織音 歌のお姉さん

織音(おりおん)の活動。大好きな音楽のブログです。

おばあちゃん・・・待っててね。

2011年12月26日 21時54分45秒 | 日記
実家から一本の電話。

同居しているおばあちゃんが昏睡状態。

明日実家へ行ってきます。



お父さん側のおばあちゃん。

結構気むずかしくて私は苦手でした。

お姉ちゃんが初孫で、私は二番目。

お姉ちゃんの事が大好きで、お姉ちゃんの物ばかり買って

私の事はあまり関心がなかったらしい。

らしいというのは小さい子供の頃の記憶がないから・・・

あまりにも孫に対する態度が違うので母は父に不満を言ってたらしい

「どうしてお母さんは長女Nにばかり物を買って与えるのか。」

すると父は

「Nだけでもかわいがってもらえればいいじゃないか」

その言葉で納得したのか、母は私に愛情をいっぱい与えて育ててくれました。

別居してからおばあちゃんちに遊びに行くときは1人で行かず、必ず姉と打ち合わせして

一緒に行きました。

私が行っても機嫌が悪いんですもの。

姉と一緒に行くとニコニコ笑って迎えてくれました。




そんなおばあちゃんが私に対して気持ちを変えるきっかけがあったのは

姉が東京の大学に行った時の事。

整理整頓をしようと高い棚のものを踏み台を使って降ろそうとした時、

足場が揺れておばあちゃんが倒れ、頭を激しく打ち、救急車で運ばれました。

命には別状なかったのですが、しばらく病院に行かなくてはいけない状態でした。

送り迎えする人がいなくて私が短大に行きながら、時間を見つけては

おばあちゃんを病院に送り迎えしていました。

(母は仕事があって、難しかったんです)

おばあちゃんと二人きりの車内。

そんな状況を繰り返した後、おばあちゃんが完治し、母に言ったそうです。

「Tも良い子に成長したね」

その言葉を聞いてなんだか誤解が解けたような気分でした。




今、おばあちゃんと両親は同居し、介護4のおばあちゃんの世話を母は毎日しています。

脳に腫瘍が出来ていて、いつ亡くなってもおかしくない中、

3年以上も毎日毎日お世話をしてる母。

私もなかなか実家に帰れなくて親不孝してるけど、

明日、おばあちゃんと両親に会ってきます。



今年は知り合いの出直しは多かった一年でした。

デイサービスのおばあちゃんも先日亡くなりました。

家族葬だったので参列できませんでしたが、

「●●さんは昼ご飯がおいしいからここに来てるって言ってました。

だからこれからもおいしい料理を皆さんに作ってくださいね。」

施設長からその事を聞き、涙が出そうでした。

いつ大切な人が側からいなくなるか分かりませんもんね。

だからこそ、後悔ないように、周りの人に接していきたいなって思います。

待っててね。おばあちゃん。