熱海伊豆山の無残な山津波に心が痛みます。原因は深く後のことを考えずに残土を投げ込んだ盛り土のようです。命を失い、家を失い、今からの生活が一変した人たちの無念を思います。線状降水帯。気象語として専門家の間では使われていたようですが、私どものような一般人には新たな言葉です。これも地球温暖化が頻繁な出現の原因になっているのでしょうか。熱海の次には山陰で大雨のようです。「運」とは言っておられないような悲劇です。
謹んでお見舞い申し上げます。
東京は災害地の方々に申し訳ないと思うほど静かな雨が降り続いています。雨もまた良しと思うのです。ここにこんなことを書くのは・・・とも思うのですが・・・お許しください。
先日、樹木希林さんが茶道のお師匠さんを演じている「日々是好日」という映画をテレビで見ました。中で、お茶のお稽古の茶室に「聴雨」というお軸が掛かっている場面がありました。希林さんの素晴らしい演技とともに日本の文化の良さをしみじみ感じたことでした。
「聴雨」この言葉が気に入りました。文が書けるわけでもなく、和歌俳句ができる私でもありません。そうなのに時に自分がペンネームを名乗るとすると・・・と言葉を考える時があります。僭越なことで決して現実なことではないのですが言葉遊びです。
今まで、いろいろなものを候補に考えては気に入らず、そのまま捨て去りました。この「聴雨」、いいなあと初めて思いました。
晴耕雨読という熟語があります。戦後、父が職を追放されたことと、農地改革で自分の耕さなくてはならないわずかの農地が残されたわが家は俄か百姓で苦労しました。確かに雨はわずかなひまを与えてくれました。農作業は遅れるし、刈った稲が濡れてしまう心配もありましたが、幼い子供だった私にとっては、一寸のんびりしている母のそばにおられることが嬉しい日でした。
昨日大雨に見舞われた山陰地方の雨は、今夜は少し南下するとか。娘Maは大丈夫だろうか、次々浮かぶ故郷の友たちは・・・被害無く梅雨明けになりますように。