若きモーツァルトとクレメンティはピアノのライバル関係であった。モーツァルトは手紙の中でクレメンティは技術は凄いが限界があるというようなことを書き残している。神童モーツァルトに比べれば二流の作曲家のような感があるが、クレメンティは優れた教則本の作曲者でもあり、当時や後代のピアノ弾きに大きな影響を与えた。クレメンティの時代はチェンバロが進化したピアノという楽器が発展しつつあった時代だったのである。
ベートーヴェンの人生はまさにピアノの発展とともにあった。イギリス・アクションはモダンピアノに革命を起し、ベートーヴェンの高度なピアノ・ソナタを生み出すに至った。この時期にピアノには音を増幅させるペダルが付いた。ペダルによって音を増幅させるというアイデアはやがてエレクトーンへと繋がる、というのが著者の考えのようだ。イギリス・アクションはやがてパリのエラール社のピアノへと継承され、ショパンやリストの楽曲を生み出すこととなる。ショパンやリストも、ベートーヴェンと同じく、幻想的・ロマン派的なペダルの用い方には定評のある作曲家である。
著者は音楽教育の専門家らしく、19世紀におけるピアノ教育についても詳しく叙述している。市民社会の中で、上流階級志向の人々がピアノを子女に習わす。教師の中にはクララ・シューマンのようなメジャーな人物もいたが、多くの教師は安月給に頭を悩ます存在だったという。ただし、ピアノ教師は資格なしに上流階級と交わることを許された人々であったために、マルクスはピアノ教師に国家資格を与えるべきだなどと苦言を呈していたようだ。
ロマン派時代におけるピアノの普及もオペラの人気も、近代市民社会のブルジョア層の虚栄心が原動力となっていた。「乙女の祈り」が流行したのは、若き女性たちがピアノで弾く曲として適切だったからだ。著者はブルジョア層が子女に施すピアノ教育に対しては否定的であるようだ。19世紀的な芸術音楽を担ったのが必ずしも芸術音楽に理解のある人々ではなかったということは留意すべきであろう。
尚、幸田露伴の妹はヨーロッパに渡り日本人としては極めて早い段階でヴァイオリンを学んだという。