origenesの日記

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佐々木毅『プラトンの呪縛』(講談社文庫)

2008-08-23 22:42:48 | Weblog
プラトンの『ポリティア』は、アテネ的な民主政治を厳しく批判した書物である。哲学的な人物による統治を理想としたプラトンにとって、選挙を行い人々の意思を尊重する民主政治は衆愚社会を生み出してしまう危険性のあるものであった。著者は20世紀において、プラトンの『ポリティア』がどのように解釈されてきたかを論じていく。
まず重要なのは、20世紀ドイツとプラトンの関係である。ラテン文化に馴染みの薄いドイツは、自国をギリシアの後継者として見なす傾向が強かった。そしてそのために、プラトンをドイツ文化に吸収しようとする動きがあった。20世紀ドイツにおいては、プラトンがニーチェに比肩する哲人として扱われるようになっていったのである。ゲオルゲ派はプラトンを「精神の国の王」としてその理想的国家論を高く評価した。そして、引き続きナチズム下で独裁主義を擁護する者が、プラトン哲学を利用することとなる。確かにプラトンの民主主義批判から、独裁政治の擁護を引き出すのは難しくはない。実際にナチス独裁下においては、プラトンは哲人ヒトラーの独裁を容認する理論的な根拠として用いられていた。民主制・衆愚制を嫌う彼の政治論は確かに独裁制・共産主義と親和性があるのである。
しかし、イギリスのグロスマンのようにプラトンを「民主主義政権における民主主義の批判者」として解釈した人物もいる。民主主義は決して万能ではない。人々は主権者としての欲にとりつかれ、次々と勝手な行動をしだす。モラルは崩壊し、政府は人々を十分に統治することはできなくなる。プラトンの民主主義批判はそれ自体は目を向けるべきところも多いのである。グロスマンは、民主主義に生きる者として、プラトンの民主主義批判に耳を傾けるべきだと考える。
同じ英語圏の思想家であるカール・ポパーは、グロスマンとは違い、プラトンを反民主主義的な思想家として厳しく批判する。プラトンの国家論は独裁性・共産主義の思想に近いものであり、近代民主主義国家に反するものである。プラトンは「偉大な哲学者」であるソクラテス(彼は哲学は誰にでも可能だと考えた)の思想を継承してはおらず、師匠を裏切ったのである、というのがポパーの見解である。
その他、ラズウェル、アーレント、ハイエク、デヴィッド・イーストンといった学者たちのプラトン観が論じられている。プラトンを激しく糾弾するのでもなく、過剰に擁護するのでもなく、その民主主義批判に潜む現代的意義を探り出そうとする著者の姿勢は好ましいものだ。著者はプラトンを民主主義の不完全性に対する警告者と見る。

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