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おせっちゃんの今日2

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アルモンデ・・・日経夕刊・令和なことばから

2023-01-17 13:32:04 | 新聞記事から

日経新聞夕刊に「令和なコトバ」というコーナーがあります。ざっと目を通す時、あら、と目を引いたものを読むという程度のファンです。

昨日の夕刊に「アルモンデ」と見出しがありました。
「おや、横文字に疎い私も、なんだか聞いたことのあるような。カタカナ文字はだめだな」と英語落第の私は思ったのです。

執筆氏もあまり料理が得手ではないのかしら。書き出しはこんなこと。

「レアな調味料でも季節外れの野菜でも、レシピに書かれた材料は一つも欠けずに揃っていないと料理が始められない。応用の利かない料理下手によくあること」。

これ、私のことかな。60年も前、結婚して主婦になりました。母からほとんど料理らしい料理を習っておりませんでした。私が反抗的だったのでも、母が甘アマの母であったわけではありません。当時、戦後の貧しい世の中、職を失った父と、農地改革で残された4反の田んぼとで家族10人(8人兄弟姉妹でした)食べて行かなくてはなりませんでした。お手本にするようなご馳走ができる時代ではありませんでした。母も娘に自慢料理を教える余地はない生活でした。
新米主婦になった頃、講談社でしたかしら、毎月、各種料理のレシピをカードにして10枚ずつ1年間で揃うというものが発行されたのです。これ買っておきなさい、と母は勧めました。勤め始めた私は揃えたのでした。

さて今夜は?カードをめくると、見たこともないような写真が載っています。裏にはレシピと、料理法など。
「あ、これがいいかな」。ところが材料を見るとこれ何?と私には未知の物。材料もそろわない、・・・だめだ、いつまでもカードを繰るのでした。不自由な時代の、田舎育ちの私には、材料も未経験のものばかり、どう手に入れていいのか、それよりも前に、どんな物かも分からないのでした。

今もこの困惑は違った形で私をします。世の中変ったのです。料理自体が世界各国から。田舎料理知識では分からない類のものが多いのです。

さて、前置きが長くなりました。「アルモンデ」。アルデンテ・デルモンテなどと同列かな?いえいえ違うのです。カタカナに迷わされてはいけません。
「あるもんで」、日本語です。「冷蔵庫にあるもんで」ちゃちゃっと・・・」

執筆氏はおっしゃっています。
「あまり難しく考えないで、とにかく作ってみること。もし材料がなかったら色が似ている食材に置き換えてみたら。『あれがナイモンデ』などの言い訳はしないで。 


私の折々のことばコンテスト2022から

2023-01-10 13:35:03 | 新聞記事から

確か昨年も同じコンクールの入賞作を題材に書いたと思いますが、今年も新聞1ページを使って発表されていました。中学・高校生がどんな言葉に感銘を受けたのか、どんな言葉が彼・彼女を励ましたか、読ませていただきました。指導する人の言葉の大切さを思い知ります。

★ 最優秀賞・中学生部門 ・・・2年生の女子(おせっちゃんが適当にまとめた)

作文の途中、消しカスがいっぱい出てきた。邪魔だ。カスを机の隅に集めている私に先生の声が聞こえた。

「たくさんの消しカスは努力の証だね」。

書いては消すを繰り返して出てきた「努力の結晶」なんだと思った。褒められたみたいに嬉しくなった。インターネットの時代だけれど手で書くことで、自分の努力が結晶となって見えるのだと知った。

★ 鷲田清一賞・・中学生部門・・今、中学2年の女子・小学5年時の担任の先生

「ワイルドな字だよね」

私は字が汚い。先生が漢字ノートの確認をしていらっしゃった。その先生は人の長所を見つけるのが得意な先生だった。

「ワイルドな字だよね」と声をかけてくださった。
そういう捉え方もあるのか!!今でも覚えている。ありがたい励ましだった。

★ Z会賞・・高校生部門・・高校2年生の女子・・現代文の先生

素敵な文章を書こうと思うほど、うまく書けないもどかしさが募る。そんな時、先生が掛けてくださった言葉。

「あなたが見ている世界を教えて」

私の書く文章から、誰かが何かを読み取り、私の考えに共感してくれるかもしれない。その人にとってかけがえのない文章になるかもしれない。

人間、言葉で結ばれるのですね(おせっちゃん)


故エリザベス女王のご不満

2023-01-09 13:31:41 | 新聞記事から

朝日新聞朝刊に、「特派員メモ」というコーナーがあります。今朝は和気真也さんがロンドンで書いていました。

和気さんは昨年9月、ウエストミンスター寺院前で、4時間葬列を待った。女王の棺に夢中でシャッターを切った。そして、前の晩見た追悼番組を思い起こした。

女王は、開かれた王室を志向し、市民の前に姿を現し、手を振ってこたえることを好まれた。ある時、不満をこぼされた。「最近、皆んなの表情が見えなくなった」と。
原因はスマートフォン。貴重な一瞬を手元に残したい。人々すべてがスマホをかざす。
スマホ越しにしか人々はお顔を見ない。

和気さんは、棺がさらに近づいた時、ほんの2秒ほどだったと思うけれど、スマホから目を外し、棺を直接見て、心の中で女王を思った。

記者としてはまずい2秒だったか?と思ったが・・・

        **********************

私共も、同じような体験をしているのではないでしょうか。最近では、熱戦を繰り広げ、世界を歓声の渦に巻き込んだサッカー選手たちが成田に帰ってきた時。迎えたファン、出迎えたのは、掲げたスマホの揺れでした。折角の選手たちを、目を合わせて迎えはしなかった。写真よりは、自分の目で直接見た笑顔、誇らしい顔、これ一生残ると思うけど。

私は、もう少し若かった時、隅田川の花火大会が好きで、4・5年続けて見に行ったことがありました。夜空一杯にはじけ、広がる花火、ドーンと腹に響く音、そして鼻をくすぐる硝煙の匂い、これがそろってこその花火だと思うのです。
それなのに、折角その場に来ているのに、小さなスマホの画面に閉じ込めてしまう人々、なんだか惜しい気がするのです。

 

 


朝日歌壇「番外地」

2022-11-21 14:04:43 | 新聞記事から
朝日新聞に、投稿された短歌、俳句。選ばれた人の作品が載ることはみなさんご存知でしょう。
今朝は、選に漏れた作品の中で、選外ながら味わい深いと年に一度紹介される、「番外地」の日でした。
毎週のものも感心するばかりですが、「番外地」はまた、ユーモアあり、溜息あり、言葉遊びあり、思わず笑ってしまう作品も。
blogに書き留めておくことにいたしました。選者・高野公彦氏の評も少し入れておきます。

★ 母が言う「パパに優しくしようかな」春のせい桜前線のせい
★ 今晩は吾子が一人で作るから七月晦日はカレー記念日    ◉俵万智のもじり
★ ルビー婚「我慢したわ」と妻が言ういやそのセリフ私のセリフ
★ 「後ろ髪引かれるごとく」と教えれば子は父親の禿頭指す  
    ◉「しっ」と作者がたしなめる家族風景
★ パンプキン詐欺ってカボチャの押し売りなの ふと問う孫に座布団一枚 ◉還付金詐欺の聞き間違い
★ 生きて来て酒をたくさん飲んだので我は酒税の還付を望む
★ 沖縄に雪は降らねど米軍機の各種部品が時々降るも   ◉雪ならいいけど、固形物では
★ 「丁寧に説明する」の本音訳は「ごちゃごちゃ言うな、聞く耳はない」  ◉見事な翻訳。
★ これという助けおできぬウクライナ正露丸では役に立たぬか  
    ◉日露戦争で派兵士の必須携行品。正露丸の露は勿論ロシアのロ
★ 久しぶり元気じゃったか?それがなあひどくはないがコロナっとった
★ 案内されマスク地蔵の仲間入りワクチン接種後の十五分
    ◉2首コロナ関係。「コロナっとる」造語が面白い。「マスク地蔵」も
★ お産するたびに漢字と英単語次々忘れ老女となりぬ
★ 屋一階にかい)にて十分足りている運動一階二階物忘れの旅
★ 補聴器も聞こえ過ぎては怖いもの後ろのくしゃみが爆発音に  ◉三句とも可笑しく切ない
★ 天高く葡萄梨柿栗林檎薩摩芋ああ我肥ゆる秋 


      

転び上手

2022-11-07 13:54:55 | 新聞記事から
11月2日の「折々のことば」。
『人の身体は、転ばないようにではなく、上手く転ぶように作られていく』(那須耕介)
赤ん坊は歩けるようになるまでさんざん転ぶ。転びかけるととっさに手をついたり、身体をひねったりして衝撃を和らげるようになる。
歩けるということは上手な転び方をわきまえていることだと那須耕介氏(法哲学者)は言う。

息子Kが小学校高学年の頃だったと思います。近所の同級生が4つ角で車に行き合い、慌てて、急ブレーキを握ることもなく,角の真ん中で転び、顔にかなり酷い擦り傷を作るという事故がありました。幸い、大事にはいたらなく、良かったのですが、その時の父母会、「あそこは両側から坂道で下ってきて、交差点が一番谷になっている。スピードは出ている、慌ててブレーキは握れない。子供はこんな時、とっさには両手をあげてしまって、まさにお手上げ状態で顔から落ちる。危険個所はよく指導してください」とさんざん注意を受けました。
この場合転び方というより、止まりかたでしょうか。

私は相撲が好きです。もうすぐ今年最後の締めの九州場所が始まります。
相撲社会では、「手はつくな。顔から落ちろ。顔の傷は名誉だ」と言われるようです。土俵際で投げを打たれて二人縺れ合うように倒れる時、最後まであきらめず、顔から落ちれば、手をつくより一瞬長く空中に保つことができるのだそうです。
子どもが、とっさの場合手をついて、身を守るのと反対の行動です。
そしてこのことと同時に思い出すのが、貴ノ花(父親)です。手は尽きませんでしたが、髷が相手より一瞬先についたのです。負けです。記者から「髷がなかったら勝っていましたよね」と言われると、ぼそっと「髷あっての相撲取りです」と、爽やかに答えたのでした。

「折々のことば」の解説者、鷲田清一氏は最後をこう締めくくっておられます。
『柔道でまずは受け身を習うように、感情を豊かで安定したものにするにも、「感情の受け身」を習得することが大事だ』と。