さきの作業の帰りに山道を歩きながら、「林業は最早産業にならないね。」「採算が取れないし、将来的に目途も立たない。」「木の価格だけの問題ではなく、地域の複合的な問題でもあるからなあ。」荷物を抱えてほんの10分程度の話です。
ただ今の作業はやっていて楽しいし、森林環境ボランティアみたいなものです。
毎日新しい課題が生まれて、それへの対応に創意工夫する自分が嫌いではないのです。
また何年か後に材を出したくても、「道」がなければ「どうしようもない。」ですし、間伐を含めて今だからこそやれる仕事もあると思えるからです。
林業の門外漢が考えてもそうなのですから、専門家が考えたらもっといい案が出ると思うのですが、どうもそうではないらしい。
というのも先日高知市の森林局での会合で、こんな発表があったからです。
「雇用対策のために大規模工場を建設し、その工場の稼動効率を上げるために、森林の皆伐を推進する。」というのです。
さらに、その会合の中では反対意見もなく、そのまま承認。
「困ったもんだ。」
「公益と経済。山が持つこの2大機能は、やり方次第では調和が可能だが、山に無理強いしたときにそれが壊れている。戦時の乱伐、そして高度成長期の大面積皆伐。これらが崩壊の”犯人”といえる。」
20年ほど以前に発行された高知新聞社の「森よ(あすの指針求めて)」にある一文です。
現在の森林に係わる状況は、20年以前と比べても場所によっては、より悪くなっているような気がしています。少なくとも関係者の高齢化が進み、若者の定住が促進されない分だけでも山間地域の状況は深刻です。
高知県の県土の84%は山林です。
公益と経済、この2大機能を調和させるための智恵が欲しい。
高知県を豊かで安心して暮らせる場所にするためには、どうしても避けては通れないのです。
私達は今出来ることを徐々にやってゆく。それしかないのです。
山林崩壊にむかう山野を前に少しささやかなブレーキを踏む必要があると考えているのです。
未熟者の浅智恵かもしれませんがね。
ただ「どうせなにをやっても、いかんでねえ。」と何もやらずにいいたくはないのです。
さらに、皆伐によって、一部の工場は繁栄を享受できたとしても、高知県の森林を失って、「赤い奈半利川」が再現されるようなことは、受け入れがたいことです。
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ただ今の作業はやっていて楽しいし、森林環境ボランティアみたいなものです。
毎日新しい課題が生まれて、それへの対応に創意工夫する自分が嫌いではないのです。
また何年か後に材を出したくても、「道」がなければ「どうしようもない。」ですし、間伐を含めて今だからこそやれる仕事もあると思えるからです。
林業の門外漢が考えてもそうなのですから、専門家が考えたらもっといい案が出ると思うのですが、どうもそうではないらしい。
というのも先日高知市の森林局での会合で、こんな発表があったからです。
「雇用対策のために大規模工場を建設し、その工場の稼動効率を上げるために、森林の皆伐を推進する。」というのです。
さらに、その会合の中では反対意見もなく、そのまま承認。
「困ったもんだ。」
「公益と経済。山が持つこの2大機能は、やり方次第では調和が可能だが、山に無理強いしたときにそれが壊れている。戦時の乱伐、そして高度成長期の大面積皆伐。これらが崩壊の”犯人”といえる。」
20年ほど以前に発行された高知新聞社の「森よ(あすの指針求めて)」にある一文です。
現在の森林に係わる状況は、20年以前と比べても場所によっては、より悪くなっているような気がしています。少なくとも関係者の高齢化が進み、若者の定住が促進されない分だけでも山間地域の状況は深刻です。
高知県の県土の84%は山林です。
公益と経済、この2大機能を調和させるための智恵が欲しい。
高知県を豊かで安心して暮らせる場所にするためには、どうしても避けては通れないのです。
私達は今出来ることを徐々にやってゆく。それしかないのです。
山林崩壊にむかう山野を前に少しささやかなブレーキを踏む必要があると考えているのです。
未熟者の浅智恵かもしれませんがね。
ただ「どうせなにをやっても、いかんでねえ。」と何もやらずにいいたくはないのです。
さらに、皆伐によって、一部の工場は繁栄を享受できたとしても、高知県の森林を失って、「赤い奈半利川」が再現されるようなことは、受け入れがたいことです。
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父が亡くなる前に、山に苗を植えたって、それを聞いた近所の人が、「そんなもん今から植えてどうするんで?わしら死んでおらんわ!」父 「そんなもんわかっとる、孫に残したるんや。」跡継ぎの孫がおります。この子が後、よーするんかわからんけど、私ら女ばっかりの4姉妹、実家はこの孫(高校生)に継いでもらうつもりやけど・・・なんせ田舎・・・住んでくれるか?無理も言えん。この子になんもかも押し付けるのも可哀相。好きなようにさせてりたい。
ご意見ありがとうございます。
山の経済は、一人の人間の人生より遥かに長いサイクルで動いているようです。古老の有名な話としては、100年周期説まであります。
植林をして100年経つと、経営的には成立すると言うのですが、特別な大規模地主でないと成立しない話です。人間の寿命を考えると孫のそのまた子供がやっとどうかといったところです。
しかし、すばらしいお父さんでしたね。
自分のことしか考えない方々で蔓延しているこのご時世に、後のことを考えて行動されたのですから。そうした方々の活動に地域環境は依存しているのですが、気がつかない我々がいます。恥ずかしいことです。
森林と言う財産については先ずは公益が先で、経済については先のことにしたいですね。
御子孫の方々が考えてくれるでしょう。
そう思います。