いろいろ備忘録

泳がせシーズンは下田・伊豆方面(神津島、銭洲、イナンバ、御蔵島、大島沖など)、それ以外は新潟の上越方面での釣行記

ネパール

2022-07-21 07:00:00 | 旅行

インドやバングラデシュの街の普通の食堂に行くと、だいたいプレートの上にご飯、ダール(豆のカレー)、肉系のカレー、野菜の油炒とか出されるのですが、みんな指先で美味そうに食べるので、自分もまねして食べてました。慣れないと時間かかりますが、確かに手で食べた方が美味い気がします。ネパールではあまり手で食べる人みかけなかったんですが、たまたまでしょうか。

ネパールの田舎で暮すのは本当に大変だと思います。国土の半分が山岳地帯で、残りの半分も森林ですから。道路網につながっていない地域もまだけっこうあるとか。

カトマンズから飛行機でヒマラヤの麓、ポカラに行きましたが、上空から見ると本当に集落が点在しているのがわかります。

 

 


タンザニア

2022-07-20 07:00:00 | 旅行

ムワンザかアルーシャか記憶が曖昧ですが、淡水魚が有名とかで、飛行機の搭乗客の多くが預入荷物として樽に入れた活魚を持ち込んでました。嫌な予感はしたんですが、キャリーケースがソフト(布製)だったので、案の定、荷物をピックアップしたらびしょ濡れでした。

ダルエサラームにも3週間以上いたのに、エチオピア料理などのエスニック料理店かホテルの食事ばかりで、あまり地元の料理を出すような店に行けず。

 


メキシコ

2022-07-19 07:00:00 | 旅行

カナダにいた頃、バックパッカーで行った時の話なので、随分前の話です。

バンクーバーからメキシコシティに入ってしばらくいたら、排気ガスと標高にやられて体調を崩しました。

体調はあまりよくなかったんですが、オハカに移動して、市場を物色していたら、ローマとかパリでよくある手口の集団スリに遭いました。目の前でおばさんたちがケンカをはじめて、立ち止まると後ろからも誰かに押されて、おしくら饅頭状態になり、気がついたらパックサックの中にいれていた財布を盗られました。

振り返ったらもう周辺には誰もおらず、あまりの手際の良さに関心しました。たぶん、市場に入る前に財布をパックサックに移したところを見られて、ターゲットにされたのだと思います。これまでスリに遭ったのはこの1回だけです。

その後、太平洋に面したプエルトエスコンディードに8時間ほどかけてローカルバスで移動したんですが、険しい山道で、途中で乗ってくるローカルの人たちが次々と車酔いでバケツリレーで大変でした。そこから、アカプルコ→メキシコシティ→バンクーバーと戻りました。アカプルコは、はめを外したアメリカ人がたむろする街という印象のみ。

メキシコ料理にはまったのは実はバンクーバーにいたときで、いまでも、定番のメキシコ料理(ワカモリ〜アボガドデップ、タコス、エンチラーダ、ファヒータス)なんかは家でよく作ります。

 

 

 


アルバニア

2022-07-18 07:10:00 | 旅行

独裁者ホッジャによる長い鎖国、その後の市場経済導入後の混乱とマフィア経済の拡大、特に政府が野放にして蔓延・破綻したネズミ講の破綻で治安が悪化して、ヨーロッパ各国は在住自国民の救出を行うほどの騒ぎになりました。

訪れたのはその5年ほど後でしたが、着いて飛行機から降りる時、イタリア航空のスタッフから「未開の地にようこそ」なんて言われました。まあ、一部のイタリア人のアルバニアへの差別意識だいぶ入ってたとは思いますが。

ネズミ講破綻の後、財産を失い怒った人たちが、軍の施設から武器を襲って、破壊行為を繰り返したそうで、その跡があちらこちらに残っていました。また、酒、タバコはイタリアからの密輸品、車(ほとんどベンツ)はヨーロッパからの盗難車、ガソリンスタンドに寄ると店員がくわえ煙草で給油したりとワイルドな状況でした。ホテルが少なく宿泊代や電話代もバカ高でした。まあ、今は相当改善されてるでしょう。

北端から南端まで行きましたが、北はコソボ、中部はアドリア海を挟んでイタリア、南はギリシャなので、東欧料理からイタリアン、ギリシャ料理と本格的で食事は最高でした。朝食、ヨーグルトをごはんにかけて塩コショウして食べるというのは新鮮でした。
 
 

チリ

2022-07-17 07:00:00 | 旅行

スペイン料理はどこにもあるし、チリワインもいいですが、カスエラという鶏・牛肉と野菜のスープとか、地元料理も色々あり手軽に食べられます。

私がサンチャゴに滞在したのは、アメリカの後押しでクーデターを起こした悪名高い独裁者ピノチェットが死去したタイミングでしたが、まだその政策が続いていました。

書物と映像のみで知るモネダ宮、国立競技場(後になんとビクトル・ハラ・スタジアムと改名)、バルパラソ等々まわり、ピノチェットのクーデターで殺害されたアジェンデ大統領最後の演説など思い出して、ちょっと感傷にひたりました。

最近、チリでは格差是正、自由と人権の強化を政権公約とした36歳の大統領が誕生し、閣僚の半分も女性になりました。日本と比べてしまうと、国民の高揚感とか解放感とか、なんともうらやましい限りですが、旧ピノチェット支持層、特に新自由主義政策で潤った富裕層の抵抗は激しいでしょうから、この先の混乱も危惧されます。