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オショーの沖縄旅 後編 2日目 6月29日

2015年07月04日 | 保養
朝6時、目が覚める。前夜の酒が残っている。私にしては珍しいことだ。
7時、“ 何我寺 ” (あーがじ)で朝のお勤めを、知花さんと行う。
知花さんは、現在 寺の住職である。
真宗大谷派の僧侶となっている。その後、朝食。
前日にチョトした出来事があり、その為今日の予定の伊江島とは逆方向、宜野湾市に向かうことになった。
宜野湾市からは再び逆方向に、今度は高速道路で本部のフェリー港へと、猛烈なスピードで車を飛ばす。16時の最終フェリーに乗る為である。車を本部港に置き、やっとのこと出港5分前に乗船出来た。
30分後には、伊江島港に到着。
「わびあいの里」の山城さんが車で迎えに来てくれていた。
「わびあいの里」に着くと、 早速、謝花さんにお会いし、長時間に及ぶお話しをお聞きすることになった。
まずは「阿波根 昌鴻」(あわごん しょうこう)氏についての話しから始まり、私の沖縄での目的、旅の行き先等、社会や人生についての多岐にわたる話しとなった。
阿波根 昌鴻氏とは、伊江島に於いての農民指導者である。戦後すぐ米軍は伊江島に飛行場を建設し、多くの農民の土地を奪い、その為、農民の生活は困窮を極め、土地奪還の為の反米軍基地闘争を始めたのである。
その徹底した非暴力無抵抗主義を貫いた生き方は、日本のガンジー ”と評されたのである。
その闘争の記録と歩みについて解説、そこから得られた教訓の数々を展示してある資料館があり、瞠目すべき内容となっている。
現代の辺野古の問題始め、沖縄に於ける反米軍基地闘争は極めて長期にわたる闘争であるが、阿波根さんのような方が存在したことは、戦後の民衆史の上で、特筆に値することであり、多くの人々に知ってもらう必要があり、「日本にも、阿波根さんという聖者がいた」と認識してもらう、ことは全ての市民運動家にとって、大きな励みとなるであろう。(同感です!)
謝花さんは、戦後、阿波根さんと歩みを共にされて来た方で、現在の「わびあいの里」の後継者である。
80歳過ぎの女性で、若い頃からの病氣で、車椅子生活を送っているのだが、お元気で、私に手料理を振舞っくれた。
この夜は、港近くにある「わびあいの里」の宿泊施設まで送ってもらい、シャワー浴び、10時、床に着く。


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