ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

持つ者と持たざる者。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2021年08月21日 00時05分55秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   下着を二枚持っている者は、持たない者に分けてやりなさい。
   食物を持っている者も同様にしなさい。

     (ルカによる福音書第3章11節 )

   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★

 この聖句をわたしは良心の痛みをもっていただく。主よりのフツーのクリスチャンわたしに与えられた恵みとして。
 わたしはまず、この地球上には衣食住のない人の方が断然多いことを思うのだ。一杯の食物がなくて死んでゆく子供たち、着る物を全く持たない人たち、そしてそれらを買う「お金」のない人たち。地球上には「持つ者」よりも「持たざる者」の方が圧倒的に多いい。
 いやしくもわたしはフツーのクリスチャンである。上記の聖句を読むたびごとに良心に鋭い痛みを覚える。この良心の痛みは主よりの恵みだと感謝している。どうにかこうにかやっと主イエス・キリストの弟子だと公言できるからである。
 わたしは「女性雑誌」というものを書店に行っても目を向けないように、主の御力(愛)によって警戒している。あの「女性雑誌」は春夏秋冬の身につけるものを(何の問題も感じないで)気楽に勧めている。わたしは主の御力(愛)によってその姿勢に「否」と叫ぶ。主の御名によって「否」と警告するものである。
 飢餓や極寒や病気のために死ぬ人の方がこの地球上では圧倒的に多いのである。それでも流行の方が「いのち」よりも大切という思想を持つのは自由である。しかしその自由は神よりのものである。そのことを自覚しない時、自由はいつでもあなた自身から奪い取られるだろう。
 神など知らないと言ってもいい。しかし飢餓によって死にゆく人を「知らない」というとき、その自由の行使は、あなたが財を失った時には誰の助けも得られない自由としてあなたに帰ってくることになる。
 金がないというなら、せめて祈りを与えることだ。持たざる者のための祈りをせめて。愛を発信することが必要なのだ、とわたしは思う。

   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★
    




     ↓:発信
     にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へにほんブログ村







この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« みことばに渇く。主イエス・... | トップ | いのちの与え主。主イエス・... »
最新の画像もっと見る

少女ジーザスの言の葉ランド」カテゴリの最新記事