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ACL決勝

2018-11-08 22:30:05 | 日記
今週末は アントラーズ ACL 決勝2ndレグ アウェイ戦
初戦 は 2-0で快勝 でしたが 次は中東アウェイでの決戦❗️となります。
頑張れ アントラーズ❗️

以下 記事引用

鹿島は土壇場でJリーグのオリジナル10に滑り込んだチームなので、どうしても強化は遅れがちだった。それでも開幕前年の1992年ナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)ではベスト4に入る健闘を見せて周囲を驚かせたが、結局ジーコにとっては「負け」だった。

「ジーコは、どんな大会でも優勝以外は納得しない。だから他の選手たちも、優勝しない限り喜ぶわけにはいかなかった」

 鹿島の名物ゼネラルマネジャーである鈴木満も、そう述懐している。

 何よりジーコの負けず嫌いを物語るのが、1993年の開幕直前に行われた欧州遠征で対戦したクロアチア代表戦後の激高だった。

 そもそもJクラブが突然欧州の強豪国代表と試合が組めてしまったのも、ジーコが交渉に乗り出したからだが、5年後のフランス・ワールドカップで3位に入るクロアチアは、ほぼベストメンバーを揃えて真剣そのものだった。一方鹿島は、まだプロデビュー前。力の差は歴然としていた。しかも鹿島がアルシンドのゴールで先制してしまったことで、一層クロアチアの闘争心に火をつけた。その後は完全にワンサイドの展開が続き、終わってみれば鹿島は8失点を喫していた。

 ジーコの通訳を務めた鈴木國弘は言う。

「戦えるだけでも十分にラッキーな相手ですよ。敵うわけがない」

ジーコにとって負けてもいい試合は一つもない

 だがジーコは、マグネットが全て飛び散るほど白板を叩き、大声で怒鳴り続けたそうだ。

「僕はそれを拾いながら、やっぱり一緒に怒鳴り続けました」(鈴木國弘)

 鈴木満も「こんなに怒ったジーコは初めてだった」と当時を振り返る。

 結局クロアチアに大敗した翌日から、ジーコが笛を吹きトレーニングを仕切るようになった。こうしてチームを引き締め、セリエAの強豪インテルとは引き分け、帰国後はフルミネンセとの親善試合で勝利し弾みをつけた。そして1993年5月16日、開幕の名古屋戦ではジーコがハットトリックで5-0の勝利に導き、Jリーグ元年の前期優勝へとつながっていく。

 ジーコには、負けてもいい試合は一つもなかった。そんな負けず嫌いがけん引するから、チーム全員にも同じメンタリティーが刷り込まれていった。

(文中敬称略)


ジーコがいるだけで 緊張感のある空間となる。もの凄い「オーラ」があります。
負けるのは本当に嫌いでした。レクリェーションゲームに参加しているスタッフや子どもたちにでさえもミスは許されない 。 ジーコと同じチームになるのは嬉しいけど 大きなプレッシャーもありました。

アントラーズ「20冠」達成 と アジアチャンピオンを 信じています。
皆さんも応援よろしく❗️
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