
夏休みとなった息子は江の島へ・・・・。


さて、本日紹介するのはなんとなく気に入って入手した作品です。どうも織部の一種らしいと気がついたのは入手後のことです。

*大津絵と一緒に展示室に飾っています。

織部沢瀉文徳利 伝江戸時代 (17世紀?) その2
合塗箱「古織部」と銘あり
口縁に補修跡 最大口径42*最大胴径105*高台径72*高さ175

真贋はよくわかりませんが、この手の文様の瀬戸の徳利を「織部 沢瀉文徳利」と称しているようです。「沢瀉紋」というのは下記の説明の通りです。

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沢瀉紋:(オモダカモン)オモダカは、池や沢などに自生する水草で。愛らしい花が咲く。その昔、この植物を「勝ち草」といって、戦いに勝つことにかけていたという。葉の形が矢ジリに似ている、また、沢瀉威の鎧ということばもあって、「攻めても、守ってもよい」ということから勝ち草とよんだという。毛利氏も副紋にこの「沢瀉紋」を使用している。 (立ち沢瀉)。
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本作品のようにこの沢瀉紋を描いた徳利は江戸期の瀬戸(美濃)で数多く生産されました。

口縁から肩にかけて澄んだ萌黄色を呈する緑釉が掛けられており、ところどころに緑色の発色が見られます。

わずかな釉が流れ落ちている部分が薄い黄緑に見えます。

全面に長石釉を掛け、鉄絵で胴の片面に葦、他方に沢瀉をおおらかな筆致で描いています。

首の部分が胴に適度にのめり込んでいますが、これがかえって全体の形に味を出しています。

発掘品も多くあり、このような変形したような形状から不要として捨てられていたものかもしれません。ところどころに織部釉が発色しています。

鉄絵は「沢瀉紋」のような、そうでないような感じですが、のびやかな絵筆は実に現代的です。

細い首、小さい肩、控えめに膨らんだ円筒形の胴を持つ背の高い徳利です。水平に開いた口の縁を少し立ち上げ、肩にはときとして細い櫛目が廻ります。

胴の裾(下部分)を直線的に面取して姿を引き締め、底は中央を浅く削った碁笥底(ごけぞこ)としている特徴があります。

本作品は根拠はありませんが、発掘品のような気がします。

それ相応の保存箱に収納されています。

面白いことにこの金文字とおなじような箱に収まった作品が存在します。

下記の作品がその作品です。
*インターネット上で探すと下記の作品が同等の手の作品として取り上げられています。同じ時期の発掘品・・・・??

似たような作品では下記の作品があります。
参考作品 サントリー美術館所蔵
織部葦沢瀉文徳利
江戸時代 17世紀
作品サイズ:口径48*胴径91*底径67*高187

本作を収めている箱の蓋裏には、
1.発掘で見いだされたものであること、
2.近代数寄者の松永耳庵(じあん)が昭和7年(1932)8月に求めたこと
などが記されているとのことです。
本ブログにてすでに紹介されている作品は下記の作品ですが、このような作品は意外に数多く見かけますね。
織部沢瀉紋徳利 江戸期 その1
合箱
口径35*胴径80*高180

真贋はともかく本作品は徳利しても、花入れとしても使えそうです。当方のお気に入りの作品となりそうです。

衝動的に入手した作品・・・。

まるで人が踊っているかのような図柄・・、他にはクマガイソウを活けたりしています。