『 おやじんのながばなし 』

半世紀生きてきました。今日は何の話をしましょうか。

永遠のレプリカ

2015-02-18 21:46:06 | 思い出のバイク
わが青春の4スト400

仕事帰りに本屋さんへ立ち寄りました。
1冊のバイク雑誌に目が止まり、思わず購入。
『永遠のレプリカ』

そう。1980年代にバイクで青春を謳歌していた私たちの年代。
その世代で中心の合言葉だった「レプリカ」と言う雑誌タイトル。

雑誌の内容は国内4メーカー、4スト400ccのレーサーレプリカ特集です。



おりしも当時国内は空前のバイクブームと併せ
これまた空前の鈴鹿8耐ブーム。

バイク各社はそこで活躍するTT-F1(1000cc)や
その次の人気カテゴリーTT-F3(400cc)で活躍する
ワークスマシンを模倣した市販車をこぞって発売するようになります。

これらのバイクを「レーサーレプリカ」と呼びました。


雑誌の内容は、
このカテゴリーが生まれた背景や車種の紹介。
当時の取材エピソードから、当時ヤングマシン誌の写真も織り交ぜ
オッサン世代には永久保存番的な内容になってると思います。



当時大学生だった私はバイク通学していたのですが、
学校へ向かう途中に「信貴生駒スカイライン」の登り口がありました。

直進して学校へ向かわなきゃいけないのに、何故か左へウインカー出してしまう
魔の交差点が通学途中に存在したのです。
(だから5年も大学通う事に・・・ほっとけ!!)

当時たまたま中学の同窓生だった西辻君に再会した時の話。
「モトイネレーシング」でレース活動をしてるのを知り
「私をサーキットへ連れてって!」と言う流れになるのは
そんなに時間のかかる事ではありませんでした。

私のサーキットデビュー(鈴鹿サーキット)は

YAMAHA FZ400R
上の写真の通りヤマハTT-F3ワークスマシン「FZR400」のレプリカです。

スリックタイヤを履いてますが、当時F3とは別にSS(スーパーストリート)400と言う
小改造で出場できるカテゴリーがあり、スリックはOKだったのです。

しかし当時のノーマル車体はスリックのグリップにまだついて行けず、
スピードが上がるごとに、またまた知らない世界のお知らせが
車体の色んな部分から通知され続ける、繰り返し。

車体のパーツはマフラーから小物まで、
「ヒデハルエンジニアリング」でお世話になってました。




当時の髪型。あ・安全地帯してる・・・

鈴鹿のピットにて。正面は私のFZ400R。
見にくいですが後ろはスズキGSX400R。左のピットにはカワサキGPZ400R。
各メーカーの代表的なレーサーレプリカが集結してます。



まだダンロップブリッジが有った頃のダンロップコーナー
改めて見直すとノリックみたいな乗り方してたんですねぇ・・


ショーエイヘルメットさんからレーシングサポートしてもらうようになった頃。
ろくに決勝走れてなかったのに、よく面倒見て下さったと今でも感謝してます。



この雑誌、ヤングマシンの系列で、当時のレポートの写真の中に
故、大島正選手のインプレ時の写真も掲載されてるんです!

大島君、当時ヤングマシンには担当コーナー持ってましたし
インプレプロライダーの一人だったのです。



VFR750RKのプライベート時代。
テールカウルの「KS-1」ステッカーは私の自作で、
車両用にと大島君へ渡した物です。



KS-1カラーの時期は既に私もクシタニに勤務していましたから
FZやGSX-Rがデビューした時に行ったレポートはないようです。
記事でも少し読める通り、過去のレプリカ特集とかだったんでしょうね。

ちなみに下↓の大島君が被ってるヘルメットは「クシタニ京都店」に展示されてます。



黄色ヘルメットはBEETレーシングで暴れまくってた頃の大島君。
この頃はまだ痩せてる・・・(笑)

これが時期的にFZ400Rがデビューした頃のインプレでしょう。
過去の日記でも大島君の事少し書いてます。



私の中ではレーサーレプリカ400を乗り継いでレース参戦していたあの頃。
当時のヒーローとしての大島君もいて、なんとなくまだキラキラしていたあの頃。
これからバイクを降りる事になっても、あの頃の空気は忘れないんでしょう。たぶん。





ま、今んとこ降りる気は全くございません!