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日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

富士フィルムの社員が泣いた事件。小樽の写真館一家心中事件。

2020年06月09日 18時57分00秒 | 日本の弱点

富士フィルムと言うと年末年始の樹木希林さんと岸本加世子さんの絶妙な掛け合いのCMが記憶に新しくもないが、このCMが流れた40年間は、今はコロナの救世主であるアビガンの会社と知られるが、同CMのあった頃は、それは日本の中でNo.1企業だったが、外国のフィルム会社に負けじと色々な試みを見せていた頃だった。
確か同CMは、カラーフィルムのCMだったと思うが「フジカラーを使えば、美しい人はより美しく、そうでない人は、それなりに写ります」との苦しい回答に、皆が頬を綻ばせたものだ。
この頃から、富士フィルムは業績を上げてくる。APSシステムとか、自動露出カメラC35AFとか、ベストセラーで20年はトップ商品だった「写ルンです」とかの売上が好調だった。
実は最初デジカメを作ったのはカシオで「誰が買うんだ」と最初こき下ろされたが、私は価値を見出し購入したのだった。
その後低空飛行で、デジカメは一応存在したが、大したものとは思われなかった。その後携帯電話やPHSに35万画素のCCDが付き始め、デジカメ時代が続いた。
この頃、銀塩カメラと長岡のレコード針が時代の置いてけ堀に沈んでいた。
オールドな世代が写真はフィルムと言っていたが、それも1990年台のバブル崩壊で、景気が悪くなっていった。
確か、そんな頃に「小樽での写真館一家心中事件」はあったと思う。
それは人の良さそうな夫婦に子供が男女二人だったと思う。
最期の写真を撮った夜に両親は子を殺し、夫婦は首を括ったと覚えている。
その頃何となく、写真館と言う存在が希薄になっていたのは事実だった。
またいわく有りの写真を自ら現像するレンタル・ラボも流行っていた頃だった。
片田舎の一家心中は、写真も生業とした新聞をも慟哭させ、異例の全国ニュースとなった。
気が付けば、写真館とかではなく富士フィルムも銀塩フィルムを生産するかどうかの選択を迫られていた。
「構造改革」と慶応の疫病物体で寄付金運用で−600億出した馬鹿の言葉が殺気を持って脳裏に響く。
「写真は文化だ」
それは「ちっとも設けませんよ」と疫病がホザキそうだが、救い出せなかった大手の人々には、今の仕事のスタンス・意味を再確認しただろう。
結局「写ルンです」の需要は今に至るまで存在し、銀塩カメラは、白黒ピンホールカメラとともに命を繋いでいる。
また嬉しい事があった。
タモリ倶楽部で、同じ音楽機材マニアのコブクロとタモリの「球(真空管)ころがし」の企画が始まり「アナログ・オーディォ」が高級オーディオとして復活し、長岡のレコード針が復活したのだ。
よく拝見する文化人放送局でも「天才風景写真家」が「時勢の煽りで、業を立てられない」との事で自費出版で写真集を出したと言う。
ああ、時勢の波は、まだまだ夢有る、感性有る人々を苛んでいる。
その後、遊んでも儲かる遊びガラスと言われた旭硝子と同じような超一流企業として燦然と光り輝く富士フィルムであるが、その屋台骨を支えた、各所の「写真館」は消え果てんとしている。
それは善良な人で、頭がよく、センスが有り、優しい人だったのだろう。
それらを「リストラ」とかして、また時代が流れていく。
心と影を残して…。



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