おせっちゃんの今日2

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おててが切れちゃうよ

2024-05-14 13:40:45 | 言葉

11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。
解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。

あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。

ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。
母からあまり料理を習ったことはない。多分、教えるほどの料理ができる時代ではなかったのだと思う。そのまま勤めに出て、夕食にやっと間に合う時間に帰宅してできている夕ご飯を頂いたから、実際に料理をしたのは、結婚して嫌でも自分が飯炊き婆さんをやり始めてからだったかと思う。

やってみれば、な~んだ、少しも難しいことではなかったじゃあないの、だった。

子供ができ、台所で、母親の台所仕事を見るまでに成長した。ママの手元を食い入るように見ながら、固まっていた子供たちを思い出す。
この包丁儀礼は、母を尊敬するための儀式であったかもしれない。

解説文はもう少し続く。『物語に琴線を震わせるよりさらに初源的なこの情動人は動物からむけられることもある』。と締められてある。

ペットを家族の一員として暮らすということをしたことのないおせっちゃんは、この心のやり取りが今ひとつわからない唐変木である。

コメント (2)
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