『 おやじんのながばなし 』

半世紀生きてきました。今日は何の話をしましょうか。

ブルーインパルス

2015-12-06 20:59:12 | Gun&Military
ディアゴスティーニ
自衛隊モデルコレクション


自衛隊の装備のミニチュアが付いてくるシリーズです。
航空機、戦車、艦船等。

あ、鉄道模型の本は気にせんといて下さい・・・
久々の書店でして、一緒に買って来ただけですねん。

さて、自衛隊コレクション
今回の第70号で、ついに最終号になりました。


最後の特集が超音速のアクロバット機
T-2ブルーインパルスにて完結です。


毎号定期購読していた訳ではありません。
気に入った号だけ買っていたんです。
と言っても初号のF-15とT-4ブルーインパルスだけですが。

ただ、最終号がT-2ブルーインパルスで締めくくりとなり
これは買っておかなきゃいかんと言う
文字通り『青い衝撃』に駆られた訳です!


三菱T-2高等練習機を少し紹介。
国産初の超音速機で、初飛行は1971年。
1975年に量産型が完成し宮城県、空自松島基地に配備されました。


この機がブルーインパルス使用機になったのは
第4航空団第21飛行隊内に戦技研究班が作られた1982年1月。

その半年後に公式デビューし1995年12月まで
各地で展示飛行を中心とした活動を続けました。

下の写真は昔私がクシタニに在籍中、同僚社員と一緒に
空自浜松基地祭へ行った際、私が撮影したものです。


機体デザインは一般公募から4名の女子高生の作品が採用され
アレンジを加えた上、このデザインになったそうです。

1982年10月航空ジャーナルの臨時増刊号には
T-2ブルーの誕生秘話からいろんな記事が掲載されてます。

審査員として松本零士先生も参加されてたのも載ってますが
私は当時の新聞記事で読んで知っていました。


モデル撮影会はこの当時から(1998年)既にあったのですよ。

T-2は複座(2人乗り)練習機ですが、
同時に三菱重工で開発された単座型の戦闘機で
F-1と言う機体もありました。

下のF-1支援戦闘機は空自奈良基地(航空学校)内に展示されています。



ちなみにこれは岐阜基地祭で撮影したものですが
岐阜基地の航空自衛隊飛行開発実験団のT-2改CCVです。


ご覧の通りカナード翼を装備された完全実験研究用の機体なのです。




T-2ブルー最大の特徴は、炎を引きながら離陸する姿です。

機体後部、排気口直後に設置されたスモーク用オイル排出ノズルから
流れ出るオイルにアフターバーナーの熱が引火して起きる現象です。


一般のT-2はスモークなんて出しませんから、ブルー専用機だけに
炎の離陸シーンを見る事が出来るのです。


超音速機であるT-2の飛行はダイナミックで
編隊で通過していくシーンなんて堂々としていました。


ただし、その一方で旋回性能の低さから演技間隔が間延びし
進行プログラムが難しかったそうです。


1982年11月、ここ浜松で墜落事故があったり
宮城県金華山沖で練習飛行中に墜落事故があったりと
悲しい歴史も背負っていたのです。

なおF-1もT-2も現在では全て退役しております。




同じ時に浜松で撮影したあれこれ。
1958年に初飛行した戦後初の純国産ジェット練習機富士重工T-1A(B?)

T-2の前の国産ジェット練習機ですから、
撮影日よりそんなに遠くない年に退役しています。

これも練習機ですが、さらに前のモデルです。


アメリカ軍のジェット戦闘機ロッキードP-80から生まれた、
航空自衛隊最初のジェット練習機(ロッキードと川崎重工)T-33A
飛行訓練生の恒例編隊飛行。

同じ教育飛行隊所属だったT-33Aは奈良基地にも展示されてます。



浜松基地には零式艦上戦闘機52型もありました。
グアム島で発見され三菱大江工場で復元されたそうです。


現在は浜松基地に隣接するエアーパーク浜松広報館でつり下げ展示されており
接近して見る事が出来なくなりました(写真右上)



キレイなオネイサンはどこで見ても絵になります。

普通の洋服であったり、コスプレであったり。
どちらが好みですか??


後ろのヘリも現在は退役してしまった
空自救難隊が使用していたV-107バートル。

浜松基地は何度も足を運びまして、独身の頃はT-2ブルー。
結婚してからは子供と一緒にT-4ブルーを見ています。

後方の機体は教育飛行隊所属のT-4。

現在3世代目ブルーインパルス機である川崎T-4は
コレクション第4号でして、発刊されてすぐ買ったのです。


今回2世代目のT-2買ってしまったからには
何かお忘れではないでしょうか???・・・・






ハイハイ。
F-86Fブルーインパルス!!!

バックナンバー注文しちゃいました・・・・


初代ブルーインパルスの機体で
1960年3月4日に曲技チームとして正式編成されています。

私が小学校へ行くか行かないくらいの年齢の頃、
父親にどこかの基地祭へ連れて行ってもらった時に
86のアクロバット展示を実際に見ています。

我が家では親子3代に渡って
ブルーインパルスとの縁がある訳です。



86ブルーと言えば1964年10月10日
東京オリンピック開会式で、会場上空に描いた五輪。

当時のオリンピック開会式で、このような曲技飛行は
前例の無い奇抜なアイディアで、ブルーインパルスの名を
世界に知らしめる事になったと言う事です。

2020年開催の東京オリンピックではT-4ブルーが
再び五輪を描いてくれるのを期待しています。

この86をテーマにしたと思われる映画。
「東宝DVD名作セレクション」で見つけましたので
今度買ってみようかと思案中(レンタル店にはないのよ・・)



モデルは全て彩色完成済みの1/100スケール。


F-86Fの塗装はホワイトがベースにライトブルーのラインかと思いきや。

主翼背面は未塗装部のシルバーも一部残されます。


T-2はブルーがベースにホワイト、ライトブルーのラインと言う感じ。

両翼に吊られているオレンジ色の増槽を装着してるのは
実機では見た事ありません。


T-4、上面から見るとホワイト基調。

背面はブルー基調でコントラストに変化を付けているようです。


そのうちディスプレーケース買って飾るとするか。

今年はケガで秋の航空祭には行けませんでしたが

来年は絶対に行くど!!

6 コメント

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自衛隊機 (ダイニ☆テンリオー)
2015-12-07 07:21:13
今から思い出せばT2って曲技に使うには随分大柄な機体だったなあと思います。ここから発展したF1は戦術支援戦闘機という位置付けでしたから、運用側として曲技を行うには苦労の連続だったに違いないでしょう。
それにしてもこの2機は写真写りがいい飛行機ですね。

富士T1は全て国内で開発 された初めての自衛隊向けジェット機だったでしょうか、防衛予算とかの絡みもありますが息長く現役を勤めた練習機でしたね、かつてオーストリアが真剣に購入を打診した経緯があるらしく、結局当時の法規制の前に輸出出来なくなった過去があるそうです。

三菱F1、シューティングスター共に割りと近場にありますから1度見学に行きたいです。
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ハチロクとT2は (川井)
2015-12-07 21:05:55
プラモでつくりました。どちらもブルイン仕様ですが86は塗装ぜんぶデカールで、そんなでかいの張れん!と難儀した記憶が。
どれの展示も見ましたが今年はいちども見ずでした。
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ダイニ☆テンリオーさん (Oyajing♪)
2015-12-07 23:23:07
F-1、T-2も2発で大柄ですが、F-4、F-15と比較して主翼長や面積が小さいので、実際はそんなに大きく見えないようです。
なるほど、T-1の時代にはすでに海外の評価が良かったと!?
富士重工は元は中島飛行機ですから、やはり航空機作りのDNAは途絶えることなかったと言う事ですね。
次回の奈良基地祭へは一緒に出かけましょう!
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川井さん (Oyajing♪)
2015-12-07 23:26:38
ほう、プラモで作られたのですか?
86はある程度な塗ってしまった方が早かったりして(笑)

来年は岐阜か浜松あたり、観に行きましょうか?
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浜松、岐阜、小松あたりですね (川井)
2015-12-09 07:11:59
うちのメンバーに防衛施設協会の役員がいますので、それ以外にもスポット的に展示飛行するやつを見に行ったことがあります。
今年はいけませんでしたが来年は行きたいですね。
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川井さん (Oyajing♪)
2015-12-09 15:07:18
おお!是非とも実現したいと思います(≧∇≦)
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