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おせっちゃんの今日2

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8050

2021-07-03 13:44:16 | 読書・映画

パソコン教室のお友達Kさんから林真理子著「8050」を貸していただいたので、昨日今日と読みふけっています。
ざっと内容を書いてみます。中学生の男子が3人のクラスメイトからいじめを受ける。学校は知っていて取り合わない。男児はプライドもあってか、親にも言わない。とうとう引きこもりになり、8年、20歳も過ぎた。鬱屈した生活は暴発し、暴力をふるうようにまでなった。男児は3人のいじめの犯人に復讐をするという。仕事にかまけて、子どもの教育は妻の仕事と言っていた父親も立ち上がる。良い弁護士に会い、少しずつ少しずつ親子の気持ちも通うようになり・・・
8050は、引きこもりが長引き、親も子も歳をとり、80歳の親の年金を、働かない引きこもりの50歳の子が当てにして、先の全く見えない生活をする、そんな状態を言う言葉なのだそうです。

読んでいて考えさせられます。自分の子育ての頃を振り返ります。決して理想的な母親ではなかったと思うのです。いじめられる辛さを必死に隠している子供の心の奥に気付き、寄り添い、ともに戦うことが果たしてできただろうか。まず日々の生活の諸々に、子どもの変化に例え気が付いても、まあ悪ふざけか、一時的なものだろうと真剣に取り組まないかもしれない。引きこもった子供は周囲に知られたくはないだろうし、対処の仕方も難しかろう。
甘やかしてもいけないという感情もあるだろう。これがわが身に降りかかったらどうしただろうか。

身近に引きこもりの子供があったりすると、正直なところ、ああわが子でなくてよかったと思ってほっとして遠目にみるだけで逃げてしまうのではないだろうか。他人ごとではないのですよね。

わが子がそうならなかったのは引きこもった子とどこが違ったのだろうか。ほんのちょっとした運の良さで、落とし穴に落ちなかっただけで、わずかのことで自分の家庭を襲う事件かも知れないのですね。

再開した朝日新聞「折々のことば」に昨日は国境なき医師団の活動を取材する中で、爆撃され、家を焼かれ、祖国を追い立てられた人々は、状況がずれればこの「俺」だったかもしれないと、取り上げられていました。

 

最後の方、少し読み残して書きましたら、その後話は大回転していました。書かないでいる方が面白いと思いますのでそのままにします。興味のある方はご自分でお読みくださいませ。