2015年9月7日
固定された場所を明け渡して、異なるものに定まるプロセス
過去の認識や過去の環境によって創られる新しい世界に入ります。ニューエルサレムであっても、それが国家と言う概念から生まれる便宜的な理想郷であり、歴史的な意味での理想郷となります。華やかで混乱の最中です。これを巷(岐:ちまた)と言います。わかりやすくこの象形をあえて「分岐点」と言います。
この9月は偉大な一つの星が消えました。そしてまたさらにたくさんの聖なる星星が顕われます。
この巷で新しいことが始まっても、実際に庶民の生活に際立った変化は起きません。むしろ困難が増すように感じます。巷とはそういう場所であり、今まで生活していた家庭・職場…そういうロケーションだからこそ巷といってきました。うらびれた下町の飲み屋街、実際にこれから始まる新しい世界への分岐点がそのロケーションの中に現れることはまだ意識していませんが、しかし、この9月からはその巷にそれぞれがそれぞれの立場で自ら入ってゆく時期が来ました。社会や世界の実際の動きが見え始め、それが無意識にそれぞれの課題となってゆきます。
リビアの難民がドイツを目指したその理由は、ドイツでは難民に対し月4万5千円の生活費が支給され、無償で住居が提供され、仕事の斡旋が行われる。このようになるまでドイツ国民にも苦難の時代がありました。リビアの難民は国家の枠を越えて暖かい人々が迎えてくれる新しい社会を目指して家族が力を合わせ、手に手を取って行進してきました。
続々と中東からの難民が到着 なぜドイツを目指すのか?
東アジアでも北朝鮮と韓国の融合が順調に行くことに期待しますが、特に北朝鮮から難民が中央アジアや日本に向けて流失する可能性がないとはいえません。その時私たち市民がこの巷で何を経験することになるでしょうか。何事も起こってほしくない普通の生活の中にもうすでに嘗てない地球の大変動が起きています。私たちのリロケーションは思いやり・愛・そして助け合いの巷に自ら入ってゆきます。
その時国家を運営する人たちも、医療の現場の人たちも、安全を守る警察や自衛隊の人たちもみな同じ一人の人間として行動を開始します。それは旅立ちの時のようであり、母が子を守るようであり、すでに今までの自分ではない自分がまるで巨人のようにこの分岐点に立っています。新しい緊急事態に対し、国としてどのようなことが出来るか、個人や企業、あるいは地域としてどのようなことをしなければならないか、公正な意識が思うように困難な状況を改善してゆきます。
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