自然文化研究科

NPO法人大阪府高齢者大学校 「自然文化研究科」の活動をアップします。

「里山保全体験」

2013年11月27日 | 校外授業
11月26日

本日の授業は「里山保全体験」を箕面市民活動センターに於いて。、
NPO法人 みのお山麓保全委員会理事で、森林インストラクターで有り、森林セラピストを務めていらっしゃる中瀬重幸氏に午前は里山に就いてのお話を伺い、午後は「池の谷緑地」(通称しおんじ山)森林管理計画地で、里山を守るための体験をさせて頂きました。

午前の授業では
<里山とは>
里地里山とは、原生的な自然と都市との中間に位置し、集落とそれを取り巻く二次林、それらと混在する農地、ため池、草原などで構成される地域です。
此れに限ると決まった定義はない。


里山は人為的に植物の遷移を極相林前で抑えられ、人の手の入った森
<植生分布>
植生は降雨量によって決まる

日本の植生分布

関西の植生

<里山管理と植生調査>

上記のような里山調査を行い、課題や方向性を考え、その地に合った里山保全を行う。

<里山保全>



体験で除伐する生徒、左側にいらっしゃるのが中瀬理事


植生調査の方法

<森林の公益的機能>
その他、森林の公益的機能として、森林法による保安林指定17種、森林セラピーなどのお話が有りましたが、かつあいします。

午後の授業
「池の谷緑地」(通称しおんじ山)森林管理計画地で、里山を守るための体験をしました


池の谷緑地の案内板


里山を皆でエッチラ・コッチラと老体に鞭打って登りました。



樹高測定棒(右側の黄色い棒)を使用して、樹高測定。
測定方法は三人一組で一人は測定棒を伸ばし、もう一人は樹木の先端が水平に見えるところに上がり、棒の先端と、樹木の先端が合う位置で棒伸ばしを止め、棒を持った人が測定棒の目盛りを読み取る、もう一人は測定結果を記録する。

除伐 除伐とは間伐と違い、その場所に必要のない木を、若木の内に切り倒す。

まず女性の方が、細い木を中瀬さんの指導のもと切り倒す。



次は男性が少し太めの木を切り倒す、まず倒す方向に約半分水平に切り、上部から45度に切れ目を入れ、反対側から手で倒せるくらいまで、水平に切れ目を入れ手で倒す。


切り倒した木を枝打ちし、木は約2m位に切り、自然に早く返せるよう、葉を一番下その上に切った木をかぶせ後片付けは終了しました。





オリエンテーリング

2013年10月18日 | 校外授業
10月15日  10月22日 大きなススキの訂正 写真に大きなススキと書きましたが、あれはパンパスクラス(シロガネヨシ)と言う事の指摘が有り訂正します。
本日の授業は 「オリエンテーリング」の基礎を、豊中オリエンテーリングクラブの、岩井さんに教えで頂きました。

当日は台風26号が接近して雨が降ってましたがましたが、4班に分かれ皆さんは傘を差し、地図とコンパスを手にポイントに向かい予定通りの活動をしました。


服部緑地公園 南出入口の噴水。


指導して頂いた 豊中オリエンテーリングクラブの、岩井さん。


②番から⑪番を回りました。 クリックで大きくなります


地図、コンパスを使って目的地を設定。


いよいよ各班目的地に向かってスタート。


途中にはコスモスの花も

大きなパンパスグラスも

テニスコートの狭い道を、ところがその先には小川が、そして遠回り。


最終11番この頃には、台風で雨も強く成ってきました。
最後のポイントマークをパンチング。雨は降りましたが楽しい一日でした。









第3回スポーツ交流大会

2013年10月14日 | 校外授業
10月11日

第3回高大スポーツ交流大会が、ボディメーカーコロシアム(旧大阪府立体育館)に於いて各曜日の生徒が参加して開催されました。


ボディメーカーコロシアム(旧大阪府立体育館)


開会式、佐藤理事長のあいさつ。


開会式


開会式が終わり準備体操。


いよいよ競技スタート。
バッコウでは、4班が2回戦を勝ち上がり余裕の笑顔


3回戦を前に女性監督?からの指示。残念ながら3回戦は敗退しました


シャッフルボードでは、1班班長が真剣にターゲットに向かってディスクをシュート、心配そうに見守る班員。


スタンドでは競技の応援をするクラスメイト。



一方クラスの応援席では皆さん楽しく歓談そして時々応援。


多田銅銀山跡 「悠久の館」 

2013年07月16日 | 校外授業
7月16日

本日の授業は「屋外授業」で多田銅銀山跡に行きました。

10時に多田銅銀山の資料館「悠久の館」に集合。
3人のボランティアガイドさんに約2時間数周辺の坑道、神社などをを案内して頂きました。

多田銅銀山の概略
多田銅銀山は、猪名川町の銀山を中心に宝塚、川西、能勢、箕面と2府県にまたがる東西約20km、南北約25kmにもおよぶ鉱山地帯で有る。かっての西摂、北摂に含まれる。970(長歴元)年の銀発見に始まり多田荘を治める多田源氏(清和源氏)により管理・開発された。
後の世に豊臣秀吉も注目して、当時の最新技術を使って台所間歩(まぶ)や瓢箪間歩などを開いた。
江戸幕府は、1660(万治3)年に大口間歩で銀の大鉱脈を見つけ、代官所を設けて管理した。当時、銀山村は戸数3,000戸、人口はその3倍余に達したと言われている。
多田銅銀山は、いつの世も、当時の権力者の宝庫で有った。多田銀山として、例えば秀吉が得た銀高は、わずか銀476枚(76kg程度)とされる。生野銀山から秀吉が得た62,267枚(10トン位)の比では無かった。そのため、徳川期には、重要視されなかったものの、寛文年間から昭和年間に至るまで銅銀山として生産を増やした。
明治以降は、堀藤十郎により近代化した最新技術により採掘、精錬がなされた。その後、三菱、日本鉱業に引き継がれて1973(昭和48)年に長い銅銀山の歴史が終わった。

ガイドさんの話によると、先程書きましたが銀山村には3000戸 10,000人が住んで居て「銀山3千軒」と言われ料理屋や花街も有って賑わって居たそうです。
又、過酷な労働条件のために坑内で働く男性の平均寿命は37歳であったそうです。


周辺マップ クリックすると大きくなります。


悠久の館正面 本日は休館日でしたが特別に午前中開館して頂きました。


マップ⑥代官所跡、悠久の館の裏側に有ります。


銀山橋、下は銀山川です、マップ⑩高札場跡の横に有ります。橋を渡った左側が高札場跡


マップ⑩高札場跡 横の灯籠には金毘羅大権現と刻まれていたので、その昔は金毘羅参りが盛んで有った様です。


マップ⑨代官所の門(伝承)と説明板


マップ⑧金山彦神社 鉱山の神様で各地の鉱山に祀られています。


本殿には雪深いためか被い屋根が作られていました。


マップ⑫平炉跡 間歩で採掘された鉱石を製錬した炉跡、周辺はノロが山積みになっている。


マップ③青木間歩の説明板


青木間歩の手掘り時代の坑道口、約2尺×3尺人が何とか入れる大きさ。


青木間歩近代の坑道昭和29年から48年迄使用、坑道奥から入口を望む。


マップ④大露頭は瓢箪𨫤(ひょうたんひ)の鉱脈が地表に現れている物、下は県指定天然記念物で有る事と注意書き、

 
台所間歩の説明版 ククリックすると大きくなります

マップ②台所間歩、江戸時代の文書で大阪城の台所(財政)を潤すほど銀銅の産出が有った。
 

瓢箪間歩の説明版 ククリックすると大きくなります


マップ①瓢箪間歩の坑道口。


左側の階段を上がると遺構・遺構の復元等が有る公園です。


明治時代「堀家製作所」時代の機械の架台の上部








丹波立杭焼の郷を訪ねる

2013年06月25日 | 校外授業
6月25日

森ノ宮を8時30分出発 丹波伝統工芸公園に10時前に到着。

丹波伝統工芸公園 立杭「陶の郷(すえのさと)」に於いて、古丹波焼、伝統工芸師の作品展を見学
その後、伝統工芸師の大上巧(大熊窯)氏から立杭焼の歴史、窯の種類、装飾と文様など大変詳しく約二時間お話をして頂きました。特に日本六古窯は800年間途絶えることなく伝統の火を守り抜いて脈々と今に繋がっている事に感銘しました。
又、大上巧伝統工芸師は小学校の社会の教科書の表紙にも成っておられます。

午後は陶芸教室で各自が陶芸にチャレンジ、器用な人、不器用な人それぞれ楽しい体験をしました。
 陶芸終了後は時間の許す限り、窯元を見学。


8時30分 森ノ宮駅前を出発 

陶の郷

写真奥に沢山の窯元が有ります。


大上巧伝統工芸師と講義内容

登り窯の図解

教室裏の登り窯実物と焚口の奥

陶芸教室


粘土を前にやる気満々

だけどその前に、先生の注意、作り方を学ぶ。

チョット マズかったかな手直し手直し。

お皿は完成、余りでぐい呑みでも作ろうか。

生徒が作った作品の一部。

窯元探訪

磁器かと思うような、手触りと立杭焼とは思われない、色だし

県指定文化財 丹波立杭登り窯


丹波立杭登り窯の右に郷土天然記念物「上立杭の大アベマキ」。幹周・5.4m、樹高・28m、樹齢・約500年が有りました。

稲荷神社が祀られています。

尚、陶芸教室の作品は9/17午後に開封、品評会の予定です。
皆さんの作品が割れる事無く、焼きあがることを祈ります。