、しばしの立ち話。
カナダから来たという、Stew、62歳。

話しが、ヨガのことに及ぶと、
「二週間ほど前、面白いというかすばらしい体験をした。体調の良くない妻と散歩をしていると、突然妻が動けなくなった。うずくまり、私も途方に暮れていると、30歳くらいのきれいな女性が通りかかり、『ヨガのポーズだ。』といって、私が見たこともない動きをして、妻がそれに従った。そしたらどうだ。動けなかった妻が元気になり、そのまま歩いて帰れたんだよ。」と。

カナダのバンクーバーとここマウイとの生活だという。
奥様の体調が思わしくないことも関係しているのかもしれないが、そこははなしてはくれなかった。

半分くらいしか英語がわからないかみさんも、興味深く話しを聞いていた。
「今年は、自分のスタイルを持った人たちによくお会いするなー。」とつぶやいていた。

「どうやって、その基盤を確立するかはなかなか難しいなー。彼は何の仕事をしてはるんやろ。」などと、ゲスいことを考えながら見ていたら、

「今から、近くを歩いてくるからまた話しましょう。」と彼はパーキングから出て行った。


ハワイ  マウイ オアフ 2014   vol.1-1

2014-12-09 | Weblog

11月27日

JAL792便、関西国際空港 午後10時10分発のホノルル行き。
この時期のハワイは2度目。
日本は、時期としては温かい方で、上着一枚を羽織って空港まで。

空港一階で、ネット予約していたWi-Fi 機器を受け取り、チェックイン。

午後10時頃日本を立ち、約7時間のフライトで、現地ホノルルに午前10時過ぎに着く。
機内で眠れれば理想的なプランだが、ここ数回はあまり眠れない。
今回も案の定。

ラゲッジをピックアップして、一旦建物を出て右手のハワイアン航空の建物へ。

ハワイアンは、セルフ・チェックインのマシーンを使い、自分で手続きをする。
手荷物一個につき料金がかかり、カード決済。

 

 

日本からのブッキングの場合、ハワイアンは到着予定時刻から2時間以上空けてのブッキングを要求するので、スムーズに手続きが終わると結構な時間が空く。

まあ、これも仕方なく、毎回中庭で昼寝。
風が気持ちいい。

 

 

約20分でマウイ島、カフルイ空港に到着。
日本人らしき乗客は我々ともう一組くらい。

天気は、日本での予想に反し、晴れ。
ハワイの天気予報は、本当に難しいという。 

オアフに比べ、風がすごく強い。

イミグレーションを通過し、ダラーレンタカーのバス乗り場へ。
マウイでも、大手レンタカーのオフィスは、空港から少し離れたところにあり、バスがピックアップしてくれる。
慣れていないとわかりずらい。

日本からネット予約をしていたので、一様、プリントアウトしたコードが入ったペーパを渡すも、「日本語読めない。」

そこから結局、チンタラ。


マウイの南側中央部のキヘイのコンドミニアムに着いたのは、夕方。

キヘイ・ベイ・ビスタ

http://www.booking.com/hotel/us/kihei-bay-vista-by-maui-condo-and-home.ja.html

60室ほどのこじんまりしたコンドミニアム。

夕日に間に合うようの、慌てて近くのスーパーへ。
ざっくりと買い物をして、近くのビーチに出た時には、もう日が沈んでいた。
5:40PM。 


 

午前10時過ぎにホノルルに着いたものの、結局は夕方。
明日から1週間。 

 
 

 


 



 

 

 


ヨガ・ユニット mahana (マハナ)

2014-12-09 | Weblog

ヨガ・スタジオ Shanti-Shanti 代表の尾埜富美代とあがるヨガ主宰の松本あゆみのユニット、mahana。

それぞれはヨガと出会い、ヨガを広めようと活動していますが、一人ではできないこと、二人のほうがより伝わることもあります。

お互いを高め、外に向かって広がるように。

ベースはThe Studio F-linkから。

 


キッズ・ダンス教室 GROOVE BOX       六甲アイランドで

2014-12-08 | Weblog

12月6日、六甲アイランドで開催された、LAGPファンミーティング
BABYJAM関西 ステージプロデュースのイベントに参加。

奈良の情報発信スペース的なカフェ、「メロー・カフェ」で知り合った、ダンサー 横山ちえ さんのご紹介です。

http://www.mellowcafe.jp

キッズのバイクレースのファンミーティング。
GBは六甲アイランドでもクラスを開講していることもあり、各クラス有志が参加させていただきました。 

 

 

親子でふれあう場の提供がコンセプトのグループ。
なんらかの形で、またご縁が広がればいいな。 


ヨガ・スタジオ Shanti-Shanti 甲子園コミュニティーセンター

2014-12-08 | Weblog

ヨガ・スタジオ Shanti-Shanti の尾埜富美代、あがるよが主宰の松本あゆみ のヨガ・コラボレーション・ユニット「mahana」のトライアル。

 

甲子園コミュニティーセンターで、毎週金曜日に行っているレッスンへ。
ここの教室も、もう10年。
当初は、ヨガをするのも初めてという方ばかりで、年齢層も若干高め。

久しぶりに拝見し、見違えるような動きに。
「もう10年もやってるんやから。」

続けることの大切さ。

 

 

地域密着、アットホームな感じは、なくてはならないものに高まるように。

「mahana」、ヨガを必要とされている方がいらっしゃる場所へ、どうマッチングするか。

 


古色大和路 ー入江泰吉の心象風景/入江 泰吉  

2014-11-22 | Weblog

書店散策の折、目に入ってきた。

秋の夕暮れの法隆寺。
ススキにピントが合い、法隆寺の五重塔は、ぼんやりと景色の中に。
渋いオレンジ色の空。
懐かしい、そう思わされる表紙。

帯には、「入江泰吉没後20年特別企画」とある。

入江泰吉さんのお名前は、亡き父、尾埜 善司の書架から知った。
何冊かの写真集。
その記憶と目の前の表紙がリンクした。

実家の数多い父の書籍が並んだ書架が、私のリンク元の一つ。
実学書はほとんどないが、文化は多岐に及ぶ。

無意識的だったけど、父の書架はリンク元なんだと最近意識した。

亡くなる一年ほど前、私の家に来る機会があり、書棚を眺め、「大体一緒やな。」と告げた父。
何がしかの嬉しい気持ちになった記憶があるが、縦も横も遠く及ばない。

「大和路」とは、もちろん奈良が中心。

奈良には菩提寺があり、先祖の墓もあるため小さい頃からちょこちょこ行った。
数年前から、ご縁も広がり、縁のある土地。

独特の空気感がある。

フェイスブックで交流させていただいているTさん。
奈良にお住まい。 

「入江さんの撮られた頃とは、同じ位置に立っても、木々の重なりや、土塀の美しさ等は、変わっていまいましたね。大池から望む薬師寺東塔の風景も、すっかり鮮やかになって、胸締め付けられるような寂寥感は、少なくなくなったように思います。2月堂裏の土壁も、美しすぎるように感じています。 」

繊細な方です。

写真集には、当然ながら60年代、70年代の景色が多く切り取られている。
懐かしいという景色は、逆に言うと今はもう見れないということ。
だから、タイトルも「古色」。 

近鉄電車、平城駅から徒歩10分くらいにあるお墓の周りは、小さい頃からほとんど変わらない。
少なくなった、ホッとできる場所。 

 


お茶屋 「島之内たに川」 木村壮八 小唄

2014-11-19 | Weblog

 亡き父、尾埜 善司の親友、Nさんからの電話。

練習してるか?」

「何度か。難しいです。」

「そうか。じゃあ、18日、5時半いけるか?」

「ちょっと待ってください。・・・・。はい大丈夫です。」

「じゃあ。」

 超、シンプルな会話で終わる。

 

 

父が亡くなり、しばらくした後、Nさんからここ、「島之内たに川」に呼び出しを受けたのが始まり。
以後、1周忌をはじめ、時々にお声をかけていただく。

父とNさんはよくここに通い、いろんな話や小唄を楽しんだそうです。
あまり、自分のことを話さない父でしたが、亡くなる半年ほど前、「Nさんが来はって、『たに川』に行くけど、お前も来るか?」と初めて誘ってきた。

偶々、アポイントが入っていたので、「残念、また今度。」
最初で最後の機会を逃した。
思い返せば、嫌な予感は既にあった。

 

Nさんには、その後気を使っていただき、 以心伝心、こちらが連絡を差し上げようとするころ、ふらっと連絡をいただく。

前回お会いした時に、「お父さんは、うまかったんや。君も一曲練習しとけ。」

お題にいただいた、「辰巳」。


実家の父の書架を探すと、木村壮八氏監修の「注釈 小唄控」が。
イラストもなかなか素敵。
「辰巳」も載っていた。


 

「たに川」さんのおかみさん。
実はすごい方。
今もかっこいい。



若旦那も色々と活動を広げておられる。
 男前の優男風ですが、おかみさんによく似たご気性も。

小唄の初体験。

いい時間を与えていただいている。
一期一会。 

奇しくも、高倉健さんがお亡くなりになられた報が、流れた日。
父とは同い年だった。 

 

 

 

お茶屋「島之内たに川」〒542-0082 大阪市, 大阪府, Japan中央区島之内2-4-29アートと娯楽 · チェックイン241件 · 370人が「いいね!」と言


ないもの、あります クラフト・エヴィング商會/筑摩書房 2001

2014-11-15 | Weblog

昨年くらいに買って、架蔵していたのか。

クラフト・エヴィング商會の本。 
最初は、東京の書店内書店、「松丸本舗」で、「クラウド・コレクター」 文庫版だったように思う。
『松丸本舗』。
なくなってしまったけれど、セレクトが面白く、 東京に行った折にはよく立ち寄った。


話は、昭和9年の時代に、「雲を売ろうとした男の話」というストーリー。
話の主は、「吉田浩美」さん。
クラフトエヴィング商會の3代目店主。
「男」とは、彼女の祖父。


「アゾット」への旅。ファンタジックな童話のトーンの中に、人間が描かれている。

ストーリーの中に出てくる、「手帳」「はがき」「ボトル」などを実際に作られ、写真でイメージを作られているというので、単行本(筑摩書房 1998)も買って楽しんだ。 

「ないもの、あります」

例えば、「地獄耳」。
聞いたことはあるけれど、実際、それってどんなものという、23のもの。

面白い。
風刺も、面白い。

一つづつに、イラスト付きの説明書きが載っている。

読んでいて、「稲垣足穂みたいな感じもするなー。」



『クラフトエヴィング商會』。
吉田篤弘、吉田浩美さんのユニット名だそうで、稲垣足穂の文章中の「クラフト・エヴィング的な」という表現に由来するとか(Wikipediaより)。


とか言っても、稲垣足穂を読んだのは、ほんの数年前が初めて。
どちらかというと縁がなかったジャンル。 

 


キッズ・ダンス教室 GROOVE BOX       The Studio F-link・ 金曜日クラス 

2014-11-15 | Weblog

発表会に向けた、振り移し。

代表の尾埜富美代は、Janet Jackson の曲を選んだ。


振り移しはずいぶん進んでいるよう。
でも、出足のところのリズムが、取れていない。
というか、メンバーは無視。
このビートが、最後まで続く曲。

 


少し強くメンバーに言ってみた。
3回くらい言ってみた。
全員の動きが変わった。


音に合わせて手足を動かすのではなく、体の中にビートが流れて、そこから動きが生まれる感覚なんだと思う。

 

レッスン中、少し遠くから電車を乗り継いて一人でやってくる小学生Sのおばあちゃんがやってきた。

「お母さんが仕事から帰ってきたらしいけど、鍵を忘れて家に入れないらしい。戻ってやらないといけないのでSに言ってもらえますか。」

残念そうだが、さっと切り替えて荷物をまとめて早退するS。
なんか、かっこよかったなー。

 

頑張れ。 


人が集まる

2014-11-13 | Weblog

もう、10年以上になる。
ほぼ毎週、水曜日にカミさんと食事に行く・西宮の居酒屋さん。

ちょくちょくお会いする常連の方々。
会社を起こされている方も含め、「自営」と言われる部類の方が多い。

馬鹿話、趣味の話、盛り上がる。

仕事の話には滅多にならない。

「30年、体を張って仕事をしてきている。経営者として色々ある。そんな仕事関係と全く関係がないこの空間が大切。」

九州から二十歳の時に大阪に出てきて、会社を起こし、ここまで来た人。

 

友人のお母さんに言われた一言。
「50歳も過ぎたら、『お友達付き合い』をしなあかんよ。悲しい老後になるから。」

オンとオフ、バランスが大切。
そうは言いながら、受け皿になる「場」が少ない。
特に男性の場合。 



 


雑誌 coyote から 岡崎友子さん

2014-11-13 | Weblog

coyote という雑誌。
サーフィンをするわけでもないのに、親しくしていただいているアーティストでサーファーの松田大児さんに、往年の名サーファー、ジェリー・ロペスさん等の話を聞くうちに、興味を持ってバックナンバーを買い込んでいた。
大好きな、ハワイの特集ということもあった。

そこで、実際にお目にかかった岡崎友子さんの記事が目に留まり、その内容と共に素敵な文章に引き込まれた。

このcoyote は、少し前、ご縁をいただいた、西宮は苦楽園の「カフェ KICA」さんのブックコーナーで目に入ってきたもの。

 

数日前に、何気なくめくっていると、岡崎友子さんのフェイスブックでも紹介されていた、ドリアン・バスコウィッツさんへのインタビュー記事が載っていた。

彼女曰く、最も印象に残るインタビューの一つだそうだ。

恐らくは現役最高年齢のサーファーで、ドクター。
記事の内容から、すごい人生を送られている。

しかも、その大きな決断を毅然と行ってきた彼について、自分もこうありたいとは軽くは思えなかった。
偉大な方である。

不可能だと思いつつお会いしてみたいと、本当に思った。

しかし、先ほどのフェイスブックによるとお亡くなりになったという記事が。

「多くの人は、生きたいのではなく死にたくないだけなのだ。呼吸をしているが、それは本当に生きているとは言いがたい。」

私の亡くなった父も、生ききった人生だった。

 

 

 

 


きッズ・ダンス教室 GROOVE BOX       The Studio F-link 水曜日クラス

2014-11-10 | Weblog

キッズ・ダンス教室 GROOVE BOX は、来年3月29日の第10回目の発表会に向けての振り付けに入っています。

 

The Studio F-link 水曜日クラスは、ビギナークラスは、代表の尾埜富美代、そしてアシスタントのAYANE が振り付け。

もちろん、「楽しい」が一番ですが、アンダーエイジ中心のメンバーですから、盛り上げ、短い的確な言葉での指示など、むしろテクニックが要求されます。

初チャレンジとなる AYANE、いい経験にしてほしい。

 

レギュラークラスは、もう3回目となる YOKO の振り付け。
今回は、今までと違った曲調、振り付けのようです。

 

 

前回のレッスンでも、YOKO からメンバーへ、「向かう姿勢」についてお説教。

週に一度のレッスンは、部活と違い、レッスン場に入ってくるときから集中力を最高にするのは難しい。
習い事の基本かもしれませんが、難しいところ。

そうは言うものの、メンバーは徐々に進化しています。
今まで、ほとんどダンスにならなかったメンバーも、目の色が変わってきているし、向き合う姿勢が出てきています。

日々の積み重ねが、来年3月につながる「体験」。
貴重な半年の経験にしてほしい。 

 

 

 


安部公房 「笑う月」(新潮社 1975)

2014-11-09 | Weblog

今年は、何かと月に話題が集まる年。
スーパームンに続き、「後の十三夜」。

昨日は、満月。

 

太陽はもちろんだが、月からも大きなエネルギーが出ていて、それをいただく。
日本を代表する女性サーファー、マウイ在住の岡崎 友子さんは、「満月の夜はなぜか寝付けない。」とおっしゃっていた。

 

そんなことを思いながら、安部公房さんの随筆集、「笑う月」を取り出し読んでみた。
天神橋、青空書房の坂本 健一さんの私蔵書を譲っていただいた。

 

大型本。
函が品のある茶色。
装丁も上品で、今の時代には難しい手のかけよう。
装丁、挿画共に、安部 真知とある。
奥様らしい。

夢と現実との関係を追求し、色あせないように枕元にテープレコーダーとノートを置いて「生け捕り」にされた夢の数々。

 

「後ろ手にドアを閉めたとたん、ぐにゃりと隙間にはさまれた月の一部の嫌な感触が残る。そして目をさます。」

「夢は意識されない補助エンジンなのかもしれない。少なくとも意識下で書きつづっている創作ノートなのだろう。」

 

私は大したことはないが、カミさんはよく面白い、創造的な夢を見る。
時々話して聞かせてくれるが、本当に面白い。
十分一冊の本になると思う。 

 

 

大型本で、行間も程よく、ゆったりと目に入ってくる文章。
ページに手触りを感じた。

活版印刷。

手が込んでいる。 


同潤会 上野下アパートメント

2014-11-05 | Weblog

同潤会の最後の建物、「上野下アパートメント」があった場所に建てられたマンションの告知をネットで見た。

もう1年以上前になるのか。 



 

2013年の5月だった。
テレビ番組で、同潤会復興住宅の最後の建物、「上野下アパートメント」の取り壊しが決まり、解体工事が始まるという報道に接した。

代官山の復興住宅を学生の頃に見ていて、同潤会の建物には興味を持っていたものの、青山アパートメント以外は、見れないままになっていた。 

たまたま、スケジュール調整が効いたので、そのまま新幹線に飛び乗って、上野まで向かった。
着いたのは夕方。

 

 

アパートの周りはすでにフェンスで囲まれていた。 

 

 

4階建2棟。
竣工は、昭和4年3月。
亡くなった私の父さえ生まれていない。

しかし、関東大震災が起きたのは、大正12年だから、震災後、わずか数年で建てられたことになる。
しかも、資料によるとこれらは後発で、 昭和2年には、青山アパートメント等が第1期竣工となっている。

現在の、東日本大震災の復興などと比べても、とてつもないスピード。


一棟の最上階の部分は、張り出している。
中廊下がある単身者用だとか。

 

 

屋上には、洗濯場と物干しがあり、コミュニケーションスペースになっている。
震災復興住宅として建てられたようだが、随所にその哲学がうかがわれる。

何人かの人が、カメラを持って周りにいらっしゃった。
若い方も結構いらっしゃった。

20歳代の女性は、正面から少し外れた場所に、私がいた間じゅうずっと佇み、会話するように見据えていた。 

告知には、「『上野下アパート』の面影を残す新築マンション」とある。
「面影」か。

当時、東京スカイツリーは、ほぼ出来上がっていた。 
東日本大震災が起こったのは、2011年3月。

震災から2年が経っていた。 

 

 


キッズ・ダンス教室 GROOVE BOX       The Studio F-link 集中力

2014-11-05 | Weblog

キッズ・ダンス教室 GROOVE BOX

The Studio F-link 水曜日クラスは、いつもと空気感が違った。

聞けば、レッスン冒頭、インストラクターの YOKO が爆発したらしい。
言いたいことはわかっている。

レッスンのスタートからテンションをマックスにして臨むよう彼女は要求し続けている。

 

 

うちのクラスのメンバーは、ゆったりしている。
悪く言えば、なんとなく的なところがずっとあり、なかなか克服できずにいる。

こちらが一喝すればスイッチは入るが、彼女はそれを嫌う。
言われてやれても意味はない。
その通り。

難しい。

代表の尾埜富美代もずっとそのことには取り組んでいる。