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夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

Ujisujou no wakaranu sakuhin  李朝堅手 把手付満月白磁壷

2017-12-12 00:01:00 | 陶磁器
青森からの帰りは地元の空港から帰りました。秋田犬の子犬が待ち構えていてくれました。



空港もむろん冬景色・・・。



さて、本日紹介する作品ですが、知識を得るためには作品を入手することはあっても、本格的に蒐集していない作品群のひとつに李朝の陶磁器があります。人気は高いのですが、それゆえ作品の判断が難しいことが理由です。

本日の作品も李朝の作品と思わますが、家内共々「なかなかいいね~」という感想は同じですが、その製作時期は当方の知識の範囲も超えており、判断に苦慮しています。ただ

李朝堅手? 把手付満月白磁壷
合箱
径201*最大幅350*底径180~185*高さ270



オークション時の説明には「灰褐色の土に粉っぽい白釉がかけられています。釉薬は柔らかく良い感じです。低い首の返しや、胴に1本ある釘彫は李朝初期の粉青沙器に見られる特徴です。腰高のフォルムも格好良く、これも又李朝初期の作行きの特徴です。刷毛目の作品は杯、徳利、碗などが多く壺、瓶類は大変少ない上これだけの大壺は希少な物だと思います。口緑から多くのニュウが見られますがジカンニュウと言う物に汚れが入っただけで割れてはいません。1箇所、耳の下の変色している部分はニュウが抜けていて古い韓国式の共直しのような物がされています。」とあります。



「胴に1本ある釘彫・・??」とありますが、これは下部と上部を繋ぎ合わせた跡で、李朝の壺の制作ではよく見られるものです。



胴の中央に接合した跡がある作品は「李朝白磁提灯壷」、「丸壷」、「算盤壺」、韓国では「満月壷」と呼ばれています。満月壺は度重なる戦火によりそのほとんどが割れてしまい現存する物は極めて少ないそうです。



李朝の概略は下記の記述によります。

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李朝:1392年に李成桂が樹立した朝鮮王朝は、儒教を統治理念とし、その後500年の長きに渡り栄華を誇った。この朝鮮王朝で最も好まれた焼物が白磁である。その理由は白磁特有の気品溢れる白が、清廉潔白・質素倹約を旨とする儒教思想に相通じるからであった。

当初、主に作られたのは、国王が用いるための器でいわゆる御器であった。そのため胎土は、民間では使えぬよう厳しく管理された。まだ中国での白磁の影響を色濃く受けており、胎土の精選・形の端整さ・釉薬の美しさ・仕上げの丁寧さなど全てにおいて最高のものを目指そうとした製作態度が伺える。

しかし17世紀の中頃に儒教が一般に広く普及し、その儀式に用いられる祭器が数多く作られるようになると、それに従い美的基準も変化した。胎土や釉薬を精選しないことにより、肌はやや青みを帯びるようになり、わずかなひずみや歪みなどは全く気にしなくなってしまう。施釉にムラがあってもそのままで、これはおそらく上辺を取り繕うことを嫌う儒教の潔癖性が影響しているからであろう。しかしこの不完全さこそがなによりの魅力で、今なお多くの日本人が朝鮮白磁を好むのもこの理由による。

その後18世紀に入り、広州に官窯の分院が設立されると、主に文房具などが作られるようになった。これらは実用具であるため、その造りは堅牢で肌はさらに青みを増した。美的価値の基準としては、趣味性に重きを置いた技巧主義が流行り、透かし彫り・陽刻・陰刻などが施された。しかしその文様はいたって簡素で、あくまで白磁の美しさを際立たせている。

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李朝初期に関しては下記の記述があります。

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李朝初期:初期の白磁は二系統あって、高麗白磁の釉胎を受け継ぎ軟質の胎土を用い、薄作りで、器形、分様ともに精緻なもので肌は半光沢で微細な貫入をともなう。

もう一方は硬質胎土を用いたもので粗雑な場合が多い。ただ前者は15世紀末以降には跡を絶ってしまうが、後者は象嵌施文のない白磁に形を変えて生き残る。昔、学んだ本に李朝初期白磁は石のように重くないと駄目だと書かれている。また硬質官窯の最上級品は、冷めた白色で、まれに高台内に天や上の字を伴なう物もあり、凛とした美しさがありたいへんに稀少だが、市場に出回っている李朝初期白磁の多くは、初期民窯の白磁の小壺類ばかりを散見する。李朝の初期作品は数が少なく、文献などでも限界がある。まして手に触れられる物は非常に少ない。

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上記の記述で「李朝初期」とする根拠は不明確に思われます。底には明確な高台はなく、粗削りされ釉薬は掛かっています。



珍しいのは把手があることです。たしかに把手の下部には共色での補修跡があります。



全体の感じから「堅手」という分類は間違いないでしょう。石はぜの後もあります。



口縁は共蓋が合いそうな作りになっています。



堅手の割には釉薬の変化に味があります。



意図的な贋作ではないと思われ、李朝の形に把手部分があることがそのフォルムに変化を与えています。なかなかの出来の作品と評価しています。



どこに鑑賞のポイントを見つけ出すかは蒐集するもの鑑識眼、もとい鑑賞眼によるものでしょう。日本での民芸陶磁器と通じるものがあり、李朝というフィルターだけでは掴み切れないもののようです。



陶磁器は真贋やどの系統の陶磁器に属するかを論じるよりも、その作品の良しあしを見抜ける鑑賞眼が大切だと思います。茶席などでどこどこの作や作者を論じるよりもその作行を論じることが大切ですが、なかなかそこまでたどり着くのたいへんな見識が必要となります。

掛け軸も陶磁器もそのことがとても大切で、その鑑賞眼を置き去りにして、鑑識眼にて真贋だけ問うのはどうも品がないように思います。



さて李朝民画「家具図」の前に飾ってみました。



飾り方ひとつで作品の雰囲気が違って見えるようです。李朝には李朝民画が良く似合うようです。これも鑑賞眼のひとつかもしれません。


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