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おせっちゃんの今日2

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坐ってよいか。空けておくべきか。

2023-07-17 13:41:17 | 新聞記事から

7月14日の朝日新聞の夕刊1面に電車の優先席についての考察が載っていました。国民性が現れていること、一つの席を巡ることも様々な考えがあること、を面白く感じました。おせっちゃん自身の考えもいれながら、議論を纏めて置こうと思いました。

ジョージア大使が、自分の優先席を利用する様子を投稿したら、その是非をめぐって大きな議論が生まれた。

大使 SNSに投稿。普通席がやや混み、優先席は空いていた。座った写真を付けて発信した。。多くのフォワローを持つ大使にはいろいろな意見が返ってきた。「優先席には座るべきではない」という大使からは理解できない言葉もあった。

大使の考え  席が空いているなら、座るのを我慢する理由は一つもない。必要とする人が来たらゆずればいい。多くのジョージア人がこう答えるであろう。
日本では、何故、「坐るべきではない」との意見が出るのか。思うに、日本人は、《席を譲る》と言いう面倒な行動をとらずに済むのは、空けたままにしておくこと、だと思っているのではないか。。
席を譲り合う時に生じるコミュニケーションを面倒くさいと敬遠しているからではないのか
日本社会の協調性を重んじる統一感のようなものは合理性が高くこの社会の強みではある。だが、他人と違った決断をするのが非常に難しく、個性的であることが良しとされない。同調圧力の押しつけはよくない。

「座っても良い」という意見はいざという時には譲るという自信に基づいたものであるなら、成熟したモラルであろう。困っている人に誰でもが席を譲るというのが理想か。

日本の公共的な乗り物に、優先席がつけられ始めた時、多くの日本人が「日本の倫理観はここまで落ちたか」と嘆く言葉が多く訊かれたと私は記憶しています。

明日、このことについてのわが家の思いでを書きます。


静寂

2023-04-07 15:06:59 | 新聞記事から

今朝の新聞は、昨日行われた将棋の名人戦の結果が記事になっていました。多分その日を選んだ「折々のことば」でしょう、作家の小川洋子の言葉が取り上げられていました。

ガッツポーズも雄たけびもない、時に勝者の方がなお深く頭を下げ、むしろうな垂れているように見える場合さえある・・・小川洋子

解説の鷲田清一は、書き加えています。

その静寂を生みだすものが、宇宙的ともいえる将棋の奥深さへの畏怖であり、そういう謙虚さを板を挟むぎりぎりの攻防の中で対局者が共有しているのだと確信する。

将棋はさせないけれど,羽生永世名人をも乗り越える天才と報じられ、勝ち進む藤井六冠の、落ち着いた姿に、少しミーハーの応援をしている婆さんです。

雰囲気は少し違いますが、日本の国技相撲の立ち合い。勝負の始まりの合図がない点では世界でも珍しいのではあるまいか。二人の大男がたがいに神経を研ぎ澄ませ、息を合わせて一瞬、立ち上がり勝負する。コロナ時代で少し変わったけれど、相撲の見物人は、物を食べながら、アルコールを飲みながら、贔屓の力士に声援を送る。興奮しているファンは応援の声を大声で呼び交わす。

だがその立ち合いの一瞬、場内は静まり返る。そして一瞬の後声援の怒涛の応援の声の渦になる。

こうした一瞬の静寂、尊さを感じます。


ハコベ・ひよこ草

2023-03-08 13:36:12 | 新聞記事から

急に春めいてまいりました。例年より早めに花開いた梅花は「せたがや梅まつり」終了を待つように今年の華やぎを閉じたようです。
球界の大イベントWBCが人々を高揚させ、次は真打さくらさくらの出番ですね。

7日の朝日新聞・天声人語に石田波郷のハコベの歌が取り上げられていました。

私は「はこべ」というと思い出すのは島崎藤村の「千曲川旅情の歌」のはこべです。
この詩には・・・緑なすはこべは萌えず 若草も敷くによしなし とあります。
なおほかに・・・麦の色わづかに青し  のに満つる香も知らず
とか、春のわずかな気配を自然物に託して詠い、青春のどこか頼りない瑞々しさを美しく歌っている詩に感銘を受けます。

ところで、高校生の頃だったでしょうか、この詩を国語で習ったように覚えています。
友人が、笑いながら言ったものです。藤村は結局、はこべも若草も麦の緑も春の香りも見てはいないのよね。と。目の前にないものを歌っているのよね。と

う~ん、もうすぐ、それぞれが大きく力強く、たくましく、成長することを歌いたかったのでしょうか。


熨斗はどうしますか

2023-03-04 13:55:40 | 新聞記事から

今日。土曜日、どうにもネタが尽きてしまいました。日経新聞の土曜版・マナーのツボにこんな日本伝統のエチケットが解説してありました。お若い方は、ご存じないかもしれませんし、85年近くも生きたおせっちゃんも怪しいところがありました。心覚えに記事にしておきます。

★ ビジネスでお菓子の包みを持参する時
「熨斗はどうしますか」と問われた時「無地熨斗にしてください」が多い。熨斗紙には、表書きや名前は書かない。現代では「お祝」「ご挨拶」「深謝」など、送る目的を書くのが普通。ついでに、「松の葉」と書く場合があります。松の葉が細いので、「ちょとした気持ち」という場合に使う言葉です。

★ 「内熨斗にしますか」、「外熨斗にしますか」と問われた時
内熨斗・・・品物に直接熨斗紙をかけてその上を包装紙で包むこと。外熨斗・・・品物を包装紙で包みその上に熨斗紙をかける場合のこと。

宅配便で送る場合のように、汚れたり破れたりする心配がある場合は内熨斗に。

★ 熨斗はアワビの内臓をリンゴの皮をむくように薄く剥いたのち、叩いて延ばしたものです。うみんもので、「生臭もの」です。お悲しみの時、熨斗を付けると、「悲しみのものではない」証になるのです。


死者への悼み・

2023-03-03 14:01:25 | 新聞記事から

2月半ば(?)の朝日新聞にこんな裁判の記事がありました。
死体遺棄罪に当たるか、無罪か、最高裁ででの判決が追って指定される。
「死」に対する悼む心を思いやり、感慨深く記事を読みました。

裁かれている「死」に対する事実(新聞記事をおせっちゃん纏め)

● ベトナム国籍の女性(技能実習生)が双子の男児を死産した(熊本・2020・自宅)
● 遺体はタオルにくるみ、段ボール箱に入れ、子どもの名まえやお詫びの言葉を書いた手紙もいれた。
● さらに別の段ボールの箱に入れ、封をし、自室の棚に置き、医師には、死産を明かした。

2審での判決
● 死体遺棄罪とされる。

弁護側の上告が認められ、検察側、弁護側双方の意見を聞くことに決定
● 死体遺棄罪は「社会の敬虔感情や国民の宗教感情を害する行為を罰するとされるもの。

弁護側の意見
● 安置のための行動だった。

刑事側の意見

● 被告の行為は死体を隠すもので、他者が死体を発見して適切に葬る可能性を著しく減少させ一般的な宗教感情を害した。と主張。

● 被告は事実を明らかにして、周囲に助けを求めれば適切な弔いはできた。
被告の行動は葬祭の一過程ではなく、死体を隠す行為だ。

弁護側の主張
● 遺体を段ボール箱に入れたのは、双子が寒くない様にという配慮だ。
● 封をしたのは外気に触れることを防いで腐敗を防ぐ効果があると考えた。
● 被告は葬祭の意思を持ち続け、葬祭を妨げたことにはならない。

被告の弁
● 子どもたちを傷つけたり、捨てたり、隠したりしていません。
● 母親の愛情で子供らのためにできる限りのことをしました。妊娠を誰にも言えず、苦しんでいる技能実習生や、一人で子供を出産しなければならない全ての女性のためにも無罪判決を祈っています。

● 私たちのような女性を有罪として、刑罰を加えるのではなく、安心して出産できる社会に変わって欲しい。

胸に手を当て頭を丁寧に下げたとのこと。

どう裁き、どう母親と、子どもが、無事に幸せに歩んでいくか、考えさせられます。これだけの記事だけで、それも法的なことを少しも知らないおせっちゃんは、裁くことはできませんが。母子の幸せを祈り、亡くなった双子の死を心から悼む判決になって欲しいと思います。