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90年前の橋

2024-04-11 16:15:26 | ニュースから

元旦の夜、大きな地震が能登半島・輪島近辺を襲いました。遅ればせながら、お亡くなりになった方々のご冥福と家、財産を失った方々のご苦労をお見舞い申し上げます。

新聞記事に、こんなニュースを見つけました。

地震は、日本だけではなく、台湾東部沖を震源として、落石などかの地にも被害を与えたのでした。

その落石で交通の要所にも当たる地で、橋が崩落したのです。橋がなければ、台北に向かう最短ルートは途切れてしまうのです。
技術者たちが、復旧に、なにかの手段は無いかと頭を悩ませている時、付近に長さ10メートルほどの古い橋を見つけたのです。「これが使える!」
この橋は日本植民地時代に作られた古い橋だったのです。今は利用されていない橋でしたが、補強工事によって、短期間で通行可能になったのです。もしこの橋が使えなかったら、10時間は遠回りの必要なところです

不幸な戦争の悲しみをまとってはいますが、日本人の丁寧な、きちんとした工事で、頑丈な橋が仕上がったのでしょう。なんだか、日本人であることに誇りを持ちました。

この話を読みながら、学生時代に観た「戦場にかける橋」という映画を思い出しました。ネットであらすじを確めました。ご参考までにその解説をお借りして載せます。

『1943年第二次世界大戦下のビルマ。日本軍の斉藤大佐を長とする捕虜収容所に、ニコルソン大佐率いる英軍捕虜が送られてきた。鉄橋建設を急ぐ斉藤大佐は、米軍のシアーズとともに建設現場で働くことを彼らに命令。工事は進み着々と橋は完成に近づくが、丁度その頃、同じ英軍の手によって橋の爆破工作が進められていた…。戦下における人間の尊厳や誇りを見事に描き、戦争のむごさを強く訴えた問題作』

戦いの場で、敵味方の兵隊たちが一つの仕事に取り組む。初めは敵対心であったに違いありません。でも同じ目的・・橋を仕上げるという目的・・に従事しているうちに、心は一つに近づく。ただ橋を仕上げるということに。
しかしその心に反して、橋の爆破も計画される。

今でも最後の爆破場面は忘れられない。

最後は、英国の軍人の長の放心したような、なんとも言えない悲しみもある顔が写った。
観終わった後、学生の我々には疑問が残った。
「ねえ、あの長の顔、自分たちも必死に工事に加わって、出来上がったとたんに爆破されたことを、悲しんでいたのか、それとも、必死で工事には加わったが、味方の軍隊によって爆破されて、日本軍に一矢報いたことに満足を覚えていたのか、どっちかな?」。
この疑問を抱いて、3度鑑賞したのでした。三度見てもどちらとも自信がありませんでした。今これを書きながらも考えましたが、一番ずるい逃げの解答かもしれませんが、どちらの感情もあったのではないか。二つの感情がないまぜになって、あの顔が出来たのではないかと思いました。

 

 


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