ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(クリフォード・ログイン):祈るとき。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2021年04月05日 00時03分25秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
     キリスト者は祈るとき、いつも静かに座って
     心を澄ましているかと言えば、そうではない。
     あるときは壁にこぶしを叩きつけながら祈る。
     あるときはヨブのように神と口論し、
     あるときはヤコブのように神と格闘をして
     生涯残る傷を負い、またあるときは主の御前で
     ダビデのように喜びに満ちて踊る。

      (「祈りの泉」ジーン・ヒントン編著 女子パウロ会 )

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 わたしはフツーのクリスチャンとして朝晩お祈りをしているが、まさに上記に引用したクリフォード・ログイン氏のような「体験」をしている。
 「祈ること」は「自分との戦い」だと言ってもいいと思う。
 主の御前にポンと置かれるとき、わたしは「わたしのありのままの姿」にしていただける。言うなれば「まっ裸のわたし」である。
 人間の魂の奥底まで見抜く御方の御前では自然にそうならざるを得ないと言える。
 ではいったいクリスチャンは何と戦いながら祈っているのか?
 映画によくあるように「悪魔」と「戦いながら祈る」のではない。
 「自分の内なる悪」と「戦う」。
 この「自分の内に存在する悪」は一朝一夕には分からせていただけるものではない。つまり「自分だけの力で自覚できるわけではない」。ただ主イエス・キリストの恵みによってのみ「自覚させていただける」。
 大切なのは、主の御前でお祈りする時に、絶対に自分を飾らないということだ。


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