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おせっちゃんの今日2

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私の折々のことばコンテスト 3

2024-01-19 14:58:52 | 言葉

『人生はアイスクリームのよう。急いでなめると頭が痛むよ』・・小学生時代の同級生・・栄光ゼミナール賞

友人が詩に書いた言葉。人生急ぎ過ぎるとストレスがふえる。この言葉はより豊かな人生を楽しむための指針となっている。以来、人生のアイスクリームをゆっくり味わいながら進むように努力している。

そうだね。あまりに先へ先へと急げば、途中の道端に、見逃すものも多いかもしれないね。余裕をもっていろいろなことを味わう余裕が必要かもしれないね。あなた方はまだお若い。広く、視野を広げる時間が必要なのでしょうね。
でも婆さんはこんなことを思い出しました。「光陰矢の如し、月日は人を待たず」。何もできないうちに、日が暮れ、週が進み、月が走り去り、一年が過ぎてしまうのよ。思い残すことがないように、有意義に暮らすには、急がねばならないこともあります。悔いは残したくないのです。この兼ね合いが難しいですね。
先ずはゆっくり打ち込むものを探すこと。そして目標が決まったら、それを目指して懸命な歩みを。(おせっちゃん)

 


私の折々のことばコンテスト 2

2024-01-17 13:34:22 | 言葉

『勉強している子を見るの好きなの』・・・隣の席に座ったおばあさん・・・最優秀賞高校生部門

ある日曜日、カフェで勉強している時、たまたま隣の席に座ったおばあさんが声を掛けてくれた。

大学を目指して勉強していたが、その時の私は、自分の本当にやりたいことが分からず、今勉強していることが正解なのかどうか自信が見えなくなってきていた。
おばあさんが「勉強している子を見るの、好きなの」と言ってくれた時、心がぽっと温かくなった。
続けて、「勉強に限らず頑張ることって素敵。いつか絶対強みになる」と言ってくださった。お婆さんの言葉が、元気をくれた。
いつか良い報告をもって、またあのカフェで会いたい

「勉強せよ」と、強制するのではなく、おばあさんは、勉強している子を見るのが好きだ、頑張って身に付けた勉強はいつか絶対あなたの強みになるのよと、言ってくださった。悩んでいる私に、自然に方向を示してくださったのだ。このおばあさんは、どんな勉強を身に付ける道を歩まれたのだろうか。もしかして、まだ日本が貧しい時代、また女に学問はいらないと学校にも行けない時代を経験されたのかもしれない。もしそうでも、きっと、自分の出来る範囲で、なにかを身に付けられたのに違いない。自分の歩んだ道に誇りを持っていらっしゃったのに違いない。暖かな、言葉が、私を迷いから救ってくださったのだ。(おせっちゃん)

 

 


伊集院 静さんの最期の言葉

2024-01-16 13:31:27 | 言葉

毎年成人の日にはサントリーが彼の詩(若者に与える詩)を大きく載せます。成人式を4回も迎えるほど生きた私にも、気合を入れてくださり、励ましてくださる詩で、ほとんど毎年、ブログに使わせていただいた。
今年は、彼は亡き人の世界へ旅立っていた。

この詩は、まだ生きていらっしゃる10月に自筆で書き置かれたものだそうです。

彼は私の母校・山口県立防府高等学校の後輩です。一度もお会いしたこともない方だが、誇りに思っていた。

サントリーが詩の終わりに、長年の功績を書いていた。
若者たちの可能性を信じ、2000年から新成人に向けて厳しく、温かいエールを送り続けてくださった伊集院静さんへ心より感謝と敬意を表します。親愛なる伊集院静さんの残した言葉を大切にしながら歩み続けますとの言葉を添えた。

誇り

新成人おめでとう。

今日から君は新しい道を歩んでいくことになる。
この道には懸命に生きる人の誇りがある。
ほこりをもっていきること、それはわたしたちの務めである。
誇りとは何か?
それは信念を持って歩いていくことだ。
今まで同様、誇り高い道をまっとうしてくれ。
大勢の人がそれを望んだように、
あなたもまた、自信をもって、その道を歩んでほしい。
そこには必ず生きる喜びがある。
君の人生の肝心がある。
さあ、頑張って私たちの明日に向かおう。
(最後の2行は自筆の詩の締めとサインで)
大切なものを抱いて、進むんだ。
              伊集院静

 

 


「無茶苦茶」という言葉

2024-01-12 13:33:37 | 言葉

お正月(1月1日)、まだ、大事件は起こってなくて、のんびりと息子家族が来るのを待っていました。孫娘が結婚し、外地に暮らしていますので、お客は3人です。お屠蘇をいただき、私の手作りのお節と、お雑煮、で今年一年の無事を祈るのが決まりです。

2日・3日は箱根マラソンをテレビで見るのが恒例です。今年は、まさかと思う青学の頑張りでした。
区間賞を取った青年、記録を出した若人、誇らしげにインタビューに答えます。
今年そこで、不思議なことに気がつきました。走る若人は、インタビューに答えるのに、「無茶苦茶」という言葉を使わないのです。これは、監督の指導でしょうか。なら、ますます尊敬しちゃう。
今世の中は、無茶苦茶が無茶苦茶多いのです。普通の青年だけではありません。言葉で生きていると思われるアナウンサーまでが,無茶苦茶というという言葉をまるで、これをつけなくては言葉にならないとばかりにつけるのです。
私には、無茶苦茶とは、無残に乱暴に乱れに乱れた部屋などが思い浮かぶのです。ところが、例えばお正月でお振り袖がいいものだ、と言うような表現の時も、「やあ、君今日は無茶苦茶きれいだね」とか、「無茶苦茶エレガントだね」とイメージが全く合わないことにも大盤振る舞いです。
世の中、無茶苦茶の洪水です。全く耳障りです。

新年、1週間もたった時でしたかしら、夜中近くに、興味を引かれた番組がありました。消そうと思ってふと見て引かれた番組でした。WBCの監督を務めた栗山氏と、どこだったか、一流企業の社長さんの対談でした。栗山氏が一球、ひと振りの解説をするのです。その時の選手の感情、監督の決断、選手同士の心理戦、、、などなど。それを聞いた社長さんが、実業家として、同じと思うことと、ちょっと違う感覚かなどと、それは面白く1時間を過ごしました。

ところで、この良質の番組(と私は思ったのですが)で、栗山監督、いったい何度無茶苦茶を連発なさったことやら。私は決して彼を嫌いなわけではありません。むしろ好きで引かれる人だと言えます。でもこの言葉づかいは、・・・う~ん、改めて欲しいな。
もしも、もしも、私のこの文がお目にとまったら、(そんなことは無いと思うけど)、お節介と思われるでしょうけれど、この対談のご自分の言葉を聞いてみて欲しいと思うくらいです。きっと、監督なら、ご自分でびっくりなさることでしょう。

全く失礼なお節介、ごめんなさい。


週末を明るく

2023-12-16 19:26:36 | 言葉

木曜日のパソコン教室でカレンダーを仕上げ、今日は自分の力で年賀状作成をしました。途中でインクが切れて、渋谷まで往復という余分が入り、ブログ投稿がこんな時間になってしまいました。今夜から、宛名書きです。

さてそんなわけでネタがない。どうしよう。夕食の片づけをして、ごみを捨てるのに、カラス対策で、古新聞に包んで捨てる約束になっていますのでやっていましたら目につきました。他人様のもので誤魔化しますが、お許しを。笑って今週を締めましょう。

朝日新聞に、「いわせて、もらお」という、投書の笑い話のコーナーがあります。これが私は好きなのです。

というわけで、下に2・3紹介します。

★ 一字の違い・・・大学生の娘は最近、ダイエット目的でご飯を少なめにしている。「食べるのををがまんしていると『拒食症』になるよ」と注意したら「食品売り場で試食ばっかりしていると『試食症』になるよ」と反論されてしまった。(投書氏はつまようじは友達)

★ ウルトラビター・・・毎朝インスタントのスティックコーヒーを飲んでいる。スティックの包み紙には一本ずつ「焦らずじっくりと」など励ましのメッセージが書いてある。楽しみにしている。今朝のは「ゴール見えてきたね」。受験者にはいいけれど、高齢者には苦すぎる。(ゴールはまだまだ先)

★ 訓読み恐るべし・・・息子が小学低学年の頃、宿題の漢字ドリルをすべて訓読みで答えていた。
「白米」は「しろこめ」。「黄色人種」は「きいろひとだね」。一番驚いたのは「親切」を「おやぎり」と読んでいたことだった。(今のところ無事です)