2月4日
本日の授業は「花道・茶道の精神(自然との関わり)」に就いて 静岡県立文化芸術大学学長 熊倉功夫教授のお話を聴講しました。
熊倉功夫教授の専攻は「日本文化史」で日本の食文化 花道 茶道に於いても大変造詣深い先生でいらっしゃいます。又先週学習しました「和食の」ユネスコ無形文化遺産」で「世界無形遺産登録に向けた検討会会長」を務めていらっしゃいました。又、「和食」文化の保護・継承 国民会議の会長でもいらしゃいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/76/9722463e49b5d120d59a1e56c9b763cf.jpg)
熊倉功夫教授
お話は「花は信仰」のお話から始まりました。
桜のさの字は農耕の神のこと その神がいる場所が坐(くら)、さくらの花を見てその年の農作物の出来具合を占った。したがって花見は神をお迎えする儀式で、花見には皆が集まり飲んで騒ぐのも神様を快くお迎えするための行事である。
花は神様の、おいでになる依代(よりしろ)である。
仏花は仏、花笠は霊力で身を覆う、家に花を生けるのも 花の力をよりどころにしているためである。
生花(花道 華道)
神の依代である「家に花を生ける」ことは平安時代からの慣習に成っていたが、当初は花を見る方向が、正面から見るもので有ったのが、19世紀末小原流によって多方向から鑑賞できる盛り花が生み出された、昭和30年代(?)には前衛生花が流行したが現代では殆ど見られることもなくなった。
生花ではないが盆栽として鑑賞する梅などもある。
生花の代表的な「活け方」としては
・立花(りっか)
・なげいれ が有る
・立花は池坊2代専好によって確立された活け方であって、中心となるもの(松等)を〈しん)としてその下部を添え花で飾る。
・なげいれ(投げ入れ)茶室などにさりげなく自然を残し(釣る、掛ける等)活ける方法。
お茶の話「歴史」「茶道」
歴史
お茶の起源は、約2000年前に中国四川省、長江と考えられている。
日本では奈良時代嵯峨天皇が滋賀県を行幸中に、梵釈寺で僧永忠がから茶を煎じて献上されたことで嵯峨天皇が大層お気に入りでお茶を広めた。
その頃のお茶は団茶と言われ今のプアール茶と似ていて美味しくなかったそうです。
その後1200年代に成って臨済宗栄西禅師が宋からお茶を持ち帰り、お茶の効用から、お茶は万病に効く事を、庶民に解く。(今で言う、タンニン、カテキン、カフェイン、フッェビノール等の効用)
国際的には シーベルトがオランダに日本茶25種を持ち帰り、欧州諸国でもお茶の需要が増えた。
そのために中国から一時でも早くお茶を欧州諸国(イギリス)に帆走するために、ティー・クリッパー(お茶を運ぶための帆走レース)が激化していたが、スエズ運河の完成によって解消された。
又、イギリスが イギリス、中国、インドの三角貿易で香港にアヘン(インド製)を蔓延させ、貿易収支を改善する政策を取ったためアヘン戦争が勃発した。
茶道のお話も話される予定だったと思いますが、予定の時間が無くなったため、
「茶の世界は禅の世界 ゆとりの世界」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/03/2d8027c3d4a1e864ca201e611faf41e2.jpg)
「心の師となれ
心の師とせざれ」 (心とは我慢・我情)
を覚えて帰るようにとの事で講義は終わりました。
後記 小生は残念ながら熊倉功夫先生を存じ上げなかったので、この様な立派な方の下調べもせずにお話を拝聴した事を恥じるとともに、聞き間違え、記憶違いで間違っている所もあると思いますがご容赦ください。
本日の授業は「花道・茶道の精神(自然との関わり)」に就いて 静岡県立文化芸術大学学長 熊倉功夫教授のお話を聴講しました。
熊倉功夫教授の専攻は「日本文化史」で日本の食文化 花道 茶道に於いても大変造詣深い先生でいらっしゃいます。又先週学習しました「和食の」ユネスコ無形文化遺産」で「世界無形遺産登録に向けた検討会会長」を務めていらっしゃいました。又、「和食」文化の保護・継承 国民会議の会長でもいらしゃいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/76/9722463e49b5d120d59a1e56c9b763cf.jpg)
熊倉功夫教授
お話は「花は信仰」のお話から始まりました。
桜のさの字は農耕の神のこと その神がいる場所が坐(くら)、さくらの花を見てその年の農作物の出来具合を占った。したがって花見は神をお迎えする儀式で、花見には皆が集まり飲んで騒ぐのも神様を快くお迎えするための行事である。
花は神様の、おいでになる依代(よりしろ)である。
仏花は仏、花笠は霊力で身を覆う、家に花を生けるのも 花の力をよりどころにしているためである。
生花(花道 華道)
神の依代である「家に花を生ける」ことは平安時代からの慣習に成っていたが、当初は花を見る方向が、正面から見るもので有ったのが、19世紀末小原流によって多方向から鑑賞できる盛り花が生み出された、昭和30年代(?)には前衛生花が流行したが現代では殆ど見られることもなくなった。
生花ではないが盆栽として鑑賞する梅などもある。
生花の代表的な「活け方」としては
・立花(りっか)
・なげいれ が有る
・立花は池坊2代専好によって確立された活け方であって、中心となるもの(松等)を〈しん)としてその下部を添え花で飾る。
・なげいれ(投げ入れ)茶室などにさりげなく自然を残し(釣る、掛ける等)活ける方法。
お茶の話「歴史」「茶道」
歴史
お茶の起源は、約2000年前に中国四川省、長江と考えられている。
日本では奈良時代嵯峨天皇が滋賀県を行幸中に、梵釈寺で僧永忠がから茶を煎じて献上されたことで嵯峨天皇が大層お気に入りでお茶を広めた。
その頃のお茶は団茶と言われ今のプアール茶と似ていて美味しくなかったそうです。
その後1200年代に成って臨済宗栄西禅師が宋からお茶を持ち帰り、お茶の効用から、お茶は万病に効く事を、庶民に解く。(今で言う、タンニン、カテキン、カフェイン、フッェビノール等の効用)
国際的には シーベルトがオランダに日本茶25種を持ち帰り、欧州諸国でもお茶の需要が増えた。
そのために中国から一時でも早くお茶を欧州諸国(イギリス)に帆走するために、ティー・クリッパー(お茶を運ぶための帆走レース)が激化していたが、スエズ運河の完成によって解消された。
又、イギリスが イギリス、中国、インドの三角貿易で香港にアヘン(インド製)を蔓延させ、貿易収支を改善する政策を取ったためアヘン戦争が勃発した。
茶道のお話も話される予定だったと思いますが、予定の時間が無くなったため、
「茶の世界は禅の世界 ゆとりの世界」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/03/2d8027c3d4a1e864ca201e611faf41e2.jpg)
「心の師となれ
心の師とせざれ」 (心とは我慢・我情)
を覚えて帰るようにとの事で講義は終わりました。
後記 小生は残念ながら熊倉功夫先生を存じ上げなかったので、この様な立派な方の下調べもせずにお話を拝聴した事を恥じるとともに、聞き間違え、記憶違いで間違っている所もあると思いますがご容赦ください。