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日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

和風総本家を見て思う。中小企業の製品開発力、製品熟成力、手堅い技術製品。流行を追う大企業は無理。

2012年11月27日 23時00分34秒 | 日記

和風総本家で「世界で探すMadeInJapan」を見ていた。その中に霧吹きの開発を見たのは本当に「中小企業の力」を思い知った。また別の話だが豆腐屋のラッパが復刻されたそうだ。あれも日本の技術の底力である。
よくシャープとかパナソニックの損失をギャぁギャぁ騒ぐ糞馬鹿が多いのだが、大体騒ぐ馬鹿文科系大学出はシャープやパナソニックが作っているものの意味を知らない。シャープやパナソニックをまともな凄い所と勘違いしている。
パナソニックやシャープが主力製品としていた薄型テレビは実に馬鹿でも作れるアッセンブリー(組み立て)商品である最早シャープやパナソニックは重要部品を作っていないのである。それでテレビテレビと馬鹿がバカ面しているのだ。
この製品は簡単にコピーが作れる。だからチョングソや虫獄が真似て作っているのだ。馬鹿でも出来るから馬鹿が真似しているのだ。
また私が三菱自動車に居たときから馬鹿が吹聴する。3ヶ月で製品化でき、他社が今使っていないで、将来性のあるコンポを出せ!これが九州大学と言うキチガイを量産する所から出てきた糞馬鹿の寝言だった。
同じ事はパナソニックも同じなのだろう。3ヶ月で製品化でき、他社が今使っていないで、将来性のあるとは、FPGAでロジック豪勢の出来る製品が、正にそれに近い。しかし、他社が今使っていないものは、すぐにコピーが出来る。また将来性があるとはFPGAでプログラム出来るのだ。
我々が三菱自動車に居るときに散々な止まされた九州大学の知恵無し、思考無し、出世の為に何でも使い捨てにすると言う糞精神はパナソニックを破壊した。だがそれは否定ではなく肯定の先に破壊が待っていた。
馬鹿がほざく馬鹿の目標を達成する部品は、外国製で、その根本の戦略がないまま、借り物で「会議でのリーダーシップを取れる玩具」がFPGAだったと言う訳だ。それらは、まぁ会議で色々吹聴しているが、薄型テレビは画面が自社製で、それ以外は全部買い物である。だからORIONが中小でありながら負けない製品を作った。それらは大企業ではなくても薄型テレビは出来るのだと証明したようなものだった。
昔はパナソニックの真似は出来ない、シャープの真似は出来ないと言われたものだったが、資本投資の規模問題がなければ、幾らでも出来ると言うのが現状なのだ。つまり利益を貪るだけで、何ら技術開発を草の根でやらない「ゲスの集団」は腐臭を放つので日本には、いやいや世界で不要なのだ。
その一方で、あの霧吹きのクオリティーは立派だった。何より、あれを心底惚れ抜いて開発し、売り歩いて、その場を凌いで、そして、その後裾野を広げている姿は、ゲスの松下幸之助とは偉い違いだった。最早、経営の神様は、経営も糞なら、政経塾も糞だった。そのイズムを注入された筈のゲスは、今、利口利口とロンブー田村淳の様な有様である。まぁ立派な事。
それに比べると「技術馬鹿」を地で行く本田宗一郎のイズムは、実に良く生き残っている。所詮松下幸之助と言うのはゲスを見込んで、勘違いする馬鹿なのだろう。その成れの果てを見ていて、本当にざまぁみろと思う。思えばVHSもSONYのパテントだった。技術という点でパナソニックは一貫して「屁」だったのだ。
さて、和風総本家では、蝋付けが難しいと言っていたが、実はそうでもない。豆腐屋のラッパの時もそうなのだが、例えば霧吹きの口の所の加工・調整がメインなのだが、あの辺とか、注水口の閉鎖とか、ネジの作りとかがモノを言ったりする。この辺は番組には出ていなかった。
豆腐屋のラッパはリードが命、リードを収める所や、口金の口の形やラッパの曲線などの、こんなものが?と言うものを押さえていく。これが根付いた技術であり、それこそが開発の腰であり、重要な点である。
よく開発開発と馬鹿がバカ面してほざく。だが開発は、工夫であり、その着目点である。何もした事の無い奴が、急に雷に打たれたように開発開発と言って、そりゃ玉には当たりはあるだろうが、なかなかモノにはならない。
前、何かの発明品を売っている人の開発話で「このピンを作るのが難しかったんですよ」と言うのだ。製品は忘れたのだが、あまり大したものではないように見えた。どうも、その発明品は、やっぱり、そのピンがモノを言うモノのようだった。
彼は「金は出す」、「この様な構造である」と色々あって「ただピンを私の指図どおりに作ってくれ」と言うのが「受け入れられなかった」のが開発の一番の問題だったと言う。
開発をやってみると分かるのだが、細かい所のやり直し、そのやり直しを幾らやり続けられるか?が開発なのである。頭の悪い上に存念の悪いパナソニックやシャープが「利口」でやっているものは、やり直しは殆ど無い糞みたいな「開発」と呼ぶに値しない、糞みたいなモノだった。
「そんな泥臭いモノ…」とか「効率が悪いモノ…」とか馬鹿がほざくが、泥臭くて、効率が悪いから「真似されない」のである。
霧吹き器の口金を作る旋盤工の人は、職人と思わず言いたくなる程自分の道具を作っていた。それを使うと馬鹿でも作れるのだが、使い込んだ道具は素早く、ただ当てるだけでも当て方の違いが出る。チョングソのような低能は、まず真似できない。
実はチョングソは日本の加工技術を盗みたいのだが、真似できない。真似したモノは、本当に糞見たいなモノである。
私が三菱自動車に居たときも開発をする上でモノを言ったのは中小企業の工場の加工品なのである。
今となっては昔話となるのだが、人工心臓の開発に凄まじく影響を与えたのは、開発当初の日本人医師と日本の中小企業の元経営者の人だった。日本人医師は、アメリカで安く使われていたのだが、その彼らが人工心臓を作ろうとしたのだが、何度も失敗した。そんな時に、どこから聞きつけたのか(確か新聞で見たのだったか)人工心臓の出来が悪いことを知って、私でよければと、手弁当でやってくれたのである。
その時、まるで子供の遊びの様な人工心臓を図面を起こして、様々な技術を投入した。鉄で型を作って、樹脂を付けて乾かして層を作って、色々やったのである。その結果、日本の人工心臓はグローバルスタンダードとなった。グローバルスタンダードを吹聴する慶応が何かグローバルスタンダードを作っただろうか?大枚かけて麻薬中毒を量産するしかないクズの集まりである。
この様に、物作りは、やる気のある中小企業の存在無しには出来ない。だが、その事を少なくとも政治家で分かっている奴はいないだろう。
思うに、手遊びをする暇がないほど困窮した中小企業は、金策に駆け回って何をするという意欲も暇も心の余裕もないだろう。安倍総裁が吹聴する未来は、多分大企業が「馬鹿の利口=田村淳の利口」を謳歌して、短期的に儲けたら馬鹿みたいなものを買ったり作ったりしてパナソニックやシャープみたいに大損をするのだろう。
中小企業は何の役にも立たない、小さな事しか出来ないと思っているかもしれないが、例えば、先ほどのピンを作る事が大きな意味をモツならピンが作れる技術こそが開発を大きく変えるのである。
色々世界から盗まれる技術は最近虫獄やチョングソから盗まれるが、それでも発電プラントまるごと真似はできないだろう。
この延々とした、技術の積み重ねは真似ようにも真似られない。しかし、見え透いた利益・利口戦略で、この辺が適当にされる。その結果チョングソや虫獄に見透かされるのだ。大体、すぐに下衆の馬鹿の支配の論理を吹聴する。何より経団連の米倉のような老いぼれ低能の糞馬鹿台詞は、技術者の美的感覚を著しく欠損する。
人工心臓を作ろうと申し出た中小企業の元経営者は、タダで、いや手弁当で製造に関わったが、米倉のような下衆を見たらやろうとは思わなかっただろう。無論土光さんの様な立派な方なら別だろうが、つまり人間の存在としての美的感覚を刺激されるものが報酬なのである、生きている上の報酬である。金には代えられない報酬なのである。それが経団連は待った分からないのである。
チョングソや虫獄が漫画などのサブカルを自国のものにしたいと下衆がほざいている。だが、これも美的感覚が形となるからやるのであり、金金金と欲丸出しでは人の心を打たないのである。同じ事は物作りの虫には無いのである。
私は職人さんとは話が合うようで、技術の凄さを指摘すると喜ぶようである。だが本当にやったことのある体験を元に褒めると、実に分かり合えるのである。また自分の設計なり加工なりで関わって、組み上げた製品はやっぱり、実感として良いモノである。
また様々な感触というモノがあるものである。チョングソや虫獄が特許を取るとかほざくが、果たして、製品の何を分かるのか?と思う。だが、同じ事は日本の家電の大企業が分かるのか?私は分かっていたら、今の体たらくは無いだろうと思う。
今の家電の凋落は、まぁ私はサンヨーを見てつくづく思ったのだが、自分の所の製品に愛着が無い、知らない、興味もないと言う有様だった。落ち目のメーカーとはこんなものである。
触って、触れて、見て、関わったモノは、それ相応に感じるモノである。だが米倉を見ても分かるが、土光さんの様に製品に関して、関係者と膝をつき合わせて話し合うという熱意、興味、希望を共有する事は絶対に無い事だけは実によく分かる。
特許など、その製品の一部の特徴を言うのみで、その製品のすべてを言い当てているわけではない。それは土光さんが一社員と膝付き合わせて長い時間かかって一部説明ができる程度のモノだ。それを例え一部でも共有して新しい息吹を腹一杯吸い込む意識が無ければ、新しい製品はできないと思う。
結局、薄型テレビの次は4KTVと言う、それギャグ?と言いたくなる、見え透いた新商品は、馬鹿でも予測できるものである。だが、マスゴミの降らないバラエティーやチョングソ流のトンスル番組をみせられて4Kまるまる画質で見たら、気分が悪くなる事請け合いである。
所詮、この程度の馬鹿の集まりだから、経済が悪くなるのだろう。
手仕事の冴え、現場の光る技、それらをもっとその目で見て、何が出きるのか?何かおもしろそうな使い方を考えることが一番重要なのではないだろうか?
予想できる、想定範囲内の回答を得るというのが一番下らない。何より、分かり切ると、馬鹿文科系大学出の様に、様々なものを舐めるようになる。そうなると人間性は腐臭を放つ。そうして米倉のような下輩になるのだ。


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