夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

嫦娥弄月図 岡本大更筆

2019-11-07 00:01:00 | 掛け軸
週末には近所のJAXA(国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構)の展示会へ・・・。



意外にマニアックな展示、子供にとって面白い展示は少ないかも?



月面の世界へ・・・。



ロボットは大人も子供も面白い。



息子はそれなりに愉しかったようです。



さて本ブログにておなじみの岡本大更の作品です。本日は単なる美人画?ではなく、説話上に登場する「嫦娥」を描いた作品です。

嫦娥弄月図 岡本大更筆
絹本着色軸装 軸先骨 共箱 
全体サイズ:縦2170*横475 画サイズ:縦1295*横350



題材は「嫦娥(恒娥または常娥とも書く」)です。

嫦娥(じょうが、こうが)は、中国神話に登場する人物で、月の神とされ、后羿(ゲイ)の妻。姮娥とも表記します。『淮南子』覧冥訓によれば、もとは仙女だったが地上に下りた際に不死でなくなったため、夫の后羿が西王母からもらい受けた不死の薬を盗んで飲み、月に逃げ、蝦蟇になったと伝えられています。

月宮(広寒宮)で寂しく暮らすことになったという中秋節の故事です。月の表面に見える蝦蟇のような斑点は嫦娥の姿で、嫦娥は月の女神とも言われ、兎とともに描かれることが多い題材です。



嫦娥の補足説明

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帝俊(嚳ないし舜と同じとされる)には羲和という妻がおり、その間に太陽となる10人の息子(火烏)を儲けた。この10の太陽は交代で1日に1人ずつ地上を照らす役目を負っていた。ところが堯の時代になり、10の太陽がいっぺんに現れるようになった。これにより地上は灼熱地獄となり、作物も全て枯れてしまった。

これに対して、堯がこの対策を依頼したのが羿(ゲイ)である。嫦娥の夫の後羿は勇敢で戦に長けている戦いの神であり、狙ったものには必ず的中するほどの弓の腕をもつ。当時、人間世界には多くの猛禽や猛獣が現れ、人々に災いをもたらしていた。これを知った天帝は、これらの害を取り除くよう後羿に命じられたりしていました。 



太陽に対する対策を命令された羿は、初めは威嚇によって太陽たちを元のように交代で出てくるようにしようとしたが、効果がなかった。そこで仕方なく、1つを残して9の太陽を射落とした。これにより地上は再び元の平穏を取り戻した。その後も羿は中国各地で数多くの魔物を退治し、人々にその偉業を称えられた。

ところが、子を殺された上帝は羿を疎ましく思うようになり、羿は神籍から外され、不老不死ではなくなってしまった。このときに羿の妻の嫦娥(こうが)も同じく神籍から外され、不老不死を失った。嫦娥から文句を言われた羿は、崑崙山の西に住む西王母の元へ赴き、不老不死の薬をもらった。この薬は2人で分けて飲めば不老不死になるだけであるが、一人で全部飲んでしまえば昇天し再び神になることができるものであった。



羿は神に戻れなくても妻と2人で不老不死であればよいと思っていたのだが、嫦娥は薬を独り占めにしてしまい、羿を置いて逃げてしまった。嫦娥は天に行くことを躊躇して月へ行ったが、羿を裏切った罪のせいかヒキガエルへと変身してしまい、そのまま月で過ごすことになった。

その後、羿は狩りなどをして過ごしていたが、家僕の逢蒙(ほうもう)という者に自らの弓の技を教えた。逢蒙は羿の弓の技を全て吸収した後、「羿を殺してしまえば私が天下一の名人だ」と思うようになり、羿を射殺した。このことから、身内に裏切られることを「羿を殺すものは逢蒙」と言うようになった。



なお、羿があまりに哀れだと思ったのか、「満月の晩に月に団子を捧げて嫦娥の名を三度呼んだ。そうすると嫦娥が戻ってきて再び夫婦として暮らすようになった。」という話が付け加えられることもある。別の話では、后羿が離れ離れになった嫦娥をより近くで見るために月に向かって供え物をしたのが、月見の由来だとも伝えられています。

月にまつわる伝説は中国にもいろいろありますが、日本の「かぐや姫」伝説にも似た話、その原形では?といわれていて、中国人なら誰でも知っている「嫦娥(じょうが)月に奔(はし)る。」という神話です。なお、中華人民共和国初の月周回衛星は「嫦娥第1号」と命名されました。

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「夫の羿は神に戻れなくても妻と2人で不老不死であればよいと思っていたのだが、嫦娥は薬を独り占めにしてしまい、羿を置いて逃げてしまった。」・・・なんとも古来より美人は自分勝手な面がある

美人と関わらないほうが身のため、これは経験を踏まえた小生の処世訓。



*箱書に「大更簽(鑑)」とあることからある程度期日を経てから箱書された作品と思われます。あくまでも落款の書体からの推定ですが、大正時代(大正時代後半から昭和初め?)に描かれた作品に昭和期に箱書きしたものと思われます。

美人画が多く、他に七福神や仙人の作が多い岡本大更の作品の中で、本作品はちょっとシミがありますが、「嫦娥」という怪しげな女性を描いた岡本大更の秀作のひとつと言ってもよいでしょう。

本ブログで同じ題材の作品は他の所蔵作品「嫦娥図 西田春耕筆」などにて紹介しています。

骨董蒐集もJAXAも同じ、心は月へ、宇宙へ・・・、人間は大したもんだ


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