2・3日前の朝日新聞の文化面(かな?)に桜守の佐野藤右衛門さんが「花のさだめ 人のさだめ」と題して書いていらっしゃいました。
長年携わっていらっしゃった、桜への思い、桜に対する人間の傲慢さ、桜をとりまく空間の温暖化、それを起こす人間、などなど、関西弁のやわらかな言葉で書かれた文明時評にもなっていて、感銘を覚えました。
切り抜いてそのままスキャンしてお伝えしたいと思いましたが、無断借用は禁じられていますので誠に失礼ですが、私が概要を書いてお目にかけます。文中鍵カッコの中の文は引用文です。佐野様、お許しくださいませ。
今年は桜が早咲き・遅咲きが一時に咲き、梅も桜も一緒くたでした。肌で感じていただけの温暖化が、目に見えるようになってきました。怖いことです。「人間は、地球を痛めつける害獣や」。
「桜は咲かなければいけない時に咲くのです。花が咲いて虫が花粉を運び、鳥が実をついばんでフンを落とす。そしてフンの中の種が芽ぶく。吉野の桜はこうして生まれた。多種多様な生き物が共生しているからこそ、世界が回っている。一つ欠けても桜は咲かない。人間も生きられない」。(標準語風にしました)
桜はバラ科で、花弁は通常5枚。兼六園菊桜の花弁は360枚もあるという。わからないことだらけで、だから面白い。
ソメイヨシノは人間が作った品種。幹と思う所は枝に過ぎなく、寿命は短い。整形美人だから、集まって数で勝負する。福島・三春の滝桜、たった一本で多くの人を魅了する。
「今、先代が未生から育てたヤマザクラの変種で、植物学者の牧野富太郎氏に命名してもろた佐野桜を庭で育ててます。いっぱしの花を咲かせるまであと30年。その花の姿を94歳のわしは見ることはない。でも、今咲いている花は先代、先々代が育んできたもの。だからわしも淡々と受け継ぐだけや。時が来れば花は咲き、そして、枯れる。人も同じ。これが花のさだめ、人のさだめというもんやな」
切って捨てることはできないと思われる文でした。ほとんど丸写しになってしまいました。ご容赦くださいませ。