NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」ご覧になってらっしゃいますか? 同じようなご苦労をなさったかもしれないお二人をご紹介します。 『ねじ式』の つげ義春さんと『カムイ伝』の白土三平さん。大多喜町は、つげ義春さんの作品を追って旅する方が訪れる町です。
いすみ鉄道大多喜駅から10分ほど歩いたところにある寿恵比楼旅館(現在は営業されていない。小湊鉄道バス営業所隣)
私の手元に、つげ義春著『つげ義春コレクション・苦節十年記/旅籠の思い出』があります。そのP16~21に、昭和40年9月末頃、白土三平さんとつげ義春さんが半月ほど滞在して仕事をされた時のことが書かれています
以下、『つげ義春コレクション 苦節十年記/旅籠の思い出』より抜粋
昭和40年の9月末ころ、白土三平さんとそのマネージャーの岩崎さんと私の三人は、千葉県大多喜町の「寿恵比楼」という宿に半月ほど滞在し仕事をしたことがあった。私は短編を一作仕上げ、白土さんは案だけを練っていた。その案を練るために白土さんはこの宿をよく利用していたようで、仕事の合間にそこいらへ釣りをしに行くバイクまで預けていた。
この寿恵比楼という宿は、町外れの夷隅川の橋のたもとにあった。商人や工事関係の客が主に利用するようで、昔ながらの商人宿だった。主人はどこかに勤めていて、三十歳位のおかみさんと、その妹の十七、八の娘さんと、お婆さん(主人の母親)が宿を切り盛りしていた。もっともお婆さんは何もせず、いつも帳場の長火鉢の前で煙管をふかしているだけだったが。おかみさんはぽちゃっとして明るく気さくで、おかみさんの里から手伝いに来ている妹のカズちゃんは、色白で可憐でやはり明るい娘だった。お婆さんは男のように髪を短くしていた。主人はあまり家にいないので、私はチラとしか会ったことがなく印象に残っていない。
白土さんはこの家族と親しい付き合いをしていたようで、私と滞在していた時も、お茶に呼ばれたり、宿代に含まれていないお午にも時々呼ばれ、私も岩崎さんも一緒に階下の帳場へドヤドヤおりて行って、おかみさんやカズちゃん相手に世間話をしたり、その場に寝そべって煙草をふかしたりで、随分気ままにしていた。
その宿の隣には、小湊鉄道バスの車庫があった。バスガイドの寄宿舎もあり、夜になるとその寄宿舎の窓にいっせいに明かりがともり、若いガイド嬢たちの賑やかな声が聞かれた。宿と寄宿舎の窓はいくらも離れていないので、開け放った窓から彼女らの話は筒抜けだった。男三人のこちらを意識して声を大きくしていたのか、大声だと段々口調が芝居がかって、身振りにも抑揚がつき、劇を見せられているようで楽しかった。
私はこういう宿を定宿にしている白土さんが羨ましく思え、自分も将来たくさん稼げるようになったら、定宿を持ちたいと思った。・・・・・・・・・・
寝る時にカズちゃんが蒲団を敷きに来て、私がドテラのまま床に着こうとすると「ドテラのまま寝るとせつなくてねえ」と言った。哀しいときのせつないは分かるけど、ドテラでもこもこして寝苦しいのをせつないと言うのは面白いと思った。可憐なカズちゃんが恋愛でもした時は、せつない胸のうちをどういう言葉で表現するのだろうと思った。・・・・・・・・・・・
この文を綴っていて私は、これまでにどの位、旅籠に泊まったのか思い出してみた。すると全部は思い出しきれないけれど、案外多いことが判った。
大多喜では寿恵比楼以外に「大屋」という旅籠に四十八年に泊まっている。大屋の方が寿恵比楼より造りは本格的な旅籠で、明治か江戸時代のままとか言っていた。宿の人の感じも悪くなかった。おおむね観光旅館より商人宿の方が気さくで親しめるように思える。 (以上 つげ義春コレクションより抜粋)
つげ義春さんが2年後に再び寿恵比楼旅館に行かれたとき、おかみさんに手土産を渡しながら「さっき白土さんに会ってきた」と言うと、おかみさんが「白土さんは長いことお見えになっていない。どうしているのか」と聞かれた。その頃白土さんは上総湊に家を借り、仕事場にしていたので途中寄って来たことを報告すると、そばにいたお婆さんが
「あんだと ヒゲは湊にいるんだと、それじゃカカアも一緒だべ」と。
白土三平さんは髭も髪も構わぬほうでのび放題、印度の行者を想わす風貌だったが、マンガ界の巨匠も寿恵比楼旅館のお婆さんには、ただの髭と言われているのが可笑しかったそうです
つげ義春さんと白土三平さんの本 ↑
2009年2月10日発行の「つげ義春コレクション・紅い花」より
大多喜行について「自然の風物の何もかもが新鮮に見えて、目からうろこが落ちたようでした」
カムイは昨年外伝が映画化されたり、千葉パルコ「千葉戦国祭り」会場ではTシャツがありました。 つげ義春さんは水木しげるさんのアシスタントもされていたとか・・・? つげさんのお母様は大原出身なんです。 (by ジャンヌ)
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この記事は7月23日に書かれたものを再UPしています。
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いすみのむら様より、11月13日に観光本陣に、
月間漫画ガロを寄贈していただきました。
今では大変貴重なものです。どうぞ、観光本陣にお立ち寄りください。
↑ いすみのむらさんより寄贈された「ガロ」です。
ありがとうございました。
なんと!!
いすみのむらさんが、観光本陣に「ガロ」を寄贈してくださっています。
NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」では、村上弘明さんが演じた役柄が「ガロ」の出版社だと思います。「ガロ」=「ゼタ」
つげさんは、水木しげるさんのアシスタントでしたから、ドラマにも出てらっしゃいました。
ということで、ガロをご覧になりたい方は大多喜町観光本陣(デンタルサポート大多喜駅前)にお立ち寄りくださいね。
ただとも様
この古い記事が再度UPされていたのにはビックリしました(~o~)
奥深さに吸い込まれそうになり、慌てて「仕事しなきゃ。」と現実世界に自分を呼び戻した次第です!!
大多喜の奥深さをもっと皆さんに知ってもらうためにも情報発信は必要ですね!
今後も興味深い話をお願いします。
これから紅葉も見ごろでしょうね。
散策がてら行ってみようかな。
多分、作品が描かれた時代とは多少ずれているかとも思います。
私事になりますが、私は西部田村の療養所のモデルになった病院で生まれました。先代のおお先生が産婦人科だったもので。(年がバレますね。)
つげ義春ツアー、旅館から線路脇の祠の場所へ行き、そこから夷隅川に下りるって感じですかね。秋によさそうです。足を伸ばして大原、さらに太海の漁師町かなと。(内房もありますが、きりがないです。)
しかし、ご本人は今頃どうされているのですかね。仙人のような人とイメージしてます。
いすみのむら
お母様は、西部田の隣村のお生まれですか\(^o^)/ この作品の時代とどうでしょう?
掲示板にご登場の久我原さんは、以前、つげ義春さんの「西部田村事件」の旅に出かけられました。
大屋旅館さんのお話ですと、つげ義春さんの作品の足跡をたどるお客さまが年に数回はいらっしゃるとのことです。
ここで言いっ放しの希望!
つげ義春さんに大多喜に来ていただいて、一緒に作品の現場を歩く企画があったらいいなぁ~♪
ゲゲゲの女房にもつげ義春さんらしき方が描かれていましたもの。みんな会ってみたいですよね。 うえるかむして~!!
白土三平さん&つげ義春さん
うえるかむ♪ うえるかむ♪
最近、白土三平さんの「カムイ」16巻を読ませていただきましたが、それはそれは壮絶なストーリーとタッチで、あまり描かれない(私に縁がなかっただけでしょうか?)江戸時代がわかりました。
現代に生まれてよかったです。
お米のご飯がお腹一杯食べられる皆様は幸せです。と、読まれた方は思うはずです。
某マンガ古書専門店で当時の「ガロ」のつげ義春特集本を2冊買った事を思い出しました。久しぶりに読もうかなと。
母の実家が「西部田村事件」の隣村になりますが、叔父は子供時代に復員した祖父の海軍の略帽をかぶり野山を駆け回っていたそうです。(「紅い花」の少年は陸軍の制帽をかぶってましたが、物のない時代はそんな少年たちが多くいたのでしょうね。時代は多少ずれますが。)
「西部田村事件」を読むと、村人の描写から、亡き祖父の若き頃を想像してしまいます。
ご本人はいたって真面目です(笑)
http://video.earthvista.com/video/5yFF750zTeA/西部田村事件.html
>1965年10月、白土はつげを千葉県大多喜の旅館寿恵比楼に招待し、また赤目プロのアシスタントは井伏鱒二を読むよう勧めて、これらの経験からつげは旅に夢中になり、のちの一連の「旅もの」作品として結実している。やがて、生活のために水木しげるのアシスタントを勤めるようになる。ガロ誌上でつげを名指しで「連絡請う」と広告を載せる等、水木本人からの強い要請もあったという。
NHKの朝のドラマ「ゲゲゲの女房」に登場するかしら? 密かな楽しみです。
『赤い花』youtube見つけました!!(セリフはない。かかっている音楽との関連は?)
http://www.youtube.com/watch?v=USCtGUlrVN0&feature=related
『西部田村事件』に出てくる釣り場や神社(実にリアルな描写です)をyoutubeで流してみてはどうだろう。
大多喜につげ義春さんや白土三平さんが関係していることに驚きました。すげー!ですよ。
そのころ、私は学生で、当時の言葉で表現するなら、非常に「シュール」な内容に衝撃を受けました。
こんな題材を、こういう風に表現する漫画があったんだと。
確か、主人公の目を通して、少女から大人に成長するおかっぱ頭の少女・キクチサヨコの精神的・肉体的変化を描いたものだった記憶しています。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、
千葉県夷隅郡大多喜の旅館寿恵比楼の当時17~18歳くらいの娘が、同様のおかっぱ頭をした『沼』に登場する少女のモデルであるといわれ、同時にキクチサヨコの原型でもないかとの推測もあるが詳細は不明。
とあります。
その後、竹中直人主演でつげを主人公にした『無能の人』が映画化されました。
こちらの方は、あまり衝撃的でもなかったのですが・・・(*o☆)\バキッ!