復刻作品なのか、時代のあるものかは分かりませんが、当方の蒐集作品において影青の碗のような作品が、不揃いではありますが10客になりました。10客用意したのは食器として揃いで使えるようにするためです。
氏素性の解らぬ作品
影青刻花斗笠茶碗 宋(北宋)時代? その10
誂箱
口径152*高さ54*高台径36
なんども繰り返して記述していますが、この作品のような作品を称している「影青刻花」とは、「青白磁に刻花したものを影青(いんちん)」と呼ばれ、その影青の語源は、「白磁に印花や刻花で文様を表し、その上から薄青色の釉薬を施した際に凹んだ”影”の部分に釉薬が深く溜まり、澄んだ深みのあるなんとも静謐にして艶かしい様相となること」から称されています。
その文様自体もが花の文様となり珍重されている作品です。宋代とくに北宋時代には高台を低く作り、円筒形の台を当てて焼いているため、褐色に台の跡が残っています。この有無が真贋鑑定のポイントの一つとされますが、分かりやすい特徴ゆえ後世にて模倣もされているようですので、必ずしもあるからといって本物とは限りません。
経常的には「小さな高台を持ち真っ直ぐハの字に開いた形状」をしており、中国で頭にかぶる笠に似ているため「斗笠碗(とがさわん)」と呼ばれまています。
*北宋時代の作品はかなり薄い造りですので、透けて見えるように作っています。このような薄い造りの作品はときおり見かけますが・・。
13世紀、主に中国南宋時代の後期に江西省景徳鎮窯で焼成された南宋時代の青磁ですが、これより古い12世紀前半までの北宋時代の影青の作品は南宋時代の青磁に比しては非常に数が少ないとされます。ただ北宋にしろ、南宋にしろアジア全域に輸出していたようですので、東南アジアでも比較的数多く見ることができるようです。
北宋時代から南宋の時代になると大量生産されます。非常に似通った作品ですが、時代の経過がわかるのは、南宋の時代では横から見ると形がはんなりとふっくらしており、胎土の少し厚くなるのが南宋の時代の形の特徴で、さらに高台がわりと大きく、すべすべしている特徴があります。。
前述のように北宋時代の青白磁は窯道具の台に乗せて、鞘に入れてひとつずつ焼成するため、本作品のように高台の裏に窯道具の鉄色の跡があります。ただこの特徴は南宋時代のものにも見られますし、模倣もしやすいので決定的な判断にはならないようです。
一挙に技術や形が変化したのではむろんないので、「形がはんなりとふっくらしている」作品でも北宋時代のものもあるようです。
南宋時代になると刻花は箆か櫛でささっと雲とも水の流れともつかない文様となり、それはそれで勢いがあって、実に良い文様でもあります。
南宋の時代の作品は全面的にすべすべしている特徴がありますが、北宋時代の作品には一部に灰が被ったような煤みたいな跡が多くあります。
いすれにしても北宋時代の作品はとくに薄作で、ちょっとして衝撃でも割れてしまうため、状態の良い青白磁が出るのは極めて少ないとされます。
近代の中国でかなりの量の影青の碗の作品が発掘されたようで、そのため南宋時代の作品は大きく値崩れしたようですし、それに伴って北宋時代のものも評価が下がったと思われます。
そのためその後は模倣作品も少なくなったのかもしれません。
影青の技法は北宋時代に生まれ、南宋時代に完成したとされますが、北宋時代は胎も釉も薄く、まるで紙のように軽く、触ると手が切れそうなほどシャープです。南宋時代になると、胎も釉も少し厚みが出て、優しさと艶やかさと瑞々しさが出ます。
時代の好みと、技術の向上により影青は南宋時代に最盛期を迎えて大量につくれたようです。
本作品は北宋時代の特徴とされる「胎も釉も薄く、まるで紙のように軽く、触ると手が切れそうなほどシャープです。」を有していますが、近代では窯の技術の発展し、模倣も可能となっているとも推測されますが・・・。
当方では北宋なのか、模倣なのかはまったく判断がつきませんが、近代でもこれほど薄く作るのはかなりの技術のように思います。ただで電気窯など温度の調整がたやすくなっていますので、作りやすくはなっているようです。
氏素性の解らぬ作品である南宋や北宋の特徴を持つ作品を、思い思いに食器として使って鑑賞するのも一興かと・・・。