ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

開基・大宝3年。

2009-10-02 06:39:35 | 昔話
 北川村・和田に妙楽寺という寺があります。開基は大宝3年(703年)僧善有によるとされています。山寺にしては多くの仏像がそろっているのです。

 地元の住民にとっては、生活の糧を得るために野根山山系に分け入っていたのでしょうが、未だ野根山街道も官道にはなっていない頃なのです。

 しかし、これはすごいことです。「諸国で最も良い土地を選んで建てよ。」
 聖武天皇の勅願により、高僧行基が土佐国分寺を創建したのが天平13年(741年)ですから、それに先立つこと38年。奈半利川の上流に寺が出来ていたのです。
 さらにその当時安芸郡の中心として発展していたらしい奈半郷にも”コゴロク廃寺”は多分出来てはいないのです。

 北川風土記によると、創建された妙楽寺には東西南北3町余りの地が寄進されたとか、創建以後も火災によって消失したりしているのですが、余り時を待たずして、再建されたり、仏像が作られたり、鐘が鋳造されるなど仏教が住民の間に定着してゆく様が見て取れる記述が多いのです。

 僧善有は蘇我氏の一族で、24歳のときに四国の山間部で修行をしていたところ和田に来て、この地を仏教の成就する霊地と定めたのだそうな。
 さらに、峰に上って修行をしていると、田野の浜に赤木が寄りあがり、夜光を放っていたので、これを取ってきて49日間禊をした後、一尺ニ寸の薬師如来の像を刻んだのです。これを本尊として妙楽寺を建立したとの伝説があります。

 豊かな山林資源をもって、住民がどの様な生活をしていたのかについては古代のことで資料もないのですが、交通の不便さを忍べば,人間が生きるための自然環境には恵まれた場所で、少数の縁故深い人たちだけで平和な集落を作っていた所へ、時の権力者の一族の若い僧が現れて、仏教を普及するために寺を建立したということなのです。

 昔々の話です。

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