夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

横綱牛 平野富山作 その4

2022-09-05 00:01:00 | 彫刻
本日は平野富山の作品紹介です。平野富山本人の作はこれで4作品目となります。



昭和33年には平櫛田中作「鏡獅子」の彩色を担当するなど、平櫛田中とのコンビにて彩色木彫を作っていますので、本ブログで紹介された平櫛田中の多くの作品の彩色を平野富山が担当しています。

確証はありませんが、下記の作品の彩色は平野富山が担当しているかもしれませんね。

気楽坊 伝平櫛田中作 その5
共箱
高さ445*幅448*奥行240



本人の木彫も優れた作品を数多く遺していて、子息の平野千里も木彫作家として名を成しています。

「横綱牛」と題されたこの作品は伊予の国、愛媛県宇和島に長い伝統を持つ闘牛から題材を得ているようです。



横綱牛 平野富山作 その4
共箱
本体:幅470*奥行160*高さ315 重さ4485g



毎年正月にこの闘牛の番付表が発表されますが、横綱を張った牛は名前を書いた幟(のぼり)をたて土俵入りします。幕末に一度、大正時代に一度、昭和23年(1948年)には占領軍命令で禁止されましたが、今は元の盛況を取り戻しているそうです。



平野富山(敬吉)の略歴は下記のとおりです。

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平野富山:明治44(1911)年3月7日、静岡県清水市に生まれる。本名富三。清水市立江尻高等小学校を卒業して昭和3(1928)年に彫刻家を志して上京、池野哲仙に師事する。同16年より斎藤素巌に師事。翌17年第5回新文展に「女」で初入選。この頃から昭和50年代初めまで「敬吉」の号を用いる。

同18年第6回新文展に「想姿」を出品したのち一時官展への出品がとだえるが、戦後の同24年第5回日展に「若者」を出品以後は一貫して日展に出品を続けた。同31年第12回日展に「若人」を出品して特選となり、同34年第2回新日展出品作「裸婦」で再び特選を受賞。同38年日展会員、同57年同評議員となった。

日展審査員をしばしば務めたほか、同33年より日彫展にも出品を始め、同37年には第58回太平洋展に「習作T」「現」を初出品して文部大臣賞を受け、同年会員に推挙された。団体展出品作は塑像が多く、ブロンズ像を中心に制作したが、彩色木彫も行ない、昭和33年には平櫛田中作「鏡獅子」の彩色を担当。同60年静岡駿府博物館で「平野富山彩色木彫回顧展」が開催された。

桃太郎の鬼退治 平野富山作 その1(1点のみ?)
ガラスケース入
ケース:幅590*奥行550*高さ550 本体:幅340*奥行280*高さ255



裸婦像を得意とし、若く張りのある肉体をなめらかなモデリングでとらえる。ポーズによって「流星」「かたらい」等、自然物や抽象的概念を暗示する甘美な作風を示した。

弁財天 平野富山作 その2(数点存在)
ガラスケース入
ケース:幅400*奥行365*高さ450 本体:幅175*奥行155*高さ230



能や舞、女性像、動物をモチーフにした木彫り彫刻作品に日本画に使われる光沢のある顔料を用いて衣装や装飾を描く「彩色木彫」の第一人者として高く評価されています。

翁舞 平野富山作 その3(数点存在)
平野千里識箱二重箱・布保護ケース付
本体:幅370*奥行185*高さ450 



また、平櫛田中が制作した作品のほとんどの彩色を担当しています。享年78。

*平野は同じモデルの作品を40~50体作ったそうですが、完璧なコンディションで大きさが大きいもので遺っている作品は非常に少ないとされます。

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本作品は「富山」銘の頃の初期の作か? 昭和50年代初めまで「敬吉」の号を用いていたというから、「富山」銘は64歳頃からか? そうだとすると78歳で亡くなっているいるので、「富山」銘の作品は14年間のみですが、遺されている作品には「富山」銘の作品が意外に多いように思います。



牛の質感がとてもよく出ています。



「横綱牛」には似つかわしくないかわいらしい表情ですね。



実によくできいます。


化粧まわしには龍に雲の文様・・。



平櫛田中、加納鉄哉、市川鉄琅でもそうですが、極彩色の作品が完璧な状態で遺っているのは本当に少ないですね。   



木彫極彩色の作品の横綱クラス・・。



平野富山は「平櫛田中が制作した作品のほとんどの彩色を担当」と説明がありますが、多くの平櫛田中の代表作に対してであり、平櫛田中が多く製作した「大黒天尊像」はそうとは限らないと思います。



底部分です。



下記の彫銘の書体は他の作品にもあります。

*「富山」の号を用いていることから昭和50年代以降の作と思われます。さらに字体から「富山」号時代の初期の作と推定され、干支にちなんだ丑年の作とは限らないようです。







共箱があることは価値を高めます。どうも箱に収めるときは横にするようです・・・??



共箱の箱書は下記のとおりです。

 

金額が表示されている書付がありますが、なんと「450万円」ですが、これは「なんでも鑑定団」なみであり、高すぎでしょうかね? 評価金額の妥当性は当方には解りかねます。

 

ちなみに「なんでも鑑定団」に出品されていた下記の写真の「神馬」は評価金額が150万円で、完全な状態なら「350万円」という評価金額でした。



ちなみにこの「神馬」は昭和天皇ご在位50年記念として「猿にひかれる神馬 平野富山作」と題された作品が寒川神社に奉納されています。
   
 

本作品と同型の作品が「尾久ふれあい館」に所蔵されています。ただし大きさはかなり小さいようです。

参考作品                           
尾久ふれあい館所蔵 
横綱牛 平野富山作
H170×W280×D145mm



現代はインターネット時代、短時間で入手した作品について色々と多くのことが調べられるようになっています。ただし作品が手元にないと本来の調べものではないようです。

義母の干支は丑、義母への感謝を込めた贈り物。



よって飾るのは義母の部屋の近くの展示スペース。外の光を取り入れた棚へ・・・。修復を必要とする箇所は一切ないようです。



極彩色の作品を飾るには埃や日光を嫌うのでガラスケースが必要となります。カバーは義母のまたしてもお願いしました。





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