1月19日の日経新聞 あすへの話題 にこんなことが書かれていました。文化人類学者 上田紀行氏のお考えです。内容をおせっちゃんが勝手にまとめました。
<私は「他人の目なんか気にせず、やりたいことをのびのびとやろう!」と講演会などで呼びかける。講演後若者が一人近づいてきた。「他人の目を気にするな」なんて初めて聞きました。ぼくたちは、他人から離れることはできないのです。このスマホの所為です。学校から帰宅しても、友達がうわさ話をしているのです。それを聴いたら、自分のことも言われているんだろうと怖くなりました。ぼくたちはずっと空気を読んでいなければならないのです。
今の若者は、一人になれない。24時間友だちとつながっていなければならない。繋がりを切ること、即ち仲間外れだ。切ることはできない。いつも他人の目が気になる。
これはきついよ>。
一人の時間。寂しいかもしれないけれど、大事な時間ではないか。人目を気にしないでおられる時間、これは考える時間であり、くつろぐ時間でもある。
わが家は間取りが玄関と中庭を挟んで南北二つに分かれたようになっています。夫が定年を迎えて、家にいるようになった時も、夫は1階2階の南側、私は北側の部屋を使うように特に話し合ったわけではないけれど、言わず語らずのうちに決まりました。特に仲が悪いわけではありませんが、この軽い別居がまことに居心地が良かったのです。「4・6時中べったりは疲れるよね」と言い合いました。
娘Maの子供たちが小学生の頃です。全国的に通学途中の子供が狙われて事故に会うことがありました。学校では、当分親の送り迎えをお願いしようか、集団登下校にしようかと話し合いがもたれたのだそうです。
Maが言います。私は反対なの。事故は困るけれど、登下校の時間は、子どもたちには、親や先生の目から離れて、子どもだけの世界を持つ時間であり、自分一人で考える時間なのよ。子どもの発達には大事な時間だと思う。だからことさら親の送り迎えなどと言わず、地域の大人の協力を得て、例えば、帰途に合わせて、家の前の掃除や花の水やりをしてもらうとか、ごくさりげない見守りをすることが子どもの幸せではないかなあ、と。
我が娘、良いこと言うじゃあないの、そうだよね、と賛成したのでした。
学校帰りの自由な時間程楽しいものはありません。
ちょっと寄り道したり、通りがかりの大人の会話を耳に挟んだり、
道端の草花に目をやったり、お店のウインドウを覗いたり・・・。
大人は、大人の都合だけで物事を考えます。
子供は大迷惑です。