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おせっちゃんの今日2

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お正月の柳箸

2022-01-13 16:37:59 | 新聞記事から

日経新聞の「マナーのツボ」という小さな記事に、お正月に使う箸のことが解説してありました。
私の実家ではお正月でも特別な箸は使わなかったような気がします。戦後で貧しくそんなことまできちんと日本の文化を守るだけの余裕がなかったのかもしれません。主婦になって、テレビなどでお節をいただくシーンを見聞きして、なるほどそうするものかと真似てやってはいましたが、浅い知識しか持ち合わせなかったものですから、この記事は有難い解説でした。メモっておきます。解説者はマナーデザイナー 岩下 宣子さんです。

お正月の祝い膳には「中太両口箸」を使います。箸の中ほどが太く、両端が細くなっている栁箸を使います。柳はしなやかで、折れにくいことから縁起が良いとされます。
両端が細くなっているのは、片方は人間、もう片方は、神様がお食べになるためとされています。正月に、年神さまと一緒に食べることで一年の幸せと健康をいただくのだそうです。

箸には使った人の魂が宿ると考えられているので、箸袋には家族の名前を書きます。三が日使うものなので、使うたびに清めて、それぞれの箸袋に入れるのです。

箸の名前の由来は、諸説ありますが人間と食べ物をつなぐ命の架け橋からという説があります。

昔の人は、外で使った箸にも、その人の魂が宿ると考え、そのまま捨てはしませんでした。災いにならないよう、食べ終わった割り箸を折り、箸に宿った魂を自分に戻してから捨てたのだそうです。

現代女性と駅弁を一緒に食べた時、その女性が折って捨てておりました。良く知っているねと褒めたらコンパクトにして捨てるのです、と言いました。現代風な行動だったのです。上に書いたようなことを話したら、びっくりしていました。

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学生時代に、井原西鶴のケチな町人が、太~い柳箸を使い、翌年は削って新しく見せ、また次の年も・・・という話を読んだことを思い出しました。

先に書きましたように、実家にこの文化が伝わっていなくて、知識がなく、京都育ちのお嫁さんに教えられたと言ったことがあります。ゆかしい文化は伝承されるべきですよね。
戦争で途切れそうになった風習も、平和な時代復活してよかったと思います。

 


我慢は美徳?

2021-12-23 16:25:22 | 新聞記事から

昨日に続いて、今日も「声」の欄から。18歳 高校生の意見です。
「改めませんか、”我慢は美徳”」。

おせっちゃんが勝手に要約しました。
年配の人が荷物を持って階段を上っている。「お持ちしましょうか」。声をかけたらことわられた。
迷惑をかけたくないというお気持ちは分かる。でも断わることが当たり前という世の中にはなって欲しくない。必要な時は助けを求めてほしい。
自殺という行為を選んでしまう人も多い。悲しい選択をする前に誰かに相談してほしい。
「我慢は美徳」という固定観念にとらわれ過ぎてはいないか。なぜこんなに、助けを求めづらい世の中なのか。我慢が美徳ではない時も多い。

そうですよねえ、と83歳のおせっちゃんはうなずきます。あなたと同じ若い頃、一大決心でお年寄りに声をかけて、断られた時のバツの悪さ。同じ車両から逃げましたよ。
でも明らかな婆さんになって、ご親切に感謝しますよ。その優しさに一日心が明るくなりますよ。

難しいことですが、邪険に断ってしまった年寄りに、まだ元気なのだと喜んであげてください。「ああ、失礼しました。お元気で何よりですね」とか何とか褒めてあげてください。難しいですけれどね。

何かで読んだことがあります。それぞれの人、それぞれの国のモットーと言ったようなものがあります。日本では「人に迷惑をかけない」ということが大事なこととされています。確かインドだったと思いますが、「人は迷惑をかけて生きていくんだよ。人間てそんなものだから、迷惑をかけられたら許してやってよ。お互い許し合って生きていくものだよ」という思想なんだそうです。

急に国民性が変わるものではないと思いますが、お付き合いで暖かな空気が流れるような世の中であってほしいですね。


失敗のない人生は・・・

2021-11-26 14:07:35 | 新聞記事から

人生で歩む道は同時に二つを選ぶことはできない。人生行路で出会うY字路で、否応なしにどちらかを選び、進むよりほかない。

25日の「折々のことば」にこんな言葉が取り上げられていました。

「失敗のない人生はそれこそ失敗でございます」(ある古老)

鷲田清一解説者はこんな解説を付けていました。

「人に強いられた人生には恨みしか残らないが、自分の信念で選んだことなら責任のとりようはある」と。「思うように羽ばたいてください。風雨と陽光を自らの肌で存分に浴びてこその生涯」と。

近頃、テレビなどインタビューで問われた人が多く答える言葉に「やらないで後悔するより、やって後悔する方がいい」という考えです。
共に、選ばなければならないY字路で、躊躇する人間だけれど、あくまで自分の意志で道を切り開いていくのが大切なことと思うのです。

八十年を超える行程で、自分の意志を曲げてしまった自分を情けなく思っているおせっちゃんです。そんな人間は、仮にもう一つの行程を選んでも、きっと83歳になった時に愚痴を言っているに違いないと、情けなさが増すのです。


想像を膨らます

2021-11-24 13:29:25 | 新聞記事から

21日の折々のことば(朝日新聞朝刊)にはこんな言葉が紹介されておりました。

情報が足りないとその欠落を人は想像で埋める。文字だけ、声だけの情報は、想像をより豊かに膨らませられるんじゃないかな(池澤春奈)

これを読んだとき、私は昨年の「鬼滅の刃」ブームの時の自分を思いました。パソコン教室で私が一緒に学ぶお仲間は先生は子どもとさして変わらないお歳ですし、生徒も干支一回りは若い人たちです。教室の中休み時間、このブームに皆さん興奮気味でした。私と言えば、「漫画でしょ。興味が持てない」と会話に入れませんでした。
幼い時、大人から「マンガなんか読んでいないで勉強しなさい、手伝いなさい」と悪者扱いされた漫画です。その時身についた漫画感が残っています。偏見だと思うのですが、登場人物も場面も、想像の余地なく漫画絵としてすべて登場しているのです。馴染めません。
(多分に食わず嫌いの感がありますが)

このことをブログに書きましたら、同年輩のブログ友からコメント。
「賛成。漫画はサザエさんのみ」と。
年代による分裂です。

大学生時代、昼休みなど木陰のベンチなどで、おしゃべりするのが楽しいことでした。戦後で今のようにいろいろな遊びがあるわけではありません。映画観賞は中で大きな地位を得ていました。
文学作品が映画化されることも多かったと思います。そんな時、「原作を先に読むべきか、映画を先にみるべきか」と話し合うことがありました。国文科の私達仲間はほとんどが原作を先に読む方がお好みでした。

「だってさ、映画を先に見ると、原作を読むとき、出演の俳優がどうしても出て来て、想像を邪魔するんだもの。原作者に失礼だよ」という感想が大勢を占めたのです。
読書の楽しみは行間を自分の想像で作り上げていくことと、理解していたのですね。

今を生きる年代の方は、あの漫画(劇画)の絵が想像を膨らませる邪魔にはならないのでしょうね。年代による違いですかね。

 


子どもの子供っぽさ

2021-11-17 13:50:16 | 新聞記事から

14日の「折々のことば」に佐伯一麦(かずみ)・作家の言葉が取り上げられていました。

「子どもというものは、大人が思うほど子供っぽくなく、孤独に耐える悲しみや大人同様のきつさが付きまとっていた。

わが家の子供二人・姉弟はいわゆる反抗期という時期がなく、生き方などという深い思想を考えたことはなかったように思っていました。極々平凡に毎日を過ごしたと思っていました。
大学生・社会人になってから、なにかのことから「反抗期なかったねえ」と申しましたら、「反抗できるおばさんだったかあ?怖かったよねえ!」と二人顔を見合わせたのでした。
始めて、我慢していたのか、親子げんかにならないように、逆らわなかったのか、と気が付いたのでした。

公園で顔見知りになったワンちゃんたちと周回路で遊ぶ楽しみを覚えたところです。

「アルプスの少女」に出てくる大きな白い犬、そんなワンちゃんと仲良しです。ある日、落ち着きがありません。木陰の広場でゆっくりすることもなく、帰ろう帰ろうとするのです。昨夜、暗くなってから公園で、飛び出てきた自転車と衝突したのだそうです。よほど怖かったのか、それ以来食欲なく、水も飲まないでそわそわしているのだそうで、無理矢理連れて家を出てきたのだとのことです。

柴犬とも仲良しになりました。なんだか、ママとしっくりいっていないようにご機嫌伺をするように顔色を確めています。昨日甘えて膝の上にいる時、テレビ画面に可愛い小型犬が写ったのだそうです。おもわず「かわいい!!」と言ったら、それが気に入らなかったらしく、焼き餅焼いて膝から飛び降りてしまったのです。可愛くない、と知らん顔していたら、布団にオシッコをしたのだそうです。ひどく叱ったから、少々びくついているの、と。

同じワンちゃん、なにかで調子が悪かったらしく、ごはんをたべて、もどしたのだそうです。そのショックで、オシッコを漏らし、それ以来鬱状態なのだそうです。

動物とともに暮らすということをしないわが家、こんな微妙な感情があり、その感情をかなり長く心の傷として持っているんだと、驚くやら感心するやら。

3歳半の子供ほどの知能はあるとのことでした。