自然文化研究科

NPO法人大阪府高齢者大学校 「自然文化研究科」の活動をアップします。

修学旅行

2014年03月12日 | 旅行
3月10日・11日

今回は修学旅行に行って来ました。

行った先は「自然文化研究科」らしく

一日目
 9月10日に塩の講義を受けた際、赤穂の塩問屋・廻船業者で賑わった、坂越の街をボランティアガイドさんの案内で回りました。

天然記念物に成っている生島樹林

生島は港町坂越の氏神である大避神社の沖に浮かぶ周囲1630mの小島である。古来より神域として人の立入が禁じられてきたため、原始の森が保たれた。 森林は常緑樹のスダジイ、アラカシなどから成る自然植生で、学術的価値の高さから生島樹林(いきしまじゅりん)として大正13年12月9日に国の天然記念物に指定されている。(ウィキペディアより)

旧坂越浦会所」行政や商業などの事務をとるための村会所として天保2~3年(1831-1832)に建築され、会所であるとともに赤穂藩の藩主専用の休憩所としても使われていました。

坂越の街並み

 赤穂城址。大石神社
ここもボランティアガイドさんの案内で周りました。(この辺りからカメラの具合が悪くなり写真が少なくなり済みません)

大手門と大手門隅櫓


大石内蔵助の藩邸

大石神社は、元禄赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士を祀る神社。江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、1868年(明治元年)、明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わしこれを弔って以降、赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建された。

塩田の見学・塩造り体験(赤穂市立海洋博物館「塩の国」)

塩造りの説明を受ける生徒、机の上の土鍋に塩分8%の水(かん水)を半分位入れ約10g程の塩が出来ました。

9月の授業で学んだ入浜式塩田 右上の煙突は昔ながらの製塩工場、日曜日には稼働して見学可能との事です。

流下式塩田 流下式塩田は昭和20年代後半から入浜式塩田に替わって導入され、昭和46年まで使われた。


2日目
閑谷学校での論語体験

閑谷学校(しずたにがっこう)は、江戸時代前期に岡山藩(藩主池田光政)によって開かれた庶民のための学校で遠く和歌山からの生徒も在籍していたの事でした、小生は学校の事より、秋の楷の樹しか知らなかったのですが、江戸時代に、建築学的にもこんなに立派な物が有ったのは知りませんでした。
 秋の楷の樹 紅葉が右と左の色が違うそうです。

板敷の講堂で、円座に正座して、先生にならって大きな声で音読「学びて時に之を習う、・・・・」等、その後は皆で講堂のお掃除、子供の頃の学校を思い出しました。.

牛窓オリーブ園

なだらかな山の斜面15haにわたって、約2千本のオリーブが茂る日本を代表するオリーブ園。

3月11日は東北大震災から3年、14時46分に皆で黙とうをしました。


オリーブ園広場からの眺望は、日本のエーゲ海と呼ばれるが、天候も良く素晴らしい眺めでした。

お礼
昨年5月28日、このブログをUPしてから約10か月、NPO法人大阪府高齢者大学校 「自然文化研究科」の活動も来週の成果発表、卒業式とあと僅かになりましたので、本日をもって閉めさせて頂きます。
気まぐれで始めた、小生の拙いBlogでしたが、予想を遙かに超える皆々様に見て頂き、喜びと、プレッシャーの10か月間でした。
改めて、お立ち寄り頂いた皆々様にお礼申し上げます。本当に有難うございました。 管理者




 夏休み番外編 高大同期会の下見 「比叡山」

2013年08月08日 | 旅行
8月6日        8月13日 写真の1部差し替え、掲載
昨年の高大考古学を楽しむ科の同期会を8月28日開催しますので、その下見にいってきました。
暑さ厳しい時期なので、行先を考えましたが、少しでも涼しい比叡山に決定しました。
又、熱中症などの心配も有り、歩く距離もバスなどを使用し極力短くして、同期の人たちとの交流を目的に計画しました。
 
コースは
京阪淀屋橋駅→🚃→京阪出町柳・・出町柳駅→🚃→八瀬比叡山口🚡ケーブル八
瀬駅→🚡→ケーブル比叡駅・・ロープウエイ比叡山→🚡→ロープウエイ比叡山
山頂駅・・.大講堂・・比叡山会館(昼食)・・根本中堂・文殊堂
阿弥陀堂・・→🚌比叡山山頂駅→往路を戻る。
京阪出町柳駅で1次解散 16時頃
京阪出町柳→🚃→淀屋橋

当日カメラは持参したのですが、SDカードを入れ忘れまして、本体メモリーしかなく画像は少ないです。

叡山出町柳駅からケーブルでケーブル比叡駅へ

ロープウエー比叡山から比叡山山頂駅へ

延暦寺大講堂 一緒に下見に行ったKさんから提供頂きました。

延暦寺根本中堂

文殊堂より根本中堂を望む

法華総持院東塔 一緒に下見に行ったKさんから提供頂きました。