origenesの日記

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三島憲一『戦後ドイツ』(岩波新書)

2008-02-19 17:52:39 | Weblog
戦後ドイツの思想の動きを描いたもの。三島憲一は一流の研究者であるが、かなり左翼・社会民主党(SDP)寄りの思想を持っているので、多少批判的な読み込みが必要かもしれない(個人的にはグラス、ハーバーマスに対して高く評価し過ぎなのでは、と思った)。まあ、私も多分、左よりだけどさ。
敗戦後、ドイツの文学者・哲学者たちは「ナチス・ドイツの反省とドイツの復権」を目指して、様々な動きを見せた。ドイツの代表的な知識人であるトーマス・マンは、アメリカからドイツに帰国し、ナチス・ドイツを批判するとともにゲーテやシラーのようなよきドイツの財産の価値を強調した。ゲーテはゲルマン的なものをギリシア的なもので超克したので偉大だ、などという論法を用いて。1950年代にはゲーテやシラーはドイツの国民の間で人気を誇り、20世紀ナチス・ドイツは19世紀の良き初期市民社会によって乗り越えられようとしていた。総じてナチスという「非合理」的なものを合理主義によって乗り越えようとした動きだと考えることができるだろう。
そのような動きの中で、あくまでもナチスや、ナチスを擁護したハイデガーに対して批判を続けたのが、アドルノやホルクハイマー、ギュンター・グラス、ハインリッヒ・ベル、ハーバーマスといった人々である。彼らは総じて左翼的であり、キリスト教民主同盟(CDU)よりかは社会民主党(SPD)に近い立場にあった。そして、20世紀のドイツ人が19世紀的な良き市民社会に戻ることはできないということを理解していた。特に重要なのはアドルノである。彼は友人のトーマス・マンとは異なり、ナチズムを合理主義の帰結だと考えた。アドルノの「アウシュヴィッツ以降に詩を書くことは野蛮である」という言葉も、ナチス以前のように文芸を楽しむことは今の私たちにはできない、という意味なのではないか、と著者は考察している。ギュンダー・グラスはあくまでも小説家として、ナチズムやハイデガーを皮肉り、ハイデガー的な「本来性」の思想を批判した。その批判は苛烈なものだったらしく、グラスは当時のドイツの高官に対して「一度でもナチに仕えた者が政府の高官になるべきではない」とも批判している。
(グラスが少年期にナチ党の武装親衛隊に入っていたという事実が近年明らかにされたが、これが物議を醸したのは当然だと思う。グラスはかつて一度でもナチにいた者は許せない、と言っていたのだから)。
以下、浅田彰の「ギュンダー・グラスのドイツ」。
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/voice0001.html

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