自然文化研究科

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夏休み番外編 伊勢神宮 遷宮前に訪ねる

2013年08月26日 | 歴史
8月26日

班の校外活動で、10月2日に遷宮される伊勢神宮内宮に行ってきました。
当日は先日までの猛暑も無く、小雨は降りましたが、しのぎ易い一日でした。
又平日なので参拝者も少ないかと出かけましたが、意に反して多くの方が参拝に訪れていらっしゃいまして、伊勢神宮は日本人には特別な思いが有るのを感じました。

残念でしたのは、無理とは思っていましたが、正殿の棟持柱、千木、鰹木等を見て写真に収めたかったのですが、近くから垣間見ることの出来る部分も撮影禁止で、1枚くらいと思っても神職に注意されて撮れませんでした。
その様な訳で撮影可能な所から撮った新殿を掲載します

近鉄宇治山田駅 ここからバスで内宮へ行きました

宇治橋 沢山の参拝者の人たちが来られていました。


内宮 配置図 (写真は)平面下部からと思います。

撮影可能であった写真

立面図

 詳細図 軒持柱は少し内ころびになって居るそうです。20年ごとの遷宮はこの様な、詳細な技術が延々と引き継がれるための行事だとも考えました。

幣帛殿(へいはくでん)古くは皇后陛下・皇太子殿下の幣帛や古神宝類を納めていたが、現在は古神宝類が納められている。

御稲御倉神(みしねのみくら)
神田から収穫した抜穂(ぬいぼ)の御稲が納められ、祭典に際し大御饌(おおみけ)として神前にお供えされる。


御稲御倉神の軒持柱、内側に少しころんでいる。


荒祭宮(あらまつりのみや)
荒祭宮は、内宮に所属する10別宮のうち、第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、行ニ丈一尺二寸、妻一丈四尺、高さ一丈四尺八寸あり、第一別宮として正宮につぐものです

参考資料遷宮に使用される用材
遷宮においては、1万本以上のヒノキ材が用いられる。その用材を伐りだす山は、御杣山(みそまやま)と呼ばれる。

御杣山は、14世紀に行われた第34回式年遷宮までは、3回ほど周辺地域に移動したことはあるものの、すべて神路山と島路山、高倉山という内宮・外宮背後の山であった。

その後、内宮の用材の御杣山は第35回式年遷宮から第46回式年遷宮までは伊勢国・大杉谷を御杣山とした。この伊勢国大杉谷は、徳川御三家の一つ・紀州徳川家の領地である紀州藩にあった。

しかし、原木の枯渇による伐り出しの困難さから、第47回式年遷宮から、木曾谷に御杣山は移された。以後、第51回式年遷宮のみ大杉谷に戻ったものの、300年以上にわたり木曾谷を御杣山としている。

明治時代には、木曾谷を含む尾張藩の森林は国有化された。明治時代後期から大正時代にかけて、木曾の赤沢をはじめとする地域に神宮備林が設定され、樹齢200年から300年の用材の安定提供を可能とする計画的植林が行われ始めた。

神宮では、1923年(大正12年)に森林経営計画を策定し、再び正宮周辺の神路山・島路山・高倉山の三山を御杣山とすべく、1925年(大正14年)または1926年(大正15年/昭和元年)から、三山へのヒノキの植林を続けている。遷宮の用材として使用できるまでには概ね200年以上かかるため、この三山の植林から生産された用材が本格的に使用されるのは110年以上後の2120年頃となる。また、この計画は、400年後の2400年頃には、三山からの重要用材の供給も目指す遠大なものである。なお、内宮正殿の御扉木について、本来の様式通りに一枚板とするためには、樹齢900年を超える用材が必要となると試算されている。今回 2013年(平成25年)に行われる第62回式年遷宮では、この正宮周辺三山からの間伐材を一部に使用し、全用材の25%が賄われる。

さらに、明治100年記念として神宮が購入した宮崎県・鹿児島県の記念林は、当初の目的は財政補給であったものの、ヒノキの生産に適していると見られることから、三山および瀧原宮の神域林とあわせて、用材の供給源となることが期待されている。

式年遷宮の際に解体される旧殿に使用された用材は、神宮内やその摂社・末社をはじめ、全国の神社の造営等に再利用される。例えば、内宮正殿の棟持柱については宇治橋神宮側鳥居となり、さらに関の東の追分の鳥居となる習わしである。また、外宮正殿の棟持柱は宇治橋おはらい町側鳥居となり、さらに桑名の七里の渡しの鳥居となる習わしである。

今回 2013年(平成25年)の遷宮では、ヒノキ不足から遷宮史上初めて、青森産のあすなろが用いられる。




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